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THE BIG PUSH
「ソンムの戦い」 ソンムの戦いは、1916年7月1日から11月19日までの間、フランス北部のソンム河付近で発生した第一次世界大戦中最大の会戦です。イギリス・フランス連合国側が300万、同盟国側ドイツ軍が150万の兵力で激突、最終的に両軍合わせて100万以上の死傷者が出ました。また、この戦いは史上初めて戦車や軽機関銃が登場した戦いでもあります。 『ザビッグプッシュ』は、第一次大戦最大の会戦、ソンムの戦いをシミュレートしたゲームです。第一次世界大戦での戦いは、”塹壕戦”と呼ばれ、進化した火器が両軍に十分に行き渡ったこともあり、塹壕を構築して敵を待ち伏せする戦法が主流となり、攻撃側不利、防御側圧倒的有利という状況でした。しかし、倍に近い兵力を有していた連合国軍は、「Big Push!」と呼んで無謀な突撃を敢行させ、無理やり勝利をもぎとりました。但しその戦果はドイツ軍を僅か10㎞程撤退させただけの戦果でした。 また、戦車が初めて実戦に投入された史実に沿って、このゲームでもユニットにMk.1戦車が登場します。ちなみに、史実ではこの戦いにアドルフヒトラーが参加しており、毒ガスにより負傷したという有名な話があります。 #ソンムの戦い #第一次世界大戦 #Mk.Ⅰ戦車
ルール(32P) ユニット264個 22×34インチソフトマップ1枚 6面体ダイス2個 ? AtO#11 作戦級ちょこ大佐
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BITTER EINDER
『ビターアインダー』は、1899年から1902年までの間発生した、イギリス帝国とイギリス植民地化に抵抗する南アフリカの独立ボーア人共和国であるオレンジ自由国及びトランスヴァ―ル共和国との「第二次ボーア戦争」をシミュレートしたゲームです。 事の発端はトランスヴァ―ル共和国で金の鉱脈が発見されたことでした。何千ものイギリス人がケープ植民地からトランスヴァ―ル共和国になだれ込み、金鉱山に群がりました。彼らは勝手に鉱山近くに移り住み、勝手気ままに行動したため、近隣は瞬く間にスラム街と化していきます。トランスヴァ―ル共和国は彼らに投票権を与えず、金発掘に重税を課したために、両者の関係は悪化していき、イギリス帝国は全てのイギリス人にボーア人と同様の権利を要求し、ボーア人は全てのイギリス人にトランスヴァ―ル共和国及びオレンジ自由国から出ていくように最後通牒をつきつけますが、両者の話し合いは決裂、戦闘状態に入りました。 当初は民兵部隊しかいないボーア人軍に対して楽観視していましたが、予想以上のボーア人の抵抗によりイギリス軍は苦戦し、その戦法は手段を択ばないものに変わっていきます。ゲリラ戦を展開するボーア人を無差別に強制収容所に入れ、焦土作戦を展開し、非人道的な施策で世界の避難を浴びます。 結局、兵士の大量投入によってイギリス軍が勝利し、オレンジ自由国、トランスヴァ―ル共和国は消滅して戦争は終結しました。 『ビターアインダー』は、この第二次ボーア戦争を1899年の10月9日に発令された大統領のイギリスに対する最後通告から、1902年5月31日の戦争終結までをシミュレートしています。 #ボーア戦争
ルール(14P) ユニット264個 22×34インチソフトマップ1枚 プレイヤーディスプレイシート1枚 6面体ダイス2個 ? AtO#13 作戦級ちょこ大佐
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Cedar Mountain
「シーダー山の戦い(スローターズ山の戦い)」 1862年8月9日、バージニア州カルペパー郡で発生した、ナサニエル・バンクス少将率いる北軍が、ストーンウォール・ジャクソン少将率いる南軍を攻撃した戦いです。北バージニア方面での南北戦争では緒戦となる戦いで、序盤は北軍が押していましたが、結果南軍が押し返し、南軍の勝利で終わりました。ブルランの戦いの前哨戦と位置づけられているこの会戦の結果、南軍は北バージニア方面での主導権を握り、東部戦線を有利に進めることとなります。 『シーダー山』は、南北戦争における北バージニア方面での戦いを再現したゲームです。SPI社が発行した南北戦争を扱うGBACWシリーズの第4弾となります。1981年チャールズロバーツ賞を受賞しています。 #アメリカ南北戦争
ルールブック(20P) ユニット200個 ソフトマップ1枚 1本 GBACWシリーズ 作戦級ちょこ大佐
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Apocalypse in the East (東方黙示録)
カリフとは、イスラム教における預言者ムハンマドの後継者という意味であり、ムハンマドの後を継ぐイスラム国家の指導者、最高権威者の捷号です。 『アポカリプスインジイースト(東方黙示録)』は、第三代カリフであるウスマーン・イブン・アッファーンの時代の、イスラム帝国とビザンツ帝国の戦いをシミュレートしたゲームです。 西暦636年、第二代カリフのウマル・イブン・アル=ハッターブが指揮するイスラム軍はヤルムークの戦いでビザンツ軍を撃破、その版図をサハラからシンドまで拡大しましたが、644年に内部抗争により暗殺されます。イスラム帝国の混乱に乗じて、ビザンツ帝国は失われた版図を取り戻すべくイスラム帝国への逆襲を仕掛けます。このような状況の中、第三代カリフに就いたウスマーン・イブン・アッファーンは不安定なイスラム帝国をまとめるため、ビザンツ帝国の壊滅を目指し、敵要塞コンスタンチノープル占領を狙います。対するビザンツ帝国のコンスタンス2世は未だ15歳で軍事的にも宗教的にも未熟でしたが、強固なコンスタンチノープル要塞を頼みに、イスラム帝国に対抗します。戦いは双方遠征軍を編成して侵攻、守備隊を配置して遠征軍を撃退するという展開となり、遠征軍同士の野戦、敵遠征軍の侵攻に対しての籠城戦、艦隊同士の海戦が繰り広げられます。果たして当時最強と言われていたコンスタンティノープルの城壁は崩れるのでしょうか? なお、同号にはボーナスゲームとして1942年12月スターリングラードを包囲していたソ連軍の奇襲攻撃に対して、強烈な反撃を試みたドイツ軍第11装甲師団の戦いを再現した、ユニット100個、ルール4ページの『ブラックフライデー』というミニゲームが付いています。 #古代戦 #カリフ #イスラム帝国 #ビザンツ帝国
ルール(12P) ユニット180個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーチャート2ページ 6面体ダイス2個 ? 無し 作戦級ちょこ大佐
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Right Fierce & Terrible
百年戦争とは、 フランス王国の王位継承権争いを発端に、フランス王国を治めるヴァロア朝と、イングランド王国を治めるプランタジネット朝及びランカスター朝とが争った戦いである。初めは諸侯の領地争い程度であったが、次第に国内の多数の領主を巻き込んで長期の戦いに発展した。結局争いは休戦期を含めて1337年のエドワード3世によるフランスへの挑戦宣言から、1453年のボルドー陥落まで100年以上続いたことから百年戦争と呼ばれている。 『ライトフィアスアンドテリブル』は、百年戦争における最初の重要な戦い、スロイスの海戦を再現したゲームです。 1340年6月24日、オランダのスロイス港にて、イギリスのキングエドワード3世の意向を汲んだイギリス艦隊と、フィリップ6世の命令によりイギリス侵攻を目指したフランス艦隊が激突しました。百年戦争の始まりを伝えるスロイスの海戦です。この海戦は、百年戦争における重要な3つの海戦のうちのひとつとして数えられています。当時の艦隊戦は、勿論艦砲などは無く、弓による射撃の後、はしごや鍵爪によって接舷、敵戦に乗り込んで剣による白兵戦という戦いが一般的でした。船上での戦いのため、劣勢に立った側に逃げ道は無く、船から落下して溺死するか刀剣によって惨殺されるかしかありませんでした。そのため、Fierce(激烈)でTerrible(恐怖)な戦いが繰り広げられたのです。 結果、イングランド海軍がフランス海軍を壊滅させ、以降のドーバー海峡の制海権を握りました。 LPS社刊行の「Against the Odds」は、流行に左右されず、いきなりこのようなどマイナーがテーマをぶっこんで来るので好きです。先行するライバル誌S&Tとの違いを出すためにこのようなチョイスになっているのかも知れませんが、なかなか目が離せません。 #スロイスの海戦 #百年戦争
ルール(14P) ユニット140個 ラージユニット32個 22×34インチマップ1枚 プレイヤーエイドシート2枚 7本 無し 戦術級ちょこ大佐
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BOUDICCA the warrior queen
あなたはイギリスのヒーロー、「ブーディカ」を知っていますか? A.D.60年、まだイギリスがグレートブリテン島と呼ばれていた頃、ブリテンはその大部分がローマ帝国の植民地と化していました。その当時、ブーディカはケルト人イケニ族の王プラスタグスの妻でした。イケニ族の治める東海岸(現在のノーフォーク地方)は、ローマ帝国の支配が及ぶ範囲ではなく、王はローマ帝国と同盟関係を結び、領主としてその地を治めていました。しかし、その当時のローマ帝国の同盟条約は、「王の称号は本人のみで、本人が死亡すれば消滅し、相続できない」という、その武力を背景にした理不尽な条約でした。そのため、プラスタグス王の死後、ローマ軍は条約を盾にイケニ族の領地を奪い、王の妻であったブーディカ及びその2人の子供に対し鞭打ちの刑に処した後領土より追放しました。国を奪われたブーディカは復讐を誓い、近隣部族を諭してローマ帝国への反撃の狼煙を上げます。 ルネサンス時代に発見された歴史書によると、反乱軍のリーダーに推されたブーディカは、勝利の女神として、2人の子供を脇に立たせ、チャリオットに搭乗し23万もの反乱軍の指揮を執っていたと記録されています。ブーディカ率いる反乱軍は、ブリテン各地のローマ帝国植民地に攻め込み、これを開放し、自由を奪われた復讐を叫びつつ各地を転戦しました。ブーディカ反乱軍により都市ロンディニウム(現在のロンドン)が陥落した時、当時のローマ皇帝ネロはブリテンからの軍の撤退を真剣に考えましたが、ロンディニウムとウィロコニウム(現在のシロップシャー州)の間で行われた会戦によりローマ軍が勝利し、ブーディカ軍が壊滅したため、その後もローマ帝国によるブリテン島支配が続きました。会戦後のブーディカの行方は知れず、現在では敗戦の責任を取った服毒自殺説と病死説があります。 ちなみに、このブーディカ伝説は1928年と2003年の2度映画化されています。 『ブーディカ』は、A.D.60年に発生した、ローマ帝国の植民地であったブリテン島でのケルト人の反乱をシミュレートしたゲームです。 ブーディカという単語は、古代ケルト語で”勝利”を意味する単語に由来し、ヴィクトリア女王のヴィクトリアと同じ意味です。彼女の名前は日本ではあまり馴染みは有りませんが、イギリスでは、フランスのジャンヌダルクに比する勝利の女神として知られています。このゲーム自体は1984年にウエストエンドゲームズから発売された『ドルイド:ブーディカズリベリオン61AD』(デザイナーはリチャードバーグ先生)のリメイクとなっています。 #ブーディカ #ケルト #グレードブリテン
ルール(8P) ユニット240個 22×34インチマップ1枚 カード36枚 プレイヤーエイドチャート2枚 ? 無し 作戦級ちょこ大佐
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KURSK Operation Zitadelle, 4 July 1943
1943年7月4日、ドイツ軍は北部からは中央軍集団第9軍が、南部からは南方軍集団の第48装甲軍団とSS第2装甲軍団がクルスク目指して進撃を開始した。作戦行われた第三次ハリコフ攻防戦の結果、ハリコフを中心に戦線が突出したソ連軍を叩くためである。作戦名はツィタデレ(要塞)作戦。立案自体は4月に行われたが、形勢不利を悟っていたヒトラーは実施命令を下すのを躊躇っていた。倒しても倒しても後方から増援が登場するソ連軍に対し、消耗しきっていた現在のドイツ軍では戦力不足の感は否めず、攻撃前に更に戦車を増強すべきだと考えていたのである。しかし、時間が経過すれば戦力が回復するのはソ連軍も同じだった。 進撃を開始したドイツ軍の目にしたものは、クルスク周辺一帯に張り巡らされた大規模な塹壕地帯、地下壕、鉄条網、地雷地帯、砲兵陣地、機関銃陣であり、そしてそこに控える130万人のソ連兵、3,000両の戦車で要塞と化したクルスクだったのである…。 『クルスク オペレーションツィタデレ1943年7月4日』は、東部戦線においてドイツ軍最後にして最大の攻勢であり、ドイツ軍はティーガーⅠ型重戦車、Ⅴ号パンターD型、フェルディナント重駆逐戦車、フンメルなど最新鋭の戦車を含む2,800両、ソ連軍は3,000両の両軍合わせて6,000両近くの戦車が参戦した史上最大の大戦車戦でした。結果としてドイツ軍は虎の子である戦車を大量に失い、ドニエプル河の西岸まで撤退してしまいます。そして、この戦い以降独ソ戦においては赤軍が主導権を握ることになります。 #ツィタデレ作戦 #クルスク戦車戦
ルール(8P) ユニット255個 22×28インチマップ1枚 ゲームチャートシート1枚 6本 無し 作戦級ちょこ大佐
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The Ardennes Offensive
ヒトラー最後の賭け 1944年6月に敢行された連合軍のノルマンディー上陸作戦以降、ドイツは窮地に陥っていた。8月にはパリ解放、9月にはベルギーのアントワープ港がイギリス軍によって解放された。東部戦線ではソ連軍の反抗が進み、正にドイツは四面楚歌に立たされていた。 ヒトラーはこの窮地を打破するために、3個軍によってアルデンヌ高地から奇襲、連合軍の重要な兵站港になっていたアントワープを攻撃、イギリス軍を包囲することによって人質とし、連合軍に講和を持ち掛けて西部戦線での休戦を実現し、東部戦線のソ連軍に全力で当たる作戦を立案した。「ラインの守り作戦」である。 1944年12月16日、悪天候の中、ラインの守り作戦は敢行された。アルデンヌ高地は深い森林と山岳で覆われており、連合軍にとっては装甲部隊がこの地方を進撃してくるとは思ってもいなかったため、ドイツ軍の奇襲は成功し、また折からの悪天候によって連合軍の航空戦力が使用できず、ドイツ軍の進撃を止めることができなかった。3年前のフランス陥落の悪夢の再来である。ヒトラーのラストギャンブルは成功するかに見えた。 しかし、23日に天候が回復すると、連合軍は素早い対応を見せ始めた。既に制空権を握っていた連合軍航空部隊は進撃するドイツ軍に痛烈な爆撃を与え、進撃を止めたのであった。以降、ドイツ軍の足は止まり、連合軍の反撃が始まるのである…。 『ザアルデンヌオフェンシブ』は、1943年12月16日から1月2日までの、ドイツ軍のアルデンヌ地方での攻勢、いわゆるバルジの戦いをシミュレートしたゲームです。ドイツ軍最後の攻勢として有名な戦いですが、アメリカでの名称はドイツ軍のその突出した戦線を指して「バルジの戦い」や「バルジ大作戦」、「アルデンヌの戦い」と言われますが、ドイツでの作戦名は「ラインの守り作戦」、または指揮官の名前を取って「ルントシュテット攻勢」とも言われています。
ルール(8P) ユニット255個 22×27.5インチマップ1枚 ターンレコード&増援チャート1枚 6面体ダイス1個 10本 無し 作戦級ちょこ大佐
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The Moscow Campaign
1941年7月、バルバロッサ作戦発動中のドイツ中央軍集団は、ソ連首都モスクワへの中間地点であるスモレンスクを陥落させ、計画以上の速度でモスクワへ向かおうとしていた。が、北方軍集団のレニングラード攻防、南方軍集団のキエフ攻略が難航していると見たヒトラーは、進撃中の中央軍集団に対して、転進してレニングラードとキエフのソ連軍を壊滅させるように命じた。戦果を挙げて中央軍集団がモスクワ進撃に戻ったのは2か月後の9月だった。運命が動いた2ヵ月である。7月の時点ではモスクワの防衛は脆く、首都陥落の可能性もあったが、与えられた2か月間でスターリンはモスクワの防御を固めたのであった。タイフーン作戦を発動したドイツ軍は、再びモスクワを目指して進撃を開始、装甲集団を中心とした戦いはソ連軍を蹴散らし、首都モスクワまで僅か25㎞の地点まで進軍していた、が、2ヵ月の遅れはドイツ軍にとって致命的であったことが判明する。ドイツ軍最大の敵、モスクワの冬将軍の到来であった。 タイフーン作戦では、戦闘によるドイツ軍死傷者よりも、凍傷による死傷者のほうが多かったと言われている。ドイツ軍が経験したことのない極寒での戦闘は、兵士だけでなく装備、武器にも不具合を発生させていた。一方、十分な冬季装備を施したソ連軍は、スターリンの指示により後方のシベリア及び極東地方から18個師団を招集して着々と反撃の準備を整えていた。 進撃の止まったドイツ軍に対し、後方から援軍を得たソ連軍の大反抗が始まる…。 『ザモスクワキャンペーン』は、1941年10月東部戦線のドイツ軍のタイフーン作戦、モスクワへの侵攻作戦と、それに対したソ連軍の反抗攻撃をシミュレートするゲームです。 オリジナルはS&T#24に掲載された『The Battle of Moscow』です。プレイは9月30日のドイツ軍のタイフーン作戦開始から始まり、モスクワへの進撃が頓挫、ソ連の反抗が始まる所まで続きます。展開としては10月11月の間はドイツ軍の進撃、12月には力尽きてソ連軍の反抗が始まるといったパターンになります。 ゲームシステムは基本的なつくりとなっており、ドイツ軍は移動フェイス、戦闘フェイズ、機械化移動フェイズから成り、ソ連軍は移動フェイズ、戦闘フェイズとから成り、機械化移動フェイズがありません。このため、ソ連軍としてはいかにうまく後退してドイツ軍の機械化移動で後ろに回り込まれないように遅滞戦術を行うのが勝利へのカギとなります。逆にドイツ軍としては冬が来る前にできるだけモスクワに接近して勝利ポイントを稼ぐのが肝となります。 #東部戦線 #バルバロッサ作戦 #タイフーン作戦 #モスクワ攻防戦
ルール(10P) ユニット400個 22×34インチマップ1枚 6面体ダイス1個 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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La Grande Armee(大陸軍)
「アウステルリッツの戦い」 1805年、ヨーロッパではフランスに対し第三次対仏大同盟が結成される中、ナポレオンはイギリスへの上陸を計画し、ブローニュに18万の将兵を終結させた。これに対し対仏大同盟のオーストリア軍7万がバイエルンに侵攻、ナポレオンは軍を回してこれを包囲、降伏させた。ナポレオンはそのままウィーンに入城するが、大同盟はロシア軍とオーストリア残軍を結集して決戦を挑む。ナポレオン軍7万に対し、ロシア・オーストリア8万と不利なフランス軍だったが、芸術的なまでのナポレオンの用兵指揮によってフランス軍が勝利した。この戦いはフランス、ロシア、オーストリア三国の国王が戦場に揃っていたため、三帝会戦とも呼ばれている。 「イエナアウエルシュタットの戦い」 1806年、それまでヨーロッパでは中立的立場を取っていたプロイセン(後のドイツ)だったが、フランスの覇権が中部ドイツまで及ぶに至って危機感を抱き、イギリス・ロシア・スウェーデンと共に第四次対仏大同盟を結成した。そして単独でフランスに戦いを挑むのである。しかし、フランスはイエナ・アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍を壊滅させ、その勢いのままベルリンに入城、大陸封鎖令を発令して経済的にイギリスを追い込もうとした。そしてフランス軍はプロイセン国王を追って東プロイセンに進撃、救援に来たロシア軍とアイラウで激突した。 「エックミュールの戦い」 1809年、ナポレオンがスペインとの抗争で苦戦しているのを見てオーストリアはイギリスと再び第五次対仏大同盟を結び、バイエルンへと侵攻した。ナポレオンはこれに迅速に対応し、エックミュールの戦いでオーストリア軍を撃破し、ウィーンに入城した。続くアスペルン・エスリンクの戦いでは、ナポレオンは自身が軍を率いての初めての敗北をオーストリア軍に喫した。しかし、このままではすまされないとフランス軍は再びワグラムにてオーストリア軍と激突、これを撃破した。 『ラ・グランドアーミー』は、ナポレオン戦争をキャンペーンレベルで再現するゲームです。ゲームには3つのキャンペーンが含まれており、1805年のフランス軍がブローニュに終結してからアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア軍を撃破するまでの期間、1806年のプロイセンとのイエナアウエルシュタットの戦いの前後1年間、1809年のオーストリアとのエックミュールの戦いを含む前後1年間をキャンペーンレベルで再現しています。ナポレオンが一番ナポレオンらしかった年代、フランスを囲んですべてが敵国という当時のヨーロッパにおいて、四面楚歌の状態での縦横無尽のフランス軍の活躍を再現できます。 #対仏大同盟 #ナポレオン #ナポレオニック
3本 ? 作戦級 1Turn=10日 1へクス=15㎞ 1Unit=師団ちょこ大佐
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SORCERER
『ソーサラー』は、6つの色に分けられた魔法をそれぞれ使いこなして魔法使いが戦うファンタジーゲームです。各色の魔法はそれぞれ相性があり、相手がどの魔法を持っているかによって戦術が変わっていきます。 マップは8色に色分けされ、それぞれの色の土地では同じ色の魔法が有利になります。また、どの魔法も使えない灰色のへクスがあり、そこに街が作られています。各色の魔法で呼び出される魔物は、同じ色の土地では強くなりますが、活発になりすぎて寿命が短くなります。逆に違う色の土地では力はそんなに発揮できませんが、その分寿命は長くなります。また、結びつきの強い色の土地で呼び出すと移動が困難になるため、どの土地でどの色の魔物を召喚するかが作戦のキモとなります。 シナリオは、1人用シナリオが1本(ルール習得用)、2人用が4本、3から6人用の乱戦シナリオが3本用意されています。また、オリジナルシナリオも制作できます。 色だけで区分けされた土地、魔法、魔物の組み合わせは非常に数学的で、システマティックな美しささえ感じられ、独特のプレイ感があります。いかにもSPIのゲーム制作の効率化を推進したサイモンセンらしい幾何学的なゲームデザインと言えるでしょう。 #ソーサラー #魔法の戦い
ルール(16P) ユニット400個 22×24インチマップ1枚 6面体ダイス1個 本 無し 戦闘級ちょこ大佐
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The Fast Carriers
『ファストキャリアーズ』は、1975年にSPIから発売された、第二次世界大戦から1977年までの太平洋における空母戦及び近未来戦のシミュレーションです。 ユニットは空母は1ユニット1隻で、各ユニットには加賀や赤城、エンタープライズ等船名がちゃんと記載されていてプレイ欲を高めます。 各プレイヤーは艦隊操作ディスプレイシート上に艦隊を編成し、索敵テンプレートシートを使って索敵を行います。敵艦隊に遭遇したら、メインマップから戦術マップに移動して戦闘を解決します。 史実シナリオでは真珠湾奇襲、珊瑚海海戦、ミッドウェイ、ソロモン沖海戦などがあります。 架空シナリオには、アメリカ軍VS北朝鮮軍、トンキン湾で行われるVS北ベトナム戦、VSソ連戦があります。 #太平洋戦争 #空母戦 #架空戦 #近未来戦
ルール(24P) ユニット800個 マップ1枚(5種の海図と戦術マップ記載) 艦隊操作ディスプレイシート16枚 索敵パターンテンプレートシート2枚 6本 無し 作戦級ちょこ大佐
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U.S.N.
『U.S.N.』は、S&T#29号の付録ゲームで、1941年から1943年までの太平洋の空、陸、海戦の架空戦を再現します。各ヘクスは200マイル以上を表し、各ターンは1週間のオペレーションを表します。 陸上ユニットカウンターは、師団または連隊を表します。 航空ユニットは、10の倍数の飛行機を表します。マップはハワイの東からジャワの西まで、実質的に太平洋全体が表示されます。 ゲームには、3つの「キャンペーン」ゲームと3つの短い「ミニ」シナリオがあり、珊瑚海海戦、ミッドウェイ、ソロモン沖海戦などがあります。 #太平洋戦争 #海戦
6本 無し 作戦級 1Turn=1週間 1へクス=200マイル 1Unit=1艦/連隊/100機ちょこ大佐
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The Franco-Prussian War
「話が違う!」 1870年7月19日に、プロイセンに宣戦布告したフランスはそう叫びたかっただろう。プロイセン1国にだけ宣戦布告した筈なのに、いつの間にかプロイセンのみならずバイエルン王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国らドイツ連邦国ら全てと戦うことになってしまっていたからだ。 「話が違う!」 フランス市民はこう叫んでナポレオン3世を糾弾した。 開戦から僅か1か月後、フランス皇帝ナポレオン3世率いるフランス軍10万は、セダンにおいてプロイセン軍に完全に包囲され、あっさりとナポレオン3世はプロイセンに投降し捕虜となった。現役皇帝がさしたる抵抗もせずにあっさりと敵の捕虜になるという、前代未聞の出来事にフランス市民は激怒し、その僅か2日後にフランス皇帝の廃位が宣言されることになる。 フランス帝国は開戦初期は僅かに勝利したものの、優秀な野戦砲とその画期的な運用法において1日の長があったプロイセンに圧倒的なまでに敗北した。これが普仏戦争である。この結果、ヨーロッパにおけるフランスの影響は低下し、逆にプロイセンを中心に統一ドイツがその軍事的優勢を強め、ヨーロッパ外でドイツとイギリスの利害が対立、第一次世界大戦に繋がっていくのである。 『フランスプロイセン戦争』は、1870年7月19日から1871年5月10日まで続いたフランス王国とプロイセン帝国(後のドイツ)が戦った普仏戦争を再現するゲームです。ゲームでは、フランス軍が負けている期間、1870年8月よりナポレオン3世がセダンにおいて捕虜になる9月3日までをプレイします。 #普仏戦争 #ナポレオン3世
1本(ベーシックルールとスタンダードルール有) 無し 作戦級 1Turn=3日 1へクス=7.5㎞ 1Unit=軍団ちょこ大佐
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Clash of Giants Civil War
「第二次ブルランの戦い」 1862年8月28日、東部戦線のバージニア州プリンスウイリアム郡において、リー将軍率いる南軍北バージニア軍と、ポープ少将率いる北軍バージニア軍が激突した。第二次ブルランの戦いである。南軍5万名、北軍6万2千名もの兵士が激突した、南北戦争屈指の戦いであり、両軍合わせて2万名にも達する死傷者を出しつつも南軍が勝利し、その勢いを駆って南軍はオックスヒルの戦い、アンティータムの戦い、そしてゲティスバーグの戦いへと続くのである…。 「ゲティスバーグの戦い」 1863年7月1日、ペンシルバニア州アダムス郡ゲティスバーグにおいて、その運命の戦いは始まった。北軍9万4千人、南軍7万2千名もの兵士が激突したゲティスバーグの戦いである。アメリカ合衆国軍である北軍と、アメリカ連合国軍である南軍が残るすべての兵士を終結させ戦った、南北戦争最大の激戦であり、事実上南北戦争の結果を決定づけた戦いでもある。ゲティスバーグは、鉄道や主要な道路が集まる交差点であり、地勢的に重要な拠点であった。両軍はそのことを十分認識していながら今までゲティスバーグでの戦いが起きなかったのは、両軍ともここで戦闘すれば必然的に全軍死力を尽くしての大規模な戦いになると理解していたからである。 『クラッシュオブジャイアンツ:南北戦争』は、GMT社のクラッシュオブジャイアンツシステムでアメリカ南北戦争の会戦、「第二次ブルランの戦い」と「ゲティスバーグの戦い」を再現した2in1のゲームです。第一次世界大戦の戦いを再現する定評あるクラッシュオブジャイアンツのシステムを、南北戦争の会戦に流用し、シンプルなルールでありながら、ダイス目の結果により各部隊の移動可能ユニット数が変化するという、当時の命令伝達状況を再現している好ゲームです(アクティブコマンドマーカーシステム)。 #第二次ブルランの戦い #ゲティスバーグの戦い #南北戦争
2本 Clash of Giantsシリーズ 作戦級 1Turn=4時間 1エリア=270ヤード(ゲティスバーグ)500ヤード(ブルラン) 1Unit=旅団ちょこ大佐