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日本初の地下鉄開通と絵葉書
記念乗車券とは違うのですが、地下鉄の絵葉書を。 12月30日は浅草-上野間に日本で最初の地下鉄が開通した日。 昭和2年、東京地下鉄道によるもので、今の銀座線の一部ですね。 うちにこのときの絵葉書セットがありましたので貼ってみます。 8枚セットですがミューゼオは8枚までしかアップできないので封筒含めると絵葉書は7枚しか貼れませんから、似た図柄の1枚は省略しました。 1枚目:封筒。東京地下鉄道の社紋が大きく入ってます。この社紋は現在の銀座線1000系のうち2編成のリバイバル装飾車にも付いてます。 2枚目:田原町駅で電車に乗るお客さん。数人の男性客しかいないように見えますけど、暗くて分かりにくいですが、奥の方にも多くの人の姿っぽいものが見えます。 3枚目:1000形電車の全景。現在も1両が地下鉄博物館で静態展示中で中にも入れます。右端の車両縁に見える縦長のものは「安全畳垣」と呼ばれる転落防止用の折りたたみ式の柵。今の転落防止幌のハシリです。昭和14年ごろ撤去されたらしいです。撮影場所は地上なので、開通と同時に開設された「上野電車庫」と思われます。 4枚目:稲荷町駅構内と電車。電車の前照灯が照射されているように見えますが、電車は左側通行で、これはケツ打ち写真のはずだから、おそらく加工(描き込み)されたものと思われます。 5枚目:10銭白銅の硬貨を入れて通る自動改札機。写真の中央に白い縦長の箱が写ってますが、ここにお金を入れて通るターンスタイル。改札機は米国からの輸入品(GE製、価格1000円)で、11台導入されたそうです。バーの下を頭が当たらずに通れる子供は無料だったとのこと。客も当然不慣れで、1分に10人程度しかさばけなかったため、3年ほどで姿を消したそう。これのレプリカが銀座線上野駅に展示されてます。 6枚目:上野駅と浅草駅の地上出入り口の写真をあしらった路線図。人がいっぱい写ってますが、当時は物珍しさから客が殺到し、駅にたどり着いても乗るまでに行列で2時間待ちだったらしい。 7枚目:「内部の美観」というタイトルで、車内を写したもの。斜めに跳ね上がったつり革は「リコ式」と呼ばれるもので、革じゃないので「つり手」。むかし電車に乗っているとカーブで揺れた際など、つり革が荷棚に当たってカチャンカチャンとうるさかったですが、その騒音防止、前後方向は固定のため加減速時の立ち客の安定性のため、金属製なので可燃性でないという安全性のために導入されたもの。戦後も銀座線だけでなく、丸ノ内線、日比谷線、東西線の車両にも導入され、私も通学や通勤でお世話になりました。バネ式で、こちらに寄せる際は結構手応えもあり、普通のつり革よりは確かに安定感ありました。ただ、手を放したときに他の客の頭に当たる事案で苦情もあり、廃止されてます。 8枚目:人のあふれる階段。今とさして変わらぬラッシュ。当然エスカレーターはありません。日本初のエスカレーター設置は日本エレベーター協会によると、大正14年の三越呉服店とのこと。駅で初めてエスカレーターが設置されたのがどこかは分かりませんでした。一方、エレベーターが地下鉄駅で日本で最初に設置されたのは何と大阪の喜連瓜破(きれうりわり)駅というのが意外でした。 #地下鉄 #東京地下鉄道 #帝都高速度交通営団 #東京メトロ #銀座線 #記念絵葉書
絵葉書 東京地下鉄道 東京showa_express
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東急東横店もついに閉店か・・・
昭和10年11月に東京宝塚で行われた花組公演の宣伝ハガキ。 演目は1日から13日までが「夜鶴双子」「踊くらべ」「マリオネット」の3本、14日から26日までが「靈泉(れいせん)」「奴道成寺」「マリオネット」の3本と、なかなか豪華。 昭和10年の「夜鶴双子」は各種サイトでは「夜鶴双紙」と紹介されることもありますが、どちらが正しいのかは分かりません。 阪急の公式サイトにあるポスターでは昭和10年公演は「夜鶴双子」、昭和23年の公演では「夜鶴双紙」と印刷されています。 この葉書の下についている広告は東横百貨店。 宝塚を始めた阪急の小林一三と東急の五島慶太は「西の小林、東の五島」と称される鉄道王ですが、小林の経営・開発手法を五島が積極的に取り入れたり、五島が事業の相談にも乗ってもらっていたため、そんな縁から広告を出したのかもしれません。 偶然でしょうが、後に東急百貨店となった白木屋も宝塚に広告をよく出稿していました。 そういえば、東横百貨店にルーツを持つ渋谷の東急東横店が令和2年3月31日をもって閉店するというニュースが流れました。 この東横百貨店は阪急がやっていたような、自社の鉄道に直結するターミナルデパートとして昭和9年に開業したもので、この建物自体は後の東急東横店東館となり区画整理で平成25年に営業を終了していますから、東横百貨店の建物はすでに消滅しているわけです。 令和2年に閉館されるのは戦後に増築され現在も残っている西館と南館とはいえ、やっぱり寂しさがありますね。 東急百貨店に商号変更したのは昭和42年なので、昭和の半分以上は東横百貨店だったことになります。 2枚目のマッチラベルは東横百貨店のものです。 どうでもいいけど、ガキのころ目蒲線沿いに住んでいたおいらは、母親に連れられ渋谷東急の屋上でよく遊んでいたらしいです(笑) #宝塚少女歌劇 #花組 #広告ハガキ #マッチラベル #東横百貨店 #東急東横店
宝塚少女歌劇 広告ハガキ 東京showa_express
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昔のサラ金
セメントで有名だった浅野財閥系「日本晝夜銀行」のマッチラベル。 「晝夜」は今の文字で書くと「昼夜」で、その名のごとく営業時間は朝9時から夜の8時まで。 お勤め人にはなかなか便利そうな営業時間ですが、これはどうやら普通の銀行ではなさそう。 調べてみたら、小口融資専門の、いってみればサラ金ですな。 いろいろ合併(というか吸収)されまくって、最終的には現在のみずほ銀に繋がっているそう。 この昼夜銀行の融資要件は非常に興味深く、そのことについて書かれた記事が神戸大学の新聞データベースに残っていて、それによると: ・25歳以上で家庭があり ・東京市内及び近郊に居住し ・役所や官庁、あるいは相当なる銀行に2年以上勤務している人物 でないと貸してもらえないらしい! つまり、25歳未満で独身の人間は身軽なので借りたまま逃げる恐れがあり、 東京と近郊以外の人間は、その距離の遠さから取り立てが面倒で、 勤め先が役所はともかく、相当な、すなわちしっかりした銀行ならば会社が潰れて回収不能になることもない、 という、なかなかシビアな条件だったようです。 利用目的としては高利貸しへの返済、教育費、出産費用、医療費だったというから、現代にも通じるものがありますね。 #マッチラベル #戦前 #銀行
マッチラベル 東京 戦前showa_express
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昭和11年6月雪組公演の入場券
昭和11年6月、東京宝塚での雪組公演のチケット半券。 公演内容は「黒木御所」「タンホイザーの幻想」「太刀盗人」「ロザリータ」の4本とのこと。 ※出典:宝塚歌劇90年史「すみれ花歳月を重ねて」 #宝塚歌劇 #チケット半券 #東京 #戦前
宝塚少女歌劇 チケット 東京showa_express
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陸の王者の卒業記念
慶応大学の卒業記念にOB会組織から配られたとみられるピース。 '60とあるから昭和35年でしょうか。 今はそうでもないでしょうが、学生はふつうにタバコ吸ってましたから十分有り得る記念品ですね。 #タバコパッケージ #昭和 #慶應義塾 #ピース #専売公社
タバコパッケージ 東京 昭和35年showa_express
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隅田公園のプール
関東大震災の復興公園としてつくられた隅田公園のスタンプ。 開園したのは昭和6年とのことで、年表を見ると同じ年に大プールが、翌年には子供用プールもできたそう。 公園は墨田区側と台東区側に分かれており、このプールがあったのは台東区側。 ただ、こんな飛び込み台があったとかは書かれてないので、よく分かりません。 #スタンプ #戦前 #隅田公園
スタンプ 東京 昭和10年showa_express
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国会議事堂落成記念
現在の国会議事堂が竣工したのは昭和11年なので、その年につくられたとみられるスタンプ。 正面に向かって左が衆議院、右が貴族院(参議院)。 #スタンプ #戦前 #国会議事堂
スタンプ 東京 昭和11年showa_express
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満州国皇帝の来訪
日本と満州の友好を促進するため昭和10年4月に来日した満州国皇帝・愛新覚羅溥儀。 これは来日を記念したスタンプで、押印日は来日翌日の4月7日。 切手も同じく来訪を記念して発行されたもので、こちらには溥儀が来日する時に乗艦した日本の戦艦・比叡が描かれている。比叡は観艦式で天皇陛下の御召艦にもなっている由緒ある艦。 比叡の描かれた切手はこの1銭5厘のものと、同じ図柄で色の赤い6銭のものの2種類。 来日記念の切手はこれを含め4種発行されたらしい。 #スタンプ #戦前 #満州国 #愛新覚羅溥儀 #戦艦比叡 #海軍 #エンタイア
スタンプ 東京 昭和10年showa_express
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乃木神社
赤坂にある乃木神社のスタンプ。 明治天皇に殉死した乃木将軍夫妻が祀られているので、例祭は命日の9月13日。 乃木坂は、この殉死を悼み改名されたもので、江戸時代には幽霊坂と呼ばれていたらしいです。 #スタンプ #戦前 #乃木神社
スタンプ 東京 戦前showa_express
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預けたらヤバそうな銀行
悪気があってつけた名前じゃないんだろうけど、銀行にこのネーミングはねえ。 「あかじ」じゃなく「あかぢ」だけれども。 なんで「あかぢ」なのか、長いですが説明を書きます。 もともとは明治10年にできた「第二十七国立銀行」というのがあり、大正9年に「東京渡辺銀行」と改称。 この銀行を経営していたのは渡辺治右衛門(わたなべ・ぢえもん)という人物で、東京・日本橋の豪商「明石屋」の御曹司だった。 なんで「明石屋」かというと、初代が兵庫の明石から上京して店を開いたかららしい。 で、「明」石から来た渡辺「治」右衛門ということで、この初代は「あかぢ」と呼ばれていたそうで、家を建てるために買った土地が現在の千代田線根津-千駄木間の東側の土地だったのだけれども、坂の上にあったので、その坂も「明治坂(あかぢざか)」と呼ばれていたんだとか。 それはさておき、この東京渡辺銀行が姉妹銀行として設立したのが零細預金者向けの「あかぢ貯蓄銀行」。 零細だから「赤字」ということでなく、純粋に自分らの呼び名の「明治(あかぢ)」から付けただけと思われます。 なんで漢字の「明治」を使わず平仮名の「あかぢ」にしたのかはナゾですが、やはり漢字では「めいじ」と読まれてしまうのと、同じ時代に読み方が「めいじ」である全く別の「明治銀行」というのが愛知県にあったからと思われます。そこらへんは資料がないので全くの類推ですけども。 なお、東京渡辺銀行は放漫経営だったところにもってきて、1927(昭和2)年の帝国議会で大蔵大臣が「渡辺銀行が破綻した」と失言し、この直後に東京渡辺銀行と、関連のある「あかぢ貯蓄銀行」は休業し、取り付け騒ぎへと発展しました。 これが昭和金融恐慌のきっかけと言われています。 しかしながら放漫経営でヤバかった東京渡辺銀行は「預金を払い戻さなくて済む」と、休業できたことをむしろ喜んでいたという話もあり、実際、取り付けが起きても預金者へはただの1銭も払い戻されなかったというから、実にエエ加減な銀行ですね。 てことで、やっぱり赤字になったじゃん! #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #銀行 ※明治坂について説明しているサイト:(ルビは「あかじ」になっている) http://www.sakagakkai.org/profile/taito/akaji.html
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ヨクキククスリ
百花園とか江戸川電停際という地名や電話局も墨田なので、東京東部のお店のようですね。 カフェー系によく使われる図柄を使い回した、いや、インスパイアされた薬局の広告マッチ。 使い回しは結構多く、似た図柄で自動車を掴んだ、タクシー会社のラベルもあります。 何の薬か分からないけどヨクキククスリ。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #薬局
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投票に行かないと粛清されちゃうのは嫌だなあ
選挙権があるのに投票に行かない奴は消毒だ! 投票率を上げるためとはいえ、シュクセイされちゃうのは嫌だなあ・・・仕方ない、投票所に行こう。 というわけではなく、シュクセイの字は「粛清」ではなく「粛正」。 買収とか贈収賄による不正を廃し、清き一票で人を選ぼうという「選挙粛正運動」。 それをPRしているのが、このマッチラベルで、これは芝区役所と表記されていますが、市や県単位のもなどいろいろ残っています。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #選挙
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