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昭和11年特別大演習観艦式の記念乗車券
昭和11年に神戸沖で行われた特別大演習観艦式に際し発行された神戸市電気局の市バス記念乗車券。 観艦式や艦隊の入港があると記念乗車券や記念スタンプ、絵葉書、便乗の広告マッチがよく発行された。 この年の観艦式は参加100隻、航空機100機でそんなに多くない。 御召艦は前回に続き比叡。 #記念乗車券 #神戸市電気局 #観艦式 #戦前
特別大演習観艦式 記念乗車券 神戸市電気局showa_express
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地下鉄東山線の開業記念いろいろ~乗車券編
名古屋の地下鉄東山線のうち、最初の区間である名古屋-栄町間が開通したのは昭和32(1957)年のきょう11月15日。 発行された記念乗車券や試乗券が手元に4種類ありました。 順番に、 1:記念乗車券 2:記念の試乗券 3:市バス用の記念乗車券 4:市電用の記念乗車券 特に1枚目の記念乗車券は比較的数が残っており、古物商関係やネットオークションでもちらほら見かけます。 2枚目の試乗券は開業日から有効だったのではなく、12月10日から20日までの使用期間となっています。 これより少し早い11月21日から30日までが使用期間となっているものもあり、そちらは券面がピンク色です。 3枚目と4枚目は同じ市営交通ということで発行されたバス用と市電用のもの。 バス用は名古屋-栄町と漢字書きですが、市電用はアルファベット。 市電用の券に描かれているのは名古屋駅(旧駅舎)とテレビ塔。 なおこの当時は東山線という路線名はまだなく、役所的には1号線で、利用者からはただ単に地下鉄と呼ばれていました。 栄町はその後「栄」に、途中駅の伏見町も「伏見」に名称変更されました。 2~4枚目に使われている半円に「ハ」が伸びている図案は地下鉄のマークで、トンネルと名古屋市の市章である「丸八」の「八」をかけ合わせたもの。 若干のリファインが加えられ、現在も使われています。 #名古屋市営地下鉄 #東山線 #開通記念 #記念乗車券
地下鉄名古屋-栄町開通記念 記念乗車券 名古屋市交通局showa_express
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丸ノ内線全通記念乗車券
昭和34年3月15日に丸ノ内線が霞ヶ関から新宿まで延伸開業した際に発行された記念乗車券。 この時点で新宿-荻窪/方南町は一応着工されてはいたのですが、この記念乗車券に記されている通り丸ノ内線は「全通」の扱い。 新宿より西の区間が「荻窪線」という呼称に決まったのは翌年の昭和35年のことではありますが、新宿まで延びたこの時点ですでに別の路線名で呼ぶことは決まっていたような扱いですね。 この乗車券は開業当日に使用されたもので、郵便スタンプで言うところの「初日印」のようなもの。 入鋏は新宿三丁目駅で(伊)とありますので、「伊勢丹方面改札」を表していると思われます。 比較的多めに残っている記念乗車券なのでレア度は低いです。 昭和34年時点で増備されていた車両はすべて500形で、この年に竣工した車両は606~610と620~644の合計30両。 606~610は日立、620~632が近畿車輛、633~640が東急車輛となっており、先行表示機の左右に標識灯のついているほぼ最終グループ。 このうち620、623、624、633、634、637、639、640の8両は後にブエノスアイレス入りした131両の一部です。 2016年に日本に里帰りした4両には含まれていません。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #営団地下鉄 #丸ノ内線
霞ヶ関-新宿開業記念 記念乗車券 昭和34年showa_express
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ちまちま延びる丸ノ内線
昭和29年に池袋から御茶ノ水まで開業した丸ノ内線。 2年後には800メートル先の淡路町までやってきました。 まさか将来、千代田線や都営新宿線とも乗り換えできる駅になるとは・・・ 4カ月後にはもう2駅先の東京まで開業し、翌年には西銀座まで、さらにその翌年には霞ケ関までと、まるで匍匐前進のように路線が延びていきました。 今だったら券売機やサーバー、路線図の変更などなど、その都度ちまちまやってたら手間ばっかかかるのであり得ませんが、当時は他の地下鉄とも繋がってないし、少しでも早く便利に、という考えだったんでしょうね。 流れる車両側面のサインウェーブがきれいなデザイン。 丸ノ内線の記念乗車券の中ではまあまあレアな部類には入りますが、それでも星は2つだなあ。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #地下鉄
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和31年showa_express
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日本で4番目の地下鉄
丸ノ内線で最初の開業区間は池袋-御茶ノ水間で、開通は昭和29年1月20日。 これはそのときの記念乗車券。 開業にあたって赤い300形の3両編成10本が導入され、朝夕ラッシュ時3分30秒間隔、昼間4分間隔で運転されたそうです。 記念乗車券に描かれているのはこの300形。 サインウェーブまでは描かれていません。 このときの車両でトップナンバーの301は地下鉄博物館で静態展示中で中も見られます。 もともと丸ノ内線は1期工事では池袋から神田までを予定していたものの、御茶ノ水-神田間の道路の狭さから設計段階で諦め、御茶ノ水までとなったとのこと。 開業時の運賃は15円均一。 営団として初の、日本の戦後でも初の地下鉄開業となりましたが、日本全体では4番目に開業した地下鉄というのが意外なところ。 実は戦時中の昭和17年(5月10日)に3号線(現在の大トロ四つ橋線)大国町-花園町の1区間が本邦3番目の路線として単線開業していたのでした。(1番目:銀座線、2番目:御堂筋線) ※逓信省地下鉄道や宮城電鉄仙台、京阪京都など戦前の鉄道地下区間は地下鉄の概念に含めず #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #丸ノ内線 #地下鉄
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和29年showa_express
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地下鉄はどこから入れるの
昭和39年12月23日に最初の区間が開通した東西線。 そのときの記念乗車券。 高田馬場-九段下間のため地上区間はなく国鉄ともつながっていなかったので、車両はまだ開通していなかった工事中の九段下-竹橋間のトンネル直上からクレーンで吊り下げて搬入しました。 作業は東京五輪終了後に行い、1か月半かかったそうです。 運賃の20円は東西線特定運賃で、他線区は4キロ20円のところ、東西線は建設費など償却のため3キロ20円とのこと(出典:メトロアーカイブによる)。 車両は5000系3連6本(18両)の陣容。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和39年showa_express
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日比谷線全通記念
日比谷線で最後まで開通していなかった霞ケ関-東銀座がつながり、今と同じ形になったのは五輪開幕直前の昭和39年8月29日。 これをもって伊勢崎線に加え西端で東横線とも直通運転を開始しました。それを記念して発行された乗車券。 大して珍しい券ではありません。 この路線の直通運転は伊勢崎線直通は中目黒発、東横線直通は北千住発で、現在他線での相互乗り入れでは普通である3線(ないし4線)通し運転の列車はありませんでした。 日比谷線の編成の中には3直可能な3社ATS搭載編成と自社以外東武ないし東急のATSにしか対応していない編成が混在していたことによります。 北越谷発日吉行きはなかったわけです(一応)。 また、編成両数は6連24本と4連10本の2種類あり、全編成6連化されたのは昭和44年9月。 8連化完了は昭和46年5月でした。 しかしま、将来東横線への直通が中止されることになるとは誰も想像してなかったでしょうね。 日比谷線車両が南北線、三田線に加え副都心線の車両とも並ぶ姿を夢想したものですが・・・ (副都心線開業前の車両お披露目運用では実現) #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #日比谷線 #東急東横線 #東武伊勢崎線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和39年showa_express
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スカート履いてたんです
日比谷線で一番最初に開通した区間は昭和36年3月28日の南千住ー仲御徒町間。 これはその時の記念乗車券で、新橋駅で入鋏されてますね。 イラストでは長い編成に見えますが、この時代の日比谷線は2両編成で、8編成16両の陣容。 先頭車にアルミ製のスカートが付いているのが最大の特徴で、連結器はこの中に押し込まれていました。 2両編成だったのはこのときまでで、翌年の南千住-北千住、仲御徒町-人形町開通で4連化されています。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #日比谷線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和36年showa_express
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営業100キロ突破記念~日比谷線バージョン
営団地下鉄営業100キロ突破記念の最後の1種類は日比谷線バージョン。 昭和44年時点での日比谷線は北千住-中目黒全通から5年たっており、伊勢崎線と東横線に直通していた。 描かれている車両は3000系で、当時は4500形を組み込んだ6両編成。 3500形組み込みによる8連化が完了したのは昭和46年(5月)になってから。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #日比谷線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~丸ノ内線バージョン
5種類ある営団地下鉄営業100キロ突破記念乗車券のうちの丸ノ内線バージョン。 赤い500形が描かれてますが、マニアックなことを書くと、方向幕の両脇の方向標識灯がないので昭和35年以降製造グループ。車番は645以降。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #丸ノ内線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~銀座線バージョン
営業100キロ記念の銀座線バージョン。 銀座線の営業距離は長らく14.3キロだったが、現在の渋谷駅工事が終わると130メートルほど短くなる予定。 描かれているのは01系導入まで主力だった2000形。 銀座線引退後は一部が日立電鉄と銚子電鉄に改造のうえ譲渡されたが、日立電鉄は廃線になり、銚子の2両も引退済み。銚子では1両を車庫で保管している。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #銀座線 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~千代田線バージョン
営団地下鉄の営業100キロ突破記念乗車券の千代田線バージョン。 昭和44年12月20日に北千住-大手町で開通した千代田線は、6000系が竣工していなかった関係で、東西線と同様の5000系で営業をスタート。 この乗車券の絵柄を見ると長めの編成に見えるけど、開通当初は3両編成(10編成:計30両)でした。 しかし1年後の昭和45年12月14日には中間2両を増備し5連化。 ただ編成数は変わらず10編成。 昭和46年になり3月20日の大手町-霞ケ関延伸開業と、4月20日の北千住-綾瀬延伸及び常磐線直通運転をもって10連化されました。 5000系は5連2本を繋げ10連化(10連×5本)し、6000系は13編成新造し、千代田線は両系列合わせ18編成の陣容となりました。 千代田線の5000系は東西線のお古ではなくレッキとした新造車で、製造年も6000系と2年しか違わないにも関わらず、乗客からは「ハズレ」的な印象で見られていたようです。 代々木上原開業後も残っていましたが、小田急への直通はありませんでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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営業100キロ突破記念~東西線バージョン
昭和44年の12月20日に千代田線の大手町-北千住が開業し、営団地下鉄の営業キロが100キロを超えたことにちなんで発行された5種類の記念乗車券。 これは東西線バージョン。 東西線は同じ年の3月29日に中野-西船橋が全通しており、営業距離では30キロ超と、今現在でも東京メトロで最長の路線となっている。 この時代の2位は丸ノ内線の27.4キロ(方南町支線3.2キロ含む)だが、現在では有楽町線(和光市-新木場28.3キロ)に抜かれ3位となっている。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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末広町から50円
東西線が大手町から東陽町まで延伸開業した昭和42年の記念乗車券。 どことなく日比谷線3000系っぽいけど、思い切りの良い省略っぷりの5000系が描かれてますね。 乗車券としては東西線とは関係のない末広町からの50円券。 東西線なのに東西線の駅発になってませんが、この時代の営団地下鉄はそういう記念乗車券が結構ありました。 同じ記念乗車券がもう1枚ありますが、そちらはちゃんと九段下になってます。 50円券ですが、昭和42年時点での営団地下鉄初乗り運賃は30円で、これは昭和41年からの額。 40円に値上がりしたのは昭和47年からで、その後60円、80円と推移し、3桁の100円になったのは昭和57年からでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和42年showa_express
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大雑把過ぎる5000系
あまりにも大雑把な5000系の描かれた東西線全通記念の乗車券。 ヘッドライトぐらい描けよなあ・・・ 東陽町から西船まで延びて両端で国鉄との乗り入れが始まっったわけですが、混雑する国鉄総武中央線のバイパスが目的だったから、開通当初の延伸区間沿線は人なんてろくに住んでおらず田んぼだらけ。 当然土地も安いから地下ではなく高架で建設したわけです。 昭和40年代後半に親戚の一人が浦安に越しまして。 ディズニーランドもあるわけなく、みんなで「うらやす? 何やそれ? 初耳~」などと笑っていたんですが、こんなに有名になっちまうとは! #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express