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オリエント(10本入)
日本初のトルコ巻タバコ。 トルコ葉は、その独特の喫味と芳香が好まれ、また原産地域が限られるうえに葉が小さいなどの稀少性により、古くから高級品とされています。専売制度開始以来、「スター」をはじめとするヴァージニア葉製品が浸透する中で、トルコ葉による外国製品も多く輸入されましたが、国産葉とのブレンド製品として開発・発売されたのがこの「オリエント」です。 外箱は平箱で10本を横一列に納めるスタイル。トルコ葉製品のスタンダードな様式を踏襲し、表面の旭光とエジプト人(?)は、当時のタバコの意匠としては非常に細かく書かれてあります。エジプト人と菊花の取り合わせは、「トルコ葉と国産葉のブレンド」をイメージさせたもの、ともいわれています。 吸口は「コルク口」と称してコルクを巻いてありました。現在、フィルター部分に模様入りの茶色用紙を巻くことがありますが、これはこの「コルク口」の名残といわれています。 表面【画像1】 1905年3月9日~ 12銭で発売開始 1907年10月1日~ 15銭へ価格改正 1917年12月1日~ 18銭へ価格改正 ☆23銭価格改正印押捺【画像2】 1919年8月6日~ 23銭へ価格改正【画像3】 1925年11月7日~ 30銭へ価格改正 1930年8月20日 製造中止 [1963 大熊] [1979 日本専売公社]
平型小箱 堀 規矩太郎 1905年3月9日 1930年8月20日shirotanino
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アルマ(10本入)
「オリエント」・「ナイル」に続くトルコ葉を使用した高級品。 「オリエント」が国産葉とのブレンド品であったのに対し、「ナイル」・「アルマ」は純トルコ葉製品としてより高級品の位置づけで発売されました。「アルマ」は吸口に金箔が巻かれた「金口」でした。 「アルマ」は「オリエント」・「ナイル」に比較して、よりトルコ葉製品らしい極彩色の装いでデザインされています。正面にヌーボー様式の飾り枠をとって大きく女性の横顔、周囲にフラミンゴの遊ぶ水辺を描き出し、他の銘柄とは明確にその趣を異にしています。素材葉の原産地イメージを前面に押し出した、エキゾチックな意匠であることは「ナイル」と同じでしたが、点描式製版印刷としては、その当時の技術水準をはるかに超えた傑作との評価が与えれています。また、内小箱も全面エメラルドグリーン刷りに白抜き文字と贅沢な作りでした。 製品イメージとして女性の肖像を用いることは、民営製品・輸入製品ではよく見られました、専売局の製品としては唯一のものでした。10本入小箱のほか100本入(ブリキ缶)がありました。 1909年2月26日~ 20銭で発売開始 ・印篭型小箱で発売、価格ゴム印押捺。 1910年3月22日~ ・シェルアンドスライド小箱へ変更 1917年12月1日~ ・25銭へ価格改正、価格ゴム印押捺【画像1】 1919年8月6日~ ・32銭へ価格改正、価格ゴム印押捺【画像2】 ・価格裏面印刷【画像3】 1925年11月7日~ ・40銭へ価格改正【画像4】 1930年8月20日廃止 ・内小箱の全景【画像5】 [1961 日本専売公社] [1963 大熊] [1988 アフィニスクラブ]
印篭型小箱 堀 規矩太郎 1909年2月26日 1930年8月20日shirotanino
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アイリス(20本入)
明治時代最後のタバコ。 50本未満の容量のものには珍しく、蓋付きの缶入りで発売されました。『光琳画帖』をもとにデザインされた菖蒲は、従来の日本画調から離れ、より単純化されたものの「図案」としての進化を見せています。残念ながら展示の品は、経年変化のために地色が剥落し、菖蒲の藍、葉の緑が褪せていますが、発売当時は金箔貼の屏風を思わせる優美な装いであったことが想像されます。 明治から大正にかけて、輸出対象となった銘柄には「Monopoly Bureau」・「Imperial Japanese Government Monopoly 」などの英文が添えられていましたが、「アイリス」は特に「Special Quality」の一文が添えられており、高級品種をセールスポイントとしていたことが読み取れます。 20本入りのほかに輸出用として、10本入小箱ならびに50本入が存在しました。 1912年2月3日~ 20銭で発売開始【画像1_3】 ・1915年11月25日 製造中止 ※10本当たり10銭という価格は、専売創始3品種の筆頭である「スター」よりも高額であった。 [1961 日本専売公社]
蓋付缶 堀 規矩太郎 1912年2月3日 1915年11月25日shirotanino
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八千代 (20本入)
大正という時代は、急速な近代化を経験した明治と、荒廃と復興を経験した昭和に挟まれていささか目立たない印象があります。しかしながら、その短い期間に、政治・文化ともに内外の影響を受けて、新しい思潮が生まれ花開いた時代でもありました。 タバコは、わずかに発売された6種類の内、その半数以上が記念銘柄で、その筆頭にあげられるのがこの「八千代」です。御大典(大正天皇即位)記念として発売され、わが国の記念タバコ第一号でもあります。雅楽の大太鼓に幔幕、松と楓など御大典を象徴させる事物を抑え気味の色調で描き出し、一部に金色を配して荘重さを際立たせています。また、7色の多色刷りであることも特筆されます。 タバコの包装本体に記念を意味する言葉は入れられていませんが、専売局創設以来始めて専用の「販促ポスター」が作られ、記念の趣旨が大きく宣伝されました。初の記念銘柄としての気合いの入れようが窺えます。また本品は、樺太の居留法人向けに一部輸出されていたことが知られています。 1915年10月20日~ 10銭で発売開始【画像1】 ・表面拡大【画像2】 ・裏面拡大【画像3】 1917年3月31日 製造中止 [1961 日本専売公社] [1973 田中]
縦型打抜包装 堀 規矩太郎 1915年10月20日 1917年3月31日shirotanino
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ほまれ・ 譽( 20本入)
もとは、当時の清国へ向けての輸出品であり、5本入包装で清国の国花ボタンがあしらわれていました。 ゴールデンバット同様、かの地では人気が出ず国内用となり、その際に日露戦争(1904年)の戦勝を記念して交差した連隊旗と軍艦旗に意匠が改められました。「国民たばこ」と銘打った初の企画品で、20本入で5銭という低価格品のため、内包みを包む外包みについては、周囲を巻くように包装するだけで上下を閉じないという非常に簡素な包装が採用されました(のちに上下を閉じる一般的な包装になる)。 大正時代からは軍隊専用品となったが、嗜好品特有の中毒性が問題視された結果、ニコチンとタール量が抑えられることとなり、味気のないタバコとの評価もされました。「敵性語追放」によって「チェリー」や「ゴールデンバット」が改称されるのと前後して、品名も漢字一文字の「譽」と改められました。 ☆清国の国花をボタンと定めたのは慈禧皇太后(いわゆる西太后,1835-1908) ☆初期の品名『保万礼』を揮毫したのは仁尾惟茂(当時の専売局長官,1853-1932) 1908年5月17日~ 5銭で発売開始 1916年5月10日~ 軍隊専用に変更 1918年3月30日~ ・6銭へ価格改正、褐色印刷に変更【画像1】 1939年11月7日~ ・7銭へ価格改正【画像2】 1940年11月2日~ ・定価記載省略【画像3】 1940年頃 ・品名表記を変更、漢字で「譽」(岩城興一の揮毫)【画像4】 1944年以降 ・用紙、印刷簡略化。細巻に変更。用紙幅ならびに表面意匠に若干の変更が加えられた。【画像5】 ・包装形態を変更【画像6】 1945年8月15日廃止 ☆大阪府堺市にあった「聯隊酒保」という飲食店のビラ。調べて見たが現存しないようである。【画像7】
横型 堀 規矩太郎 1945年8月15日 1940年頃(岩城興一題:漢字品名)shirotanino
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スター(10本入)
専売制度開始時の両切3銘柄のうちの一つです。「スター・チェリー・リリー」の3銘柄のうち、「スター」はヴァージニア葉の配合率が最も高い高級品でした。 純和風なデザインの口付4銘柄に対し、アール・ヌーボー様式などの「最先端」の美術様式を取り入れた洗練されたデザインですが、1908年ごろまで製造されていた輸出製品には海国日本を象徴させるものとして表面下部に軍艦がデザインされており、この間、2種類の「スター」が存在していました。 永く高級ヴァージニア葉製品として愛用されていましたが、昭和恐慌後に売れ行きが変化し、その他の高額製品ととも整理対象となり1931年に廃止されました。 1904年6月29日~ 7銭で発売開始(金色☆に軍艦デザイン) 1905年4月17日~ 白色☆に変更 【画像1】 1907年12月28日~ 8銭へ価格改正【画像2】 1919年 8月 6日~ 12銭へ価格改正【画像3】 1925年11月7日~ 15銭へ価格改正【画像4】 1929年2月27日~ 外箱の貼り合わせ位置変更【画像5】 1931年8月20日廃止 [1985 日本専売公社]
シェルアンドスライド(小箱) 堀 規矩太郎 1905年4月17日(白色☆) 1904年6月29日(金色☆と軍艦)shirotanino