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鵬翼(20本入)
「鵬翼」は、 販売中の銘柄間の価格差を改称する目的で、中間価格品として発売されました。また、販売時の合理化を考慮して、10本入と20本入の2種の包装が用意された初の銘柄でもありました。 1944年5月にはより低価格品であった「金鵄」でも10本入と20本入の併行販売がはじまりますが、すでに「ばら売り」も広く浸透しているような状況でした。 1941年12月18日~ 30銭で発売開始 ☆3色印刷 雲影灰色【画像1】 1943年1月17日 50銭へ価格改正 【画像2】 ☆底面より「ほうよく」削除【画像3】 ☆戦時負担額の併記開始 1943年12月27日 70銭へ価格改正【画像4】 1944年3月28日 ☆1色刷に変更 【画像5】 1945年3月 90銭へ価格改正(ただし新装品未発売) 1945年1月製造中止
U字型 田中冨吉 1941年12月18日 1945年1月shirotanino
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新生(太巻20本入)-沖縄向け輸出用
1952年のデザイン変更時から輸出されていましたが、専売公社の旧証票分は存在しないようです。 当初、琉球政府では、本土からの輸入銘柄について、独自の納税済印を押捺していました。後に、本品のように納税済印は刷り込まれるか、同じ仕様のシール貼付が行われました。 【画像1】全景 【画像2】納税済印拡大
U字型 田中冨吉 ? 1952年?shirotanino
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しんせい(20本入)-その1
店頭売りが当たり前であった当時、筆記体の旧「Shinsei」が紫外線の影響によって色褪せしやすいことが指摘され、改装されることになりました。 しんせいは、1947年の販売開始以降、価格と品質のアンバランス、宝くじの付加販売、半額で売り尽くしの対象となるなどトラブルの多い銘柄でしたが、太巻で1950年に再発売されて以降、連年の上位3傑入りで売りれが続出する人気銘柄になりました。1954年には販売量でトップに躍り出て、以降1960年にフィルター付きの新顔「ハイライト」にその座を譲るまで不動の地位を保っていました。 そうした背景もあり、改装にあたっては「デザインをもとにした試験販売」が行われました。調査開始当初は目新しいものの売れ行きは高いが、期間が経てばそれも落ち着き現行の品物が売れるとの結果が得られたましたが、色褪せ対策のために僅差で次点をつけたデザインに変更されました。 1957年11月~ ☆新デザインで発売開始【画像1】 ☆上部に切れ込みのあるものが初期型 1958年初頭~ ☆デザイン一部改正。上部の切れ込み長さを変更【画像2】 1958年5月頃~ ☆デザイン一部改正。切れ込みが上下に入る。【画像3】 ☆「N」字体に修正が加えられる 1968年5月1日~ 50円へ価格改正 ☆「定価改定済シール」(10円用紫色)貼付【画像4】 ☆「定価改定済シール」(共通用赤色)貼付【画像5】 【画像5】アルミ箔包装開始 ☆封緘紙の使用によって新価格品であること表示。 ☆同時に新価格品として色調が変更されたものが発売開始
U字型 戸田 信孝 1968年5月1日(価格改正表示色調変更) 1957年11月shirotanino
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憩(20本入)
戦後第2回のタバコデザイン公募時に、「ハッピー」とともに採用されたもの。 応募デザインは「緑-Midori」であったが、公募に先立って行われた調査において、「憩う、安らぐ」という趣向が求められているとの結果に基づき「緑-Midori」原画のデザイン構成をそのままに、名称を「憩-Ikoi」と改作、文字を赤色にし明るい雰囲気に改めた。 【画像1】1948年7月3日~ 80円で発売開始 ☆「日本政府専売局」左書 【画像2】1949年4月1日~ ☆「日本専売公社」発足、証票変更 ・1950年4月1日~ 60円へ価格改正 ☆在庫処理のため値下げ ・1951年4月1日~ 50円へ価格改正 ☆減税政策の一環として値下げ 【画像3】時期不詳 「日本専売公社」字体と証票の位置を修正。 ・1951年2月には製造中止
U字型 田中冨吉(懸賞入選作修正) 1951年2月(製造中止) 1948年7月3日shirotanino