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敷島(20本入)-その3
大正期の人気上昇を得て、昭和初期の恐慌による銘柄整理などを生き延びた「敷島」ではありましたが、終焉の時を迎えます。 1941年11月、35銭への価格改正時に、それまでの縦型および横型の打抜包装を廃止して、一般的な横平型の包装へ転換されました。すでに「朝日」は、同年3月に廃止予定の「錦」の生産ラインを用いて、平型包装製品の供給をはじめるなど、生産現場の合理化がすすめられていました。太平洋戦争の開戦は、この年の12月のことです。 太平洋戦争のさなか1943年6月に製造が中止されましたが、他の銘柄が「敵性語追放」による名称変更や資源節約による「印刷色数の削減、省略」などでその姿を大きく変えてゆく中で、唯一専売創始以来の「偉容」を守った銘柄でもありました。 1941年11月1日~ 35銭へ価格改正 【画像1】 同 ☆用紙裁断 左開き【画像2】 1943年1月17日~ 65銭へ価格改正 【画像3】 1943年6月以降~ ☆戦時負担額併記 【画像4】 同 ☆用紙裁断 左開き【画像5】 1943年12月27日~ 1円に価格改正 (1943年6月下旬製造中止)
横型 1941年11月 本多忠保 1943年6月下旬製造中止shirotanino
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敷島(20本入)-その1
『「敷島」の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花』本居宣長(1730-1801) 専売局発足時の、口付4銘柄の筆頭にあげられる記念すべき銘柄です。その名称は先にもあげた本居宣長の和歌より採られ、デザインは和歌の浦の風景をモチーフにしたと言われています。意匠作成者は本多忠保(1853-1914)。 民営タバコ時代のパッケージデザインには、四面を分割しそれぞれに枠どりをする方式がよく見られましたが、それを改めて、全面に絵模様が展開する仕様を採用しています。このスタイルが後に受けつがれることになります。同時期に発売された他の口付銘柄が角型の包装であったのに対し、「敷島」は一貫して平型包装を用いるなど、差別化されていました。 発売当初は国産の高級タバコとして扱われていましたが、戦費調達のための税収を見込んで発売された、後発の「国華」・「不二」の2銘柄に高級口付煙草の座を明け渡した時期もありました。しかし、専売以来の口付品種としての人気がそれを跳ね返し、大正中期には売上首位を記録し、刻みタバコの退潮にも拍車をかけることになりました。 「煙艸専売局」名にて1904年7月1日より金8銭で発売開始。 1917年12月1日~ 12銭へ価格改正 【画像1】 1925年11月7日~ 18銭へ価格改正 【画像2】 1933年以降~ ☆「賣」書体修正【画像3】 1938年1月31日~ 22銭へ価格改正 【画像4】 【画像5】鞘紙(口紙の厚紙は除去) 1941年11月~ 35銭へ価格改正時に、縦型打ち抜き包装を廃止し横平型に統一する
縦型打抜包装 1941年11月 本多忠保 1904年7月1日shirotanino