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URALKALI HAAS F1 TEAM VF-21 #47 MICK SCHUMACHER BAHRAIN GP 2021
ハース・VF-21は、ハースF1チームが2021年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ドライバーはニキータ・マゼピン選手とミック・シューマッハ選手のコンビを起用しました。 エンジン名:フェラーリ 065/6 技術的には、前年型のVF-20をベース(PU/フェラーリ 065)に、2021年のレギュレーション変更に伴う空力のリファインを行った程度のマシンで、マシン内部はほぼVF-20のままと言われていました。またチームは、翌年型のマシンの開発に予算を振り向ける目的で、VF-21についてはシーズン中のマシン開発を行わないとしており、事実上1年落ちのシャシーでシーズンを戦うことになりました。 一方でカラーリングはVF-20から一新され、マゼピンが持ち込んだロシアの肥料メーカー「ウラルカリ」がメインスポンサーについた影響もあり、ロシア国旗を彷彿とされる白・赤・青のカラーリングとなりました。しかし、このカラーリングを巡っては、世界アンチ・ドーピング機関(WADA)が「ドーピングへの国家的関与を理由に、ロシアの国際大会への参加を禁止するWADAの決定に違反している可能性がある」として調査に乗り出しましたが、その後WADAからの声明は出されませんでした。 チームの成績は、ノーポイントで1最下位の0位。ドライバーは、シューマッハ19位、マゼピン21位に終わりました。 (参照ウィキペディア) なお、余談ですが、翌年2022年のドライバーは当初ミック・シューマッハ選手とニキータ・マゼピン選手の2人が続投する予定でしたが、2月に2022年ロシアのウクライナ侵攻が起きた影響を受け、チームはマゼピンとの契約を解除し、代わりに、既にプジョーとの契約が内定していたケビン・マグヌッセン選手を2年ぶりに呼び戻すことになりました。 また、カラーリングもウクライナ侵攻の影響で、マゼピンの持ち込みであるウラルカリらロシア系スポンサーを排除した結果、2020年シーズン以前に近いカラーリングに戻されました。 マゼピンは、欧州F3やF2で数回に渡るラフなドライビングや暴力行為でペナルティを受け、F1に昇格してもプライベートの問題やレース中のラフプレイで問題児扱いされていました。父親がロシアの化学肥料メーカー「ウラカルリ」の会長をしていたことで、ハースのドライバーになれたのだと思いますが、お金大好きなFIAの選考基準にも問題があると思いますね。 #minichamps #haas #ハース #mickmschumacher #ミックシューマッハ #usa #アメリカ
47 MICK SCHUMACHER COLLECTION EDITION 43 NO.4 FORMULA 1 URALKALI HAAS F1 TEAMsennakazu
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LANCIA STRATOS HF #2 ‘TONY’ FASSINA WINNER RALLY SANREMO1979
ランチア・ストラトスHFは、イタリアのランチアが製造したスポーツカー。世界ラリー選手権(WRC)で勝利することを目的に開発されたホモロゲーションモデル(公認モデル)であります。車名のストラトスは、「成層圏」という意味の造語です。 また、ランチアのスポーツモデルに用いられるグレード名の「HF」は、「High-Fidelity」(Hi-Fi)の略で、「高品質でドライバーの意のままに(忠実に)操ることができる車」の意味であります。 ランチアが、ストラトスHFを投入するまでは当時のラリーは軽量FRPボディのアルピーヌ・A110に手を焼いていた1971年シーズンまで、ランチアはフルヴィア、フィアットは124アバルト・スパイダーで対抗するも、RACラリーとスカンジナビア・ラリーにはフォードとサーブなどが焦点を絞っており、常勝は難しく、サファリラリーには日産がブルーバード510、ダットサン・240Zや地元勢がスポット的に勝ちを狙い、ランチアがヨーロッパのみならずのラリー制覇に目を向けるにはプジョー、ルノーのフランス勢の存在もあり、フルヴィアやその後、ともに新規参戦するベータ・クーペの戦闘力で押さえつけるには開発競争的にも熾烈を極めていた状況でありました。 まず、ストラトスHFはプロトタイプクラスで1972年のツール・ド・コルスにエンジンフードの上にインダクションポッドを付けた仕様を試験的に投入し、1973年、1974年とラリーはオイルショックで一時開催を部分的に自粛するも、その後はストラトスが旋風を巻き起こし、そこから熟成を重ね、1973年世界戦外であるスペインのファイアストーン・ラリーで初優勝を挙げるとこれをコンペティツィオーネ仕様として熟成させていくことになります。 WRCでの初勝利は、市販モデルとして挑んだグループ4ホモロゲーション取得直後の地元ステージ、1974年ラリー・サンレモであり、わずか4戦に出場しただけで1974年のメイクス・タイトルを獲得しました。その後、1975年、1976年と、他チームはストラトスに照準を合わせ開発を進めるも、どの車よりもターマック、グラベルを問わず総合的に寄せ付けない強さでした。 しかし、ミッドシップエンジンのストラトスHFは運転するのは難しく、ポテンシャルを引き出すためにアグレッシブさが求められるため、乗りこなせるドライバーは多くなかったと言われています。 ランチアチームのカラーリングの変遷としては、1975年からはそれまでのマールボロに代わり、アリタリア航空がスポンサーにつき、フロントフード部分にアリタリアのAマークを配した白と緑色のカラーリングに変わりました。ここからWRCではワークスファクトリーで組まれた払下げ車両を含む「ファクトリーカー」を使用した地元有力プライベーターとともに破竹の強さを見せることとなり、1976年、1977年はボディ上面フロントからリアに赤、緑、白のストライプにボディサイドセンター部へ大きくマークを配した有名なアリタリアカラーとなりました。(参照ウィキペディア) このモデルは、世界ラリー選手権(WRC)のヨーロッパラリー選手権(ERC)の内、イタリア・サンレーモで開催されたラリーに参戦したモデルで、有力プライベーター”Jolly Club”のチームマシンになります。大きくランチアマークが入る白いボディが新鮮ですね。 また、ストラトスHFとしては、WRCでの最後の優勝となりました。 #ixo #lancia #ランチア #italy #イタリア #rally #ラリー #wrc
2 RALLY 1/43 JOLLY CLUBsennakazu