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ARTA HSV-010 SUPER GT500 #8 武藤英紀 / 小林崇志 RD.2 FUJI 2011
#ebbro #honda #ホンダ #sgt #gt500 ##
8 SUPER GT500 1/43 AUTOBACS RACING TEAM AGURIsennakazu
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ENEOS SC430 SUPER GT500 #6 伊藤大輔 / BJORN KARL MIKAEL WIRDHEIM 2009
#ebbro #toyota #トヨタ #lexus #レクサス #sgt #gt500 #
6 SUPER GT500 1/43 LEXUS TEAM LEMANS ENEOSsennakazu
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XANAVI NISMO Z SUPER GT500 #1 本山哲 / RICHARD LYONS 2005
#ebbro #nissan #日産 #nismo #ニスモ #sgt #gt500
1 SUPER GT500 1/43 NISMOsennakazu
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ARTING IMPUL #23 本山哲 FORMULA NIPPON CHAMPION DRIVER & TEAM 2005
2005年のフォーミュラ・ニッポンは、2005年4月2日 - 3日にツインリンクもてぎで開幕し、同年11月26日 - 27日に鈴鹿サーキットで閉幕した全9戦のシリーズです。 このモデルの本山哲選手がドライブするアーティング・レーシングチーム・インパルが、ドライバーとチームの両方で年間チャンピオンを獲得しました。 なお、事実上のワンメイクエンジンとして無限MF308が使われた最後のシーズンとなりました。また、第4戦は、富士スピードウェイの全面改修後の初開催レースでありました。 #ebbro #impul #インパル #nissan #日産 #formulanippon #フォーミュラニッポン
23 FORMULA NIPPON 1/43 ARTING RACING TEAM WITH IMPULsennakazu
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ARABIAN OASIS TEAM IMPUL TOYOTA FORMULA NIPPON 2007 #19 MICHAEL KRUMM
2007年のフォーミュラ・ニッポンは、2007年3月31日 - 4月1日に富士スピードウェイで開幕し、11月17日 - 18日に鈴鹿サーキットで閉幕した全9戦で戦われました。 このモデルのミハエル・クルム選手の結果は、12ポイントで10位でした。 (参照ウィキペディア) また、最終戦鈴鹿にゲストドライバーとしてインディカーで有名なトニー・カナーン選手が出場していたとは知りませんでした。それも6位入賞とは流石です! #ebbro #formulanippon #フォーミュラニッポン #toyota #トヨタ #impul #インパル
19 FORMULA NIPPON 1/43 ARABIAN OASIS TEAM IMPULsennakazu
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HONDA RA273 F-1 1966 ITALIAN GP
このモデル、ホンダ・RA273は、ホンダが1966年のF1世界選手権および1967年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラカーで、ドライバーは、リッチー・ギンサー選手(Paul Richard "Richie" Ginther, 1930年8月5日 - 1989年9月20日)で、アメリカ人のレーシングドライバーでした。彼は、第1戦第2戦ではクーパー・カー・カンパニーから出場していました。 この年1966年にF1のエンジン規定が大きく変更され、自然吸気エンジンの排気量がそれまでの1,500ccから倍の3,000ccに拡大されましたが、ホンダは規定に対応するためのエンジン開発が遅れ、RA273が投入されたのは1966年後半の第7戦イタリアGPでのことでした。 新たなV12エンジンのRA273Eは入交昭一郎氏が設計し、バンク角が従来の60度から90度に拡げられ、シリンダーブロックの外側から吸気し、内側から排気する方式に変更されました。Vバンクの上にはエキゾーストパイプが絡み合うように配置された。入交によれば、久米是志・川本信彦の両氏が前年に開発したフォーミュラ2(F2)用の1L・直列4気筒エンジン(約140馬力を発揮した)がベースとなっているため、その3倍である420馬力を目標として設計しましたが、実際にはセンター・テイクオフ方式(クランクシャフトの中央から出力を取り出す方式)の採用によるロスや、排気ガスの掃気がうまくいかなかったことなどが影響し、400馬力を下回る出力しか得られませんでした。 RA272まではエンジンが横置きに搭載されていましたが、排気量の拡大に伴うエンジンサイズ拡大で困難になったため、一般的な縦置きに改められました。それに伴いギアボックスもエンジンと分離されました。 しかしホンダF1の伝統ともいえる重量過多の傾向は変わらず、本マシンでもエンジン単体重量が220kg、総重量は実に720kgにも達し、レギュレーション上の最低重量である500kgを大幅に超過していました。これは本田宗一郎氏やデザイナーの武田秀夫氏の方針で、マシンの耐久性を重視し各所に金属を多用した影響によります。 また当時のホンダの技術力の問題から、RA273はタイヤのトー角がコーナリング時に過大に変化してしまう問題を抱えていました。このためシーズン後半には、トー角の変化の影響を少なくするためフロント・リア共にトレッド幅を20cm拡大したマシンを投入しましたが、結果は芳しくありませんでした。 それでも、ギンサー選手はイタリアGPからの残り3戦に出場し、第9戦メキシコGPで4位入賞シーズン11位、チームは8位となりました。チームメイトのロニー・パットナム選手はノーポイントに終わりました。 (参照ウィキペディア) ホンダ第1期のマシンは、全部で6車種を数えますが、その中でもこのモデルが一番気に入っています。サイドの赤いラインが速さを象徴しているようで好きですね。でもこの当時の「葉巻型」のマシンは、ずっと眺めていても飽きず、カッコいいですね! #ebbro #honda #ホンダ #italy #イタリア
18 FORMULA 1 1/43 HONDA・R&D・COMPANYsennakazu
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PIAA NAKAJIMA HONDA FORMULA NIPPON 2006 NO.31 L.DUVAL
フォーミュラニッポンは、スーパーフォーミュラの前身で2012年までその名称で開催されていました。(なお1995年以前は全日本F3000選手権の名称で開催) エンジンは、全日本F3000選手権より使用されてきた無限MF308エンジンの供給が困難になってきたため、インディ・レーシング・リーグ(IRL)用エンジンを元にトヨタとホンダがそれぞれ開発した新型エンジン(3,000cc V型8気筒という基本形式は同様)に切り替わり、東名エンジンと尾川自動車の各チューナーにより性能調整され供給されました。 シャシーは、3年に一度のシャシー更新年にあたり、前年までの「ローラB351」から、同シャーシを空力面を中心に改良した「ローラB06/51(FN06)」に変更され、主催者である日本レースプロモーション(JPR)から各チームにリースのかたちで供給されました。 このモデルのPIAA NAKAJIMA RACING/ロイック・デュバル選手は、ホンダエンジンで全9試合を戦い、2度の優勝を獲得し4位となりました。 #ebbro #formulanippon #フォーミュラニッポン #honda #ホンダ #nakajima #中嶋悟
31 FORMULA NIPPON 1/43 PIAA NAKAJIMA RACINGsennakazu
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taka-Q TOYOTA 88C-V TOYOTA TEAM TOM’S 1988 LE MANS
トヨタ・88C-Vは、1988年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)参戦用にトヨタが開発したグループCカーです。 1986年までトヨタのグループC活動は、トムス、童夢が主体となって行われていましたが、1987年からトヨタ (TRD) 主導で行われることになりました。これに合わせて翌1988年シーズンに向けて開発・製作されたのが88C-Vで、それまでのアルミモノコック・直列4気筒ターボエンジンのトヨタのグループCマシン群と一線を画するマシンです。 モノコックはカーボンコンポジット製で、童夢で設計・製作をしました。 エンジンは新開発のR32Vで、3.2リットルV型8気筒ツインターボエンジンで、純レース用に作られました。 タイヤはブリヂストンを採用していました。(参照ウィキペディア) このモデルの24時間ル・マンでは、予選で8位、10位と小排気量ながら好位置(日本車最上位)につけ、決勝でも出走した2台が共に完走し、日本車最上位の12位、24位でチェッカーフラッグを受けました。 この頃のプロトタイプのスポーツカーは、現在の空力を重要視し過ぎたマシンより、格段にスポーツカーらしくてカッコいいです。この時代のポルシェ962C(フロム・エー ポルシェなど)同様、長時間眺めていても全く飽きませんね。 #ebbro #toyota #トヨタ #lemans #ルマン
37 LE MANS 1/43 TOYOTA TEAM TOM’Ssennakazu
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McLAREN HONDA MP4-30 ③(SECOND COLOR/SHORT NOSE TYPE)JENSON BUTTON JAPANESE GP 2015
マクラーレン MP4-30の改良型ショートノーズタイプ。シーズン前半、マクラーレンとホンダの相性が相変わらず合わず、苦肉の策でシャーシ部分を改良、第8戦のオーストリアGPより変更された。しかし結果はリタイアが減ったものの不調は変わらずでした。 このモデルは第14戦の鈴鹿仕様。ジェンソン・バトン選手の相棒のフェルナンド・アロンソ選手の発言が問題になりました。 マシンの遅さに苛立ったアロンソ選手が、ホンダのトップが鈴鹿に応援しに来ている中、無線で「GP2エンジン」と叫び、ホンダを非難しました。後日、この発言にについて、新井康久プロジェクトリーダーは「すべてがエンジンの責任ではないんです。シャシーに関しても問題はたくさんあります」と反論し、マクラーレンとの溝は更に大きくなっていきました。 このモデルは、ミニチャンプス製を手に入れたかったのですが、なかなかその機会が無く、”とりあえず”、安価なエブロ製を手に入れました。 が、現物を見るとデフォルメや塗装のクォリティはかなり高く、画像でしか見ずに、それで判断していた私は、ミニカーコレクターとして、とても恥ずかしかったです。エブロさん、ごめんなさい。 #ebbro #mclaren #マクラーレン #honda #ホンダ #uk #イギリス #suzuka #鈴鹿
22 FORMULA 1 1/43 McLAREN HONDAsennakazu
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ENDLESS ADVAN Z SUPER TAIKYU 2005 ST1 NO.3
2005年、スーパー耐久開幕戦、仙台ハイランドレースウェイ。100周約406km。 ST1クラス(旧クラス1)は、今までポルシェのワンメイク状態でありましたが、この年から、シリーズの活性化を目的に、このエンドレス アドバン Zがエントリーすることなりました。ポルシェ5台、Z1台。 予選では、影山正美選手が5位。決勝では、終盤木下みつひろ選手が3位を走行していましたが、突然の電気トラブルで10周を残してリタイアとなってしまいました。 (参照nismo) #ebbro #supertaikyu #nissan #日産 #fairladyz
3 スーパー耐久 1/43 ENDLESS ADVANsennakazu
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PORSCHE 908 LONG TAIL LE MANS 1969
これぞプロトタイプのレーシングカー! ゴテゴテとしたエアロパーツもない、この流れるような曲線がとても魅力的ですね。特にこのマシンはお尻が長いタイプ。 出来ることならば、この時代のレースを生で観戦したいものです。 ちなみに、この年のル・マンの優勝者は、フォード/GT40をドライブしたジャッキー・イクスとジャッキー・オリバー組でした。 #ebbro #porsche #ポルシェ #lemans #ルマン #germany #ドイツ #france #フランス
23 LE MANS 1/43 PORSCHEsennakazu
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トヨペット クラウン RS21 神奈川県警察 POLICE CAR 1955
初代クラウン(1955〜)のパトカー。 娘婿のクリスマスプレゼント用に彼の勤務先の○視庁を探していましたが、見つからず神奈川県警察を購入しました。なので、喜んでくれる○視庁の車両を改めて探しています。 観音開きのドアとタイヤの白塗り、そしてシンプルなパトライトが良いですね。 映画『ゴジラ』の一作目を観てると、このクラウンパトカーがよく出てきます。そして踏まれてます。。。 #ebbro #toyota #crown #トヨタ #警察 #パトカー
警察車両 1/43 CROWN RS21 EBBROsennakazu
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LAWSON TEAM IMPUL FORMULA NIPPON 2008
フォーミュラ・ニッポン。 2008年、1号車松田次生が2年連続優勝(2007年、MOBILECAST TEAM IMPUL/ローラ/トヨタ)。 2号車B.トレルイエ。 2008年はチームチャンピオンも獲得。 当時、シルバーメタがカッコ良し! #ebbro #formulanippon #impul
2 FORMULA NIPPON 1/43 LAWSON TEAM IMPULsennakazu
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FROM A PORSCHE 956 WEC JAPAN FUJI 1000km 1984
風が流れるような華麗なボディ。空力と美しさを備えたマシンを設計するスポーツカーデザイナーは本当に凄いと思います。 現代の緻密な空力には敵わないと思いますが、やっぱりこの時代のスポーツカーが好きですねェ。 #ebbro #wec #porsche #ポルシェ #germany #ドイツ #fuji #japan
16 WEC 1/43 FROM A PORSCHEsennakazu
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FORMULA NIPPON FORUM ENGINEERING ARTA TEAM LE MANS #8 土屋武士 2003
初めてモータースポーツを観戦し始めたのは、このFORMULA NIPPONの前身であるF3000 でした。FORMULA 1 の直下カテゴリーで当時でもかなりの迫力がありました。その後、1996年にこの名称に変わり、1999年には新しい国際F3000の安全基準のみを取り入れ、車両規則は独自のレギュレーションを規定しました。そして、2013年には現在のSUPER FORMULAに再び変更になりました。 このカテゴリーもよく観戦しに行きましたので、これらのミニカーも数台購入しました。今回、久々に奥の棚から引っ張り出してきましたが、とても懐かしく見入ってしまいました。 #ebbro #toyota #トヨタ #formulanippon #フォーミュラニッポン ##
8 FORMULA NIPPON 1/43 FORUM ENGINEERING ARTA TEAM LE MANSsennakazu