HONDA RA273 F-1 1966 ITALIAN GP
このモデル、ホンダ・RA273は、ホンダが1966年のF1世界選手権および1967年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラカーで、ドライバーは、リッチー・ギンサー選手(Paul Richard "Richie" Ginther, 1930年8月5日 - 1989年9月20日)で、アメリカ人のレーシングドライバーでした。彼は、第1戦第2戦ではクーパー・カー・カンパニーから出場していました。
この年1966年にF1のエンジン規定が大きく変更され、自然吸気エンジンの排気量がそれまでの1,500ccから倍の3,000ccに拡大されましたが、ホンダは規定に対応するためのエンジン開発が遅れ、RA273が投入されたのは1966年後半の第7戦イタリアGPでのことでした。
新たなV12エンジンのRA273Eは入交昭一郎氏が設計し、バンク角が従来の60度から90度に拡げられ、シリンダーブロックの外側から吸気し、内側から排気する方式に変更されました。Vバンクの上にはエキゾーストパイプが絡み合うように配置された。入交によれば、久米是志・川本信彦の両氏が前年に開発したフォーミュラ2(F2)用の1L・直列4気筒エンジン(約140馬力を発揮した)がベースとなっているため、その3倍である420馬力を目標として設計しましたが、実際にはセンター・テイクオフ方式(クランクシャフトの中央から出力を取り出す方式)の採用によるロスや、排気ガスの掃気がうまくいかなかったことなどが影響し、400馬力を下回る出力しか得られませんでした。
RA272まではエンジンが横置きに搭載されていましたが、排気量の拡大に伴うエンジンサイズ拡大で困難になったため、一般的な縦置きに改められました。それに伴いギアボックスもエンジンと分離されました。
しかしホンダF1の伝統ともいえる重量過多の傾向は変わらず、本マシンでもエンジン単体重量が220kg、総重量は実に720kgにも達し、レギュレーション上の最低重量である500kgを大幅に超過していました。これは本田宗一郎氏やデザイナーの武田秀夫氏の方針で、マシンの耐久性を重視し各所に金属を多用した影響によります。
また当時のホンダの技術力の問題から、RA273はタイヤのトー角がコーナリング時に過大に変化してしまう問題を抱えていました。このためシーズン後半には、トー角の変化の影響を少なくするためフロント・リア共にトレッド幅を20cm拡大したマシンを投入しましたが、結果は芳しくありませんでした。
それでも、ギンサー選手はイタリアGPからの残り3戦に出場し、第9戦メキシコGPで4位入賞シーズン11位、チームは8位となりました。チームメイトのロニー・パットナム選手はノーポイントに終わりました。
(参照ウィキペディア)
ホンダ第1期のマシンは、全部で6車種を数えますが、その中でもこのモデルが一番気に入っています。サイドの赤いラインが速さを象徴しているようで好きですね。でもこの当時の「葉巻型」のマシンは、ずっと眺めていても飽きず、カッコいいですね!
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