-
TEAM McLAREN MERCEDES MP4-98T 2 SEATER MIKA & ERJA HAKKINEN LAPLAND 17 APRIL 2000
#minichamps #mclaren #マクラーレン #mercedes #メルセデス #2seater
- McLAREN EDITION 43 NO 74 FORMULA 1 1/43sennakazu
-
LOTUS 102D #11 MIKA HAKKINEN 6th MEXICO GP 1992
このモデルのロータス・102Dは、1992年シーズンに向け、エンジンを前年のジャッド・EV型V8からフォード・コスワース・HBエンジン(カスタマースペックのシリーズⅤ)に変更し、カラーリングは1960年代のロータス黄金期を思わせるブリティッシュグリーンとイエローの配色となりました。 ドライバーは前年からのミカ・ハッキネン選手が継続で、前年スポット参戦だったジョニー・ハーバート選手が復帰しました。ハーバートは第4戦まで、ハッキネンは第5戦まで102Dを使用し、以後は107にスイッチされました。 シーズンを通して相変わらず低迷が続いていましたが、このモデルのハッキネンは、シーズン5位、チームは8位の結果でした。(参照ウィキペディア) #spark #lotus #ロータス #ford #フォード #uk #イギリス ##
11 FORMULA 1 1/43 TEAM LOTUSsennakazu
-
LOTUS 102B #11 MIKA HAKKINEN 5th SAN MARINO GP 1991
ロータス・102は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、フランク・ダーニー氏らが設計し、ランボルギーニV12エンジン搭載の102は、1990年の開幕戦から全16戦に投入されました。翌年1991年はジャッドV8エンジン搭載の102B、1992年序盤戦はフォードHB V8エンジン搭載の102Dを使用しました。計2年間と3年目の途中まで使用され、テスト走行を含めると4社のエンジンを搭載しました。 1991年シーズン開幕前、ロータスは資金問題によりスタッフのレイオフが行われるなど参戦できるかどうかぎりぎりの状態であり、前年使用した102を車両規則に合わせて修正し、ジャッド・EV型V8エンジンを搭載した102Bを使用することになりました。 メインスポンサーのキャメルを失ったため、カラーリングはキャメルイエローからホワイトとグリーンのツートンとなりました。ピーター・コリンズ氏の発案により、102Bからステアリングにロータス伝統の赤いバックスキンが使用され、この年から、タミヤ(田宮模型)やコマツなどの日本企業のスポンサーが開始されました。 当初の予定では、1991年シーズン用のマシンとして103が用意されるはずでしたが、103はティレル・019のようなハイノーズと横置きギヤボックスを搭載するマシンであったため、財政難のためにモックアップの製作しかできませんでした。 テクニカルディレクターには、フェラーリから移籍したエンリケ・スカラブローニ氏を迎え、チーフデザイナーはフランク・コパック氏が務めた。ドライバーは11号車をミカ・ハッキネン選手、12号車をジュリアン・ベイリー選手がドライブしましたが、第5戦カナダGPからはスポンサー資金が終了したベイリーに代わりジョニー・ハーバート選手が全日本F3000選手権と掛け持ち参戦となり、全日本F3000の日程と重複した4レースでは12号車をミハエル・バルテルス選手がドライブしました。成績はコンストラクターズ10位(3ポイント)、最高位は、このモデルの仕様でもある第3戦サンマリノGPで記録したハッキネンの5位でした。(参照ウィキペディア) #spark #lotus #ロータス #uk #イギリス ##
11 FORMULA 1 1/43 LOTUSsennakazu