-
1960年大毎オリオンズ優勝記念レリーフ(作 棟方志功)
1960年大毎オリオンズ優勝記念レリーフ(作 棟方志功) 『VICTORY ORIONS1960 Championship PBL』 棟方志功デザインによるパリーグ優勝記念レリーフ
野球 棟方志功 1960年ふくすけ
-
柳田利夫 実使用バット(1960年)
柳田利夫 実使用バット?(1960年日本シリーズ~日米野球) 1960年日本シリーズ(10/11~15)終了間もない10月22日から始まった日米野球 当時の資料(週刊ベースボール)よりユニフォームはそれぞれのチームのものを着用する 当時、数少ない背番号4と日米野球出場者から『柳田利夫』と推定される 日本シリーズ第3戦(10/14)で本塁打を放ったバットか?実使用かは不明 1960年(昭和35年)日米野球(10/22~11/13 全16戦) サンフランシスコ・ジャイアンツが来日 E・ブレスー(Eddie Bressoud 28才)内野手(2B・SS)が柳田利夫選手のバット(玉澤)と交換?その後、里帰りしたものと思われる(長さ約86cm・重さ約900g) 柳田利夫 1958年に大毎オリオンズに入団 1959年には一軍に定着、二塁手として14試合に先発出場 1960年は開幕直後から遊撃手として起用され、大毎ミサイル打線のトップバッターとして活躍 シーズン中に榎本喜八のバットが柳田の顎を直撃、欠場を余儀なくされたが、復帰後の7月からは二塁手も兼ね、10年振り2回目のリーグ優勝に貢献 日本シリーズ(対大洋ホエールズ)では11打数2安打2打点 第3戦で鈴木隆から2点本塁打を放つ 背番号4(1960-62) 1960年のシーズン成績 打率249-12HR34打点 日米野球の成績 日本4勝(1分)SG11勝 1960年日米野球成績 E・ブレスー(MLB通算成績AB252HR94RBI365) 65打数21安打5打点3本塁打(7戦金田・10戦堀本・13戦梶本) 柳田利夫 2・3・5・7・16戦出場(第7戦(後楽園球場)は先発出場) 7打数1安打
野球 1960年 MLBふくすけ
-
1960年第11回日本シリーズチケット
1960年日本シリーズチケット(第3戦 後楽園) 三原大洋VS西本大毎 1960年10月14日 W6-5O 3連勝 イラストには横山隆一のフクちゃんも登場。 5-5 9回表 近藤昭の決勝ホームラン。 翌日も勝利し球団創立(1950)初の日本一! 大毎有利の中、全試合1点差勝利の4連勝『完全勝利』となる。
野球 1960年 大毎オリオンズふくすけ
-
大毎オリオンズ 優勝(1960年)記念像
大毎オリオンズ(1960年) パ・リーグ優勝トロフィー記念レプリカ(呼び鈴 h=120) 西本幸雄が監督に就任。榎本喜八、山内和弘、田宮謙次郎らを擁す破壊力抜群の「ミサイル打線」で10年ぶり2回目のリーグ優勝!
野球 1960年 大毎オリオンズふくすけ
-
『大毎ミサイル打線』 サインボール
『大毎ミサイル打線』1959~61年4名連名サインボール 1960年の成績 田宮謙次郎(打率317-HR12本-62打点)打率リーグ2位 榎本喜八(打率344-HR11本-66打点)首位打者獲得 山内和弘(打率313-HR32本-103打点)打率リーグ3位・本塁打王・打点王・MVP 葛城隆雄(打率295-HR5本-43打点) 打率上位3位を独占、同年のリーグ優勝の原動力となる。
野球 1959~61年 千葉ロッテマーリンズふくすけ
-
秋山登・荒川博 サイン
秋山登(大洋ホエールズ・1956)の記録 新人王(25勝25敗) 野球殿堂入り(2004年) 荒川博(毎日大映オリオンズ・1958?) 選手より指導者として『荒川道場』で王に「一本足打法」を指導したことで有名。 現役中はチームメイトで早実の後輩でもあった榎本喜八を指導したほか、少年時代の王貞治を見出して母校の早実への進学を薦める。1961年引退後は監督・川上哲治の下で1962年から1970年まで巨人一軍打撃コーチを務め、7度のリーグ優勝・日本一に貢献。早大の後輩・広岡が犬猿の仲であった川上に頭を下げてくれたため、荒川は毎日OBであったが巨人入りを果たした。川上が荒川を雇った理由は、「その若さで榎本という素晴らしい打者を育て上げた」という一点のみだったとのこと。
野球 1956年 大毎オリオンズ 大洋ホエールズふくすけ