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Tienen (ベルギー)
ティーネンはベルギー中央部の町です。 古くはドイツ系貴族のティーネン家が統治する町だったようですが、中世においてはスペイン領オランダでしたが仏西戦争中の1635年にフランスにより占領され、結果、プロテスタント教徒の強い町になりました。そして、その後のスペイン継承戦争の講和条約であるユトレヒト条約により1714年にオーストリア領オランダとなりました。 掲載の地図はWillem Janszoon Blaeu作の「Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Liberae Ac Foederataee」(1649年初刊)所収のものです。
Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Regiae 銅版画 64.8cm × 54.6cm 1649Roku
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Douai (フランス)_2
ドゥエーはフランス最北部に位置する町です。 歴史上の初出は930年にフランドル伯の領地としてで、以後数百年にわたりフランドル伯とフランス王国の間で領有権争いが続き、最終的にはフランドル伯領となりました。また経済的には、毛織物産業で繁栄していました。その後ネーデルラント継承戦争に伴うアーヘンの和約(1668年)でフランス領となりました。 掲載の地図はWillem Janszoon Blaeu作の「Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Liberae Ac Foederataee」(1649年初刊)所収のものです。
Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Ac Liberae 銅版画 63.6cm × 53.3cm 1649Roku
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Goes (オランダ)
フスはオランダの南西端、北海に面した港町です。 10世紀に町が造られその後繊維産業と製塩で急速に発展し、1407年に都市権を獲得しました。しかし16世紀に入ると港での砂の堆積と1554年の大火で衰退していきます。八年戦争中の1572年に一時的にスペインに占領されますが、1577年にはオレンジ公により解放されます。 掲載の地図はWillem Janszoon Blaeu作の「Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Liberae Ac Foederataee」(1649年初刊)所収のものです。
Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Liberae Ac Foederataee 銅版画 64.7cm × 47.9cm 1649Roku
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Zierikzee (オランダ)_2
ジーリクゼーはオランダ南西部北海に面する島に所在する町です。 1248年に都市権を獲得しました。ゼーラント地方の中での要衝の地であったことから、中世末期には交易の拠点として栄え、サンクト・ペテルスブルクやジェノバ、アフリカ大陸西岸等へ向かう大型船の拠点となりました。政治的には、11世紀~13世紀にかけて、フランダース伯とホランド伯の係争地でしたが、1304年の海戦でフランダース伯が破れ、ホランド伯領となりました。 掲載の地図はWillem Janszoon Blaeu作の「Toonneel der Steden van de Vereenighde Nederlanden, Met hare」(1649年初刊)所収のものです。
Toonneel der Steden van de Vereenighde Nederlanden, Met hare 銅版画 60.6cm × 49.6cm 1649Roku
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Cassel (フランス)
カッセルはフランス最北部ベルギーとの国境近くの町です。 元々は当地方のガリア人国家の首都でしたが53年にローマのシーザに降伏し、以後多くの街道の結節点であったことからローマの地方統括の拠点として発達します。しかし、3世紀後半にはゲルマン人の度重なる侵攻を受け、更に地方統括拠点がトゥールネに移転したことから衰退していきます。中世にはフランク王国の統治を経てフランダース公国の領地となります。17世紀はフランス王国とハプスブルク朝オランダの係争地となりますが、1679年のナイメーヘン条約でフランス領となります。 掲載の地図はWillem Janszoon Blaeu作の「Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Regiae」(1649年初刊)所収のものです。
Novum Ac Magnum Theatrum Urbium Belgicae Regiae 銅版画 62.8 cm * 53.6 cm 1649Roku