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Freising (ドイツ)_2
フライジングはドイツ南部の中心都市ミュンヘンの北に位置する、イザール川沿いの町です。 町の起源は8世紀半ばに修道院が建設され、さらに教区が開設されたことに始まります。996年には神聖ローマ帝国オットー三世より都市権を認められます。17世紀前半には30年戦争によるスウェーデン軍の侵攻とペストの流行により大きな打撃を受けます。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 38.3cm × 30.0cm 1578Roku
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Würzburg (ドイツ)
ヴュルツブルクはドイツ中央部、マイン川沿いの町です。 元々はケルト人の居住地でしたが、その後ローマ帝国の要塞が築かれました。約650年頃からメロヴィング朝フランク王国の首都となり、742年には司教座が置かれ司教領として栄えました。そして1397年には神聖ローマ皇帝により帝国自由都市の権利が与えられました。1626年~1631年にはヨーロッパ最大規模の魔女狩りが行われましたが、1631年のスウェーデン王の侵攻により終了しました。1796年のハプスブルク家とフランス第一共和国の戦争の結果、1803年にバイエルン選帝侯領となりますが、1805年よりヴュルツブルク選帝侯が設置され、その首都となります。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 39.9cm × 30.1cm 1578Roku
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Landau (ドイツ)
ランダウはドイツ南西部フランスとの国境近くの町で、周辺はワイン用のブドウ農園です。 1291年に初代ドイツ王ルドルフ一世により帝国自由都市の権利が認められますが、1324年に近隣のシュパイヤー公に占領されその地位を失い、1511年になり神聖ローマ皇帝マキシミリアン一世により地位の回復が認められます。三十年戦争の講和条約である1648年のウェストファリア条約以降徐々にフランス領化され1680年からはフランス領となり、ブルボン朝のルイ十四世の下、ヨーロッパ屈指の要塞となります。その後も一時的に神聖ローマ帝国の統治下に入ることもありましたが、ナポレオン戦争後の1815年にバイエルン王国領となりました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1574年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 39.4cm × 30.1cm 1578Roku
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Bern (スイス)
ベルンはスイス北西部の都市で、アーレ川の蛇行地点に位置する町です。また、規模はスイスで第4位ながら、スイスの首都でもあります。 町は1191年にツェーリンゲン大公のベルトルト五世によって築かれましたが大公に後継者がなく断然の後、1218年に神聖ローマ帝国により帝国自由都市となり、1353年にスイス八州同盟に参加しました。産業的にはなめし革で栄えました。1798年にフランス革命軍によりほとんどの領土を奪われますが1814年のウィーン会議により、支配権を取り戻します。そして、1848年のスイス連邦成立と共に、その首都となります。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 38.2cm × 29.9cm 1578Roku
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Lyon (フランス)_3
リヨンはフランス南東部の商業都市です。 その起源は、紀元前43年にローマ皇帝シーザーがガリア攻略の拠点として基地を建設したことに始まり、ローマ時代はガリア地方の首都となります。その後フランク王国カロリング朝(7世半~8世紀半ば)の下では司教座がおかれたことから、司教の支配下に置かれることになります。経済的にも地中海と北ヨーロッパ結ぶ交易の拠点として古くから繁栄し、15世紀に入るとイタリア人商人によって定期市が開催されるようになり、16世紀にはフランス最初の金融信用取引市場が開設されます。また、16世紀前半のフランス王フランソワ1世により絹織物産業が殖産され繁栄します。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 38.4cm × 29.9cm 1578Roku
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Genève (スイス)
ジュネーブはスイスの最西端、リマン湖の西端に位置する都市で、多くの国際機関が集まる都市として有名です。 町の起源はガリア人がケルト人への要塞を建設したことに始まりますが、紀元前121年にローマに占領され、その後キリスト教化が進み5世紀には司教座が置かれます。中世に入ると14世紀後半までは神聖ローマ帝国下の統治下に入り、司教統治の下自治権を獲得します。15世紀に入ると神聖ローマ帝国下のサヴォイア公国の統治下に入りますが、1536年にカルヴァンが来ると宗教改革の拠点となり、1541年にはサヴォイア公国から独立、ジュネーブ共和国となります。そして、三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約により、1648年に独立が正式に認められます。1798年にはナポレオンによりフランスに併合されたものの、1815年のウィーン会議においてスイス連邦に加わることとなった。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia Universalis 木版画 38.4cm × 29.9cm 1578Roku
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Augusburg (ドイツ)
アウクスブルグはドイツ南部に位置し、ドイツで最も古い都市の一つに数えられます。 起源は海外遠征を多く行ったローマ皇帝アウグストゥスが紀元前15年に造った軍事拠点であるとされ、その後バイエルン~スイス東部を含む辺行政地域の中心となり、121年ローマ帝国下での都市権を得ました。 その後1156年、神聖ローマ帝国下での都市権を得ました。そして16世紀銀鉱山で財を成したフッガー家、外国との交易で財を成したヴェルザー家等の本拠地として世界的に重要な金融・貿易の中心地となりました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1578年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 34.4cm × 25.9cm 1578Roku