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Chaumont (フランス)
ショーモンはフランス中央部、マルヌ河とシュイズ川の合流地点に形成された町です。 10世紀に造られた要塞の周囲に町が発展し、1329年までシャンパーニュ公国の首都でした。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 43.1cm × 31.8cm 1575Roku
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Enkhuizen (オランダ)_2
エンクホイゼンはオランダ西部、北海つながる内海であるエイセル湖に面した港町です。 1355年に都市権を獲得し、17世紀にホールンやアムステルダムと共にオランダ東インド会社の拠点港として東インドとの交易で栄え、最盛期を迎えます。しかしシルトの堆積などにより衰退していきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅲ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum III 銅版画 47.4cm × 37.6cm 1575Roku
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Nördlingen (ドイツ)
ネルトリンゲンはドイツ南部バイエルン州に所在する、エーガー川沿いの町です。1500万年前に衝突した隕石のクレーターであるネルトリンガー・リース内に位置します。 ネルトリンゲンはフランクフルト-ヴュルツブルク/アウグスブルク及びニュルンベルク-ウルムを結ぶ2つの重要な街道の交差地点に位置することから、穀物、家畜、織物、毛皮、金属製品などの交易拠点として発展しました。神聖ローマ帝国治下の1215年には帝国自由都市として認められます。しかし、1618年~1648年の三十年戦争での敗北、その後の飢饉や疫病、そして1701年~1714年のスペイン継承戦争での被害に加え、交易の中心が港湾都市に移動したことにより繁栄は失われました。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.7cm × 33.9cm 1575Roku
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Lüneburg (ドイツ)
リューネブルクはドイツ北部の町です。 元々岩塩の採掘で繁栄してはいましたが、政治的には北方数キロに所在しスラブ人の交易拠点として繁栄していたバルドウヴィックに従属していました。しかしバルドヴィックがバイエルン公兼ザクセン公ハインリヒ獅子公への忠誠を拒否したことから公により破壊され、交易の拠点がリューネブルクに置かれることになりました。その後北ドイツ地方の塩の交易を独占したことからリューネブルクは大いに繁栄しハンザ同盟都市となり、1247年には都市権を獲得します。当時、北海で漁れる鰊の保存料としてとても重要でした。1235年になるとブルンスヴィック―リューネブルク公国が設立されその首都となったこともありましたが、1371年に市民の反乱により公国家は追放され1392年に帝国自由都市となります。また同年中継貿易地権を獲得し近隣を通過する証人は全てリューネブルクで荷物の積替えを行わなければならなくなったことにより、更に繁栄をします。しかし1560年頃から鰊の不漁が始まったことから塩の需要が急減し、衰退を始めます。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.8cm × 33.8cm 1575Roku
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Wissembourg (フランス)
ヴィサンブールはフランス最東部アルザス地方のドイツとの国境沿いの町です。 7世紀に設立されたベネディクト会修道院を中心に町が形成されました。974年には司教公領になり、その後神聖ローマ帝国統治下の1354年に、司教統治から脱却するためにアルザス地方10都市から構成されるデカポリス都市同盟に参加します。17世紀後半になるとフランスの侵攻が始まり、1678年にフランス王ルイ十四世により都市同盟が解散させられフランス領となります。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.9cm × 33.8cm 1575Roku
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Worms (ドイツ)_2
ヴォルムスはドイツ中西部ライン川沿いの都市です。 元々はケルト人の居住地でしたが紀元1世紀にローマ統治下におかれローマ軍の駐屯地となったようです。中世には司教座が置か、特に1074年には神聖ローマ帝国内の重要都市として都市権を認められています。この時代、ユダヤ人コミュニティーが発達し、ヴォルムスの繁栄に大きく寄与しました。17世紀以降は度々フランス等からの侵攻を受け町は衰退しますが、産業革命以降徐々に再興していきます。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.9cm × 34.0cm 1575Roku
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Trier (ドイツ)
トリアはドイツ最西部、ルクセンブルクとの国境近くに位置するモーゼル川の沿いの都市です。古くより、ドイツ中部とパリを結ぶ交通の要衝として栄え、ドイツ最古の都市と考えられています。 町の起源は紀元前4世紀のケルト人集落とされ、紀元1世紀にはローマ帝国の統治下に入りました。3世紀後半には司教座が置かれ、ローマ帝国治下のアルプス以北で最大の都市となりました。その後、フランク人の侵入、ノルマン人の侵入により街は荒廃しました。中世に入ると、ワイン醸造、窯業、塩の交易、貨幣鋳造等で経済的に復興し、14世紀には多くのユダヤ人も居住するようになりました。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 43.9cm × 34.4cm 1575Roku
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Erfurt & Fulda (ドイツ)
エアフルト、フルダいずれもドイツ中央部の都市です。 エアフルトは古来からのフランスとロシアを結ぶ東西とバルト海と北イタリアを結ぶ南北の通商・巡礼街道沿いに位置する町で、特に中世は青色染料の交易の中心都市としてとても繫栄しました。10世紀~12世紀にかけてはマインツ選帝侯が徴税権を保有していましたが徐々に独立を強め、1217年には市議会が設立され、1306年~1481年には他のチューリンゲン地方の有力2都市と共にチューリンゲン都市同盟を結成し、1430年にハンザ同盟に加盟します。また、11世紀以降ユダヤ人コミュニティの繫栄や、1379年のエアフルト大学の創設、16世紀初頭のマルティン・ルターが住んだことによる宗教改革の早期の受容など進取に富む都市でしたが、17世紀後半に交易の減少やペストによる人口減で繁栄は失われ、マインツ選帝侯の統治下に入ります。 フルダの起源は、フランク王国治下の744年にフルダ修道院が創設されたことに始まります。11世紀に入ると、フランクフルトとエアフルト及びライプチッヒを結ぶ街道沿いの町として発展し、1019年には神聖ローマ皇帝より修道院に対し貨幣鋳造権が認められました。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.2cm × 34.1cm 1575Roku
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Chur (スイス)
クールはスイス中央部アルプス山脈を流れるライン川上流部とプレス―ル川の合流地点に位置する町です。 アルプス山脈を越えるいくつかの街道とライン川の結節点であることから、古来より人が住んでいました。紀元1世紀にはローマが支配し、この地域の中心都市となりました。6世紀に入るとフランク王国の統治下に入り、神聖ローマ帝国支配下の952年には関税徴税権を獲得しました。14世紀~15世紀にかけて何回かの大火に見舞われましたがそのたびに復興し、同時に統治していた司教の支配権も徐々にギルドに移っていきましたが、帝国自由都市の地位の獲得にまでは至りませんでした。 掲載の地図はSebastian Munsterの死後に出版された「Cosmographia Universalis」の派生版としてFrançois de Belleforest によりフランス語に翻訳された「La Cosmographie universelle de tout le monde」所収のもので、1575年刊行です。
La Cosmographie universelle de tout le monde 木版画 41.8cm × 33.8cm 1575Roku
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Blâmont (フランス)
ベルモントはフランス東部の町です。 町の起源はローマ人です。1545年から1552年にかけて、ロレーヌ公爵家を支配していたクリスティーナ女王の居城がありましたが、フランスに追われ1661年迄フランス占領下にありました。その後、1766年以降再びフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 55cm × 39.5cm 1575Roku
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Limbourg (ベルギー)
リンブルフはベルギー東端、ドイツ及びオランダとの国境近くの町で、ヴェーザー河畔の丘の上に所在します。 中世においては神聖ローマ帝国下のリンブルフ公爵量領の居城がおかれていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 55 cm × 30.5cm 1575Roku
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Dunkirk, Gravelines & Bourbourg(フランス)
ダンケルクはフランス北岸、ベルギーとの国境間近の港町です。第二次世界大戦を描いた映画のダンケルクでも有名です。ダンケルクは10世紀後半まではフランダース伯領の村でしたが、960年に市壁の建設、12世紀後半の干拓、サントメールまでの運河開設、交易権の付与により栄えました。さらに、14世紀の百年戦争時には、イギリスとの交易を禁止したフランスとは別にイギリスと和解、交易で繁栄しました。政治的には、1520年にフランドル伯を神聖ローマ皇帝カール5世が継承したため神聖ローマ帝国領になったものの、1658年にイングランド領となり、1662年にフランスに売却されました。 グラヴリーヌもフランス北岸、ドーバー海峡に面した町です。フランダース地方西部の重要な交易拠点であったサントメールが堆砂により北海との往来が難しくなったことから運河が掘られ、その運河の入り口となったのがグラヴリーヌです。当時は鰊漁の拠点及びワイン・塩・果物等の交易拠点として栄えます。しかし13世紀頃から始まるアー川の堆砂及び、フランス王、フランダース伯、そして後にはイギリスの係争の地となり、衰退していきます。 ブルブールは3世紀後半に始まる海進とその後の土砂の堆積で形づくられた土地に造られた町で、7世紀から12世紀にかけて周囲を干拓することで発展しました。また、戦略上の拠点としてノルマン人や百年戦争への拠点として重要視されます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のドイツ語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.6cm × 40.6cm 1575Roku
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Haarlem (オランダ)
ハールレムはオランダの首都アムステルダムと北海の中間に位置する都市です。 1245年に都市権が認められましたが、中世後期には毛織物や造船業が栄えました。80年戦争中にスペインに占領され、1577年の講和でカトリック教徒とプロテスタント教徒の同権が認められたためフランドル地方からの移民が増加、麻織物や漂白の技術がもたらされ繁栄しました。また17世紀に始まったチューリップの球根栽培は今でも盛んです。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 51.5cm × 39.9cm 1575Roku
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Ypres (ベルギー)
イーペルはベルギー、フランドル地方西部の都市で、中世はイギリスとの亜麻布(リネン)の貿易により栄え、同地方第3の都市に成長しました。その後、17・18世紀のハプスブルク家とブルボン家の争いなどにより町は徐々に衰退、第一次世界大戦では、連合軍とドイツ軍の激戦地となり廃墟となりました。現在のイーペルの町並みは、戦後、以前のものに近い外観で復興されたものです。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅱ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 木版画 55.4cm × 41.5cm 1575Roku
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Alhama de Granada (スペイン)
アルアマ・デ・グラナダはスペイン・アンダルシア州に位置する都市で、ローマ人が温泉を発見したことが起源です。8世紀にムーア人に占領されましが、その後15世紀のレコンキスタによりイスパニア領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅱ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.9 cm × 39.1 cm 1575Roku