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Frankfurt an der Oder (ドイツ)
フランクフルト・アン・デア・オーダーはポーランドとの国境オーダー川沿いの町です。金融都市として有名な、フランクフルト・アム・マインとは別の町です。 元々はポーランド王支配下の西スラブ人の居住地でしたが、1249年にブランデンブルク辺境伯領となりました。その後ポメラニア公国の時期を経て1324年に再びブランデンブルク辺境伯領となりました。経済的は、ベルリンとワルシャワを結ぶ街道とと港町のシュチェンに注ぐオーダー川の交差する交易の拠点として栄え、1430年にはハンザ同盟に加わりました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1572年刊行のフランス語版になります。
Cosmographia 木版画 39.5cm × 30.6cm 1572Roku
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Mons & Arras (ベルギー/フランス)
モンスはベルギー中西部、フランス国境近くの町です。シーザーが丘の上に要塞を築いたことが語源です。1515年この地方を支配していたエノー伯が神聖ローマ帝国に入り、この頃モンスは繁栄します。その後16世紀後半の宗教戦争で被害を被った後、南ネーデルラントの首都となります。その後、オランダ領、フランス領等の変遷を経て、1830年のベルギー独立の際にベルギー領となりました。 アラスはフランス北部の町で、6世紀に創建された修道院を中心にその穀物集積地として発展しました。その後、1180年にフランス王より商業特権が求められ銀行・交易で繁栄しました。その後14世紀になると毛織物産業が発展し、特にタペストリーの生産で有名となりました。また、これらの産業の繁栄を背景に、文化面でも大きな役割を果たしました。一方で政治面では周辺大国の領土争いにさらされ、度々戦場となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. I(1572年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum I 銅版画 55.1cm × 41.7cm 1572Roku
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Frankfurt am Main (ドイツ)
フランクフルト・アム・マインは今もドイツの金融都市として繁栄しているドイツ中西部の大都市です。 フランク王国メロヴィング朝時代に王国の首都となって以降、その後の歴代王朝でも重要な都市として位置を占めていました。1220年には帝国自由都市となり、1806年に神聖ローマ帝国滅亡までその地位を維持しました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. I(1572年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum I 木版画 52.5cm × 38cm 1572Roku
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Groningen, Brouweshaven, and Gorinchem (オランダ)
グローニンゲン、ブローウェルスハーヴェン、ゴリンチェムはいずれもオランダ西部の港町です。グローニンゲンはその立地から商業集積地として栄え1282年にハンザ同盟都市となりました。その後1536年にハプスブルク家領となり、1594年にオランダ領に加わりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. I(1572年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum I 銅版画 51.5 cm × 38.5 cm 1572Roku