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Bad Ems (ドイツ)
バート・エムスはドイツ西部ライン川沿いの温泉保養地です。 ローマ時代には軍の駐屯地が置かれたようです。1324年に都市権が認められました。温泉保養地となったのはナッサウ伯が温泉施設を建設してからで、17~19世紀にかけてはドイツで最も有名な温泉保養地となりました。 掲載の地図はMatthäus Merian作の「Topographia Hassaiae et regionum vicinarum」(1646年初刊)所収のものです。
Topographia Hassaiae et regionum vicinarum 銅版画 *** 1646Roku
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Gloucester (イギリス)
グロスターはイギリス西南部の街です。 紀元48年頃にローマ街道近くのセバーン川渡河地点として町が造られました。4世紀のローマ衰退後ケルト人の統治下に入りますが、577年の戦いでアングロ・サクソン系のウェセックス王国領となり、681年にセント・ピーター修道院が創建されたことで発展します。その後ノルマン人の征服を経て1155年に初代イングランド王ヘンリー二世により都市権が認められ、それは徐々に強化されていきます。当時、この町はコッツウォールズ産の羊毛や皮革、鉄製品のの輸出拠点、及び水産業で栄えます。 掲載の地図はJohannes Kip作の「The Ancient and Present state of Gloucestershire」(1699年初刊)所収のものです。
The Ancient and Present state of Gloucestershire 銅版画 *** 1712Roku
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Stralsund (ドイツ)
シュトラールズントはバルト海につながるシュトラールズント水道(大陸とリューゲン島の間)に面する港町です。 元々は西スラブ人の漁村でしたが、1168年にデンマークに属することになりますますが、ドイツ人富裕層や承認が多数移住してきました。その後町の成長に伴い1234年に都市権が認められます。1249年にリューベック市に破壊されますが、その後堅固な市壁を持つ町として再建され、1293年にはハンザ都市となりました。さらに1618年からの30年戦争の結果スウェーデン王国領となりますが、ナポレオン戦争の戦後処理のために開催された1815年のウィーン会議で、プロイセンに帰属することになりました。 掲載の地図は1650年Matthäus Merian作のものです。
*** 銅版画 *** 1650Roku