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Simmern (ドイツ)
ジンメルンはドイツ西部の町です。 ローマ時代から人の居住はあったようですが歴史に表れてくるのは11世紀以降です。この地は、ビンゲンとトリアーを結ぶ軍用街道沿いにありました。当初はナーエ伯家に属していましたが、その後バイエルン王家のウィッテルスバッハ家の統治下に入ります。また、1330年に都市権を獲得しています。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1574年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 35.5cm × 23.0cm 1574Roku
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Koblenz (ドイツ)
コブレンツはドイツ西部、ライン川とモーゼル川の合流地点に位置する都市です。 その立地から古来より交通の要衝とされ紀元前8世紀にはローマの城塞が築かれていました。その後神聖ローマ帝国時代の1018年にトリア大司教の統治下に入りました。
Cosmographia 木版画 38.5cm × 30.0cm 1570年代Roku
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Worms (ドイツ)
ヴォルムスはドイツ中西部ライン川沿いの都市です。 元々はケルト人の居住地でしたが紀元1世紀にローマ統治下におかれローマ軍の駐屯地となったようです。中世には司教座が置か、特に1074年には神聖ローマ帝国内の重要都市として都市権を認められています。この時代、ユダヤ人コミュニティーが発達し、ヴォルムスの繁栄に大きく寄与しました。17世紀以降は度々フランス等からの侵攻を受け町は衰退しますが、産業革命以降徐々に再興していきます。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1558年頃刊行のラテン語版になります。
Cosmographia 木版画 68.9cm × 31.6cm 1558Roku
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Tours (フランス)
トゥールはフランス中央部の町です。 ガリア時代は重要なロワール川の渡河地点で、4世紀のローマ時代には周辺地域の首都となりました。中世、トゥールの町はトゥール公が支配する東側と聖マーチン修道院を中心とする新たな西側の2つのエリアから成り立っていました。15世紀後半のルイ11世から16世紀まではフランス王国の首都で、この時代に絹産業で栄えました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1574年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 44cm × 33cm 1574Roku
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Solothurn (スイス)_2
ゾロトゥルンはスイス北部、アーレ川沿いの町です。 ローマ時代の要塞が起源です。中世は聖ウルズス聖堂があったため巡礼地となっていました。政治的には、1033年に当地を支配していたブルゴーニュ王国が神聖ローマ帝国の一部となり、1218年に帝国自由都市となり、1295年にはスイス同盟に加わりました。そして1481年にスイス同盟の完全な一員となりました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1592年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 39.5cm × 31.5cm 1592Roku
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Solothurn (スイス)_1
ゾロトゥルンはスイス北部、アーレ川沿いの町です。 ローマ時代の要塞が起源です。中世は聖ウルズス聖堂があったため巡礼地となっていました。政治的には、1033年に当地を支配していたブルゴーニュ王国が神聖ローマ帝国の一部となり、1218年に帝国自由都市となり、1295年にはスイス同盟に加わりました。そして1481年にスイス同盟の完全な一員となりました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1554年頃刊行のラテン語版になります。
Cosmographia 木版画 40.5cm × 33cm 1554Roku
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Sélestat(フランス)_2
セレスタはフランス東部、アルザス地方中央部の町です。 起源はケルト人もしくはローマ人の居住地だと思われますが、繁栄がもたらされたのは1094年にこの地を支配していたホーエンシュタウフェン家が教会を建設し宗教の拠点としてからです。ホーエンシュタウフェン家が神聖ローマ帝国内で勢力を伸ばす中でこの町を支配してきた教会も力を得てきましたが、12世紀終盤にシュタウフェン家の勢力が退潮になる中、教会勢力の力も衰えていきます。この機会に力を得てきていた市民は教会勢力からの脱却を図り、1217年に神聖ローマ帝国より帝国自由都市としての地位を認められ、交易により繁栄します。しかし、15世紀の宗教改革に伴う社会の不安定化、17世紀の30年戦争での戦地となったことから、徐々に衰退していきます。また、1681年にフランスがシュトラスブールを占領したことにより、フランスの最前線基地としての立場も失いました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1554年頃刊行のラテン語版になります。
Cosmographia 木版画 40.5cm × 30.5cm 1554Roku
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Sélestat(フランス)_1
セレスタはフランス東部、アルザス地方中央部の町です。 起源はケルト人もしくはローマ人の居住地だと思われますが、繁栄がもたらされたのは1094年にこの地を支配していたホーエンシュタウフェン家が教会を建設し宗教の拠点としてからです。ホーエンシュタウフェン家が神聖ローマ帝国内で勢力を伸ばす中でこの町を支配してきた教会も力を得てきましたが、12世紀終盤にシュタウフェン家の勢力が退潮になる中、教会勢力の力も衰えていきます。この機会に力を得てきていた市民は教会勢力からの脱却を図り、1217年に神聖ローマ帝国より帝国自由都市としての地位を認められ、交易により繁栄します。しかし、15世紀の宗教改革に伴う社会の不安定化、17世紀の30年戦争での戦地となったことから、徐々に衰退していきます。また、1681年にフランスがシュトラスブールを占領したことにより、フランスの最前線基地としての立場も失いました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1598年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 40.5cm × 33cm 1598Roku
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San Quentin (フランス)
サン・カンタンはフランス北東部の町です。 起源としてはローマ皇帝アウグストゥスの時代にこの地域の首都として建設されましたことに始まります。10世紀以降この町を支配したヴェルマンドワ伯爵家が有力な貴族であったためこの町も急速に発展し、12世紀後半には富裕市民による自治権を獲得しました。13世紀に入るとフランス王国の支配下に入り、毛織物産業、フランスとフランダース地方を結ぶ貿易の中継地点、そして農産物の集積地として繁栄します。しかし、15世紀から17世紀かけて、ペストの大流行による人口の減少、亜麻布の普及による毛織物の衰退、戦略的要衝であったがための領土争いの係争地となったことから衰退していきます。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1628年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 44.5cm × 38cm 1628Roku
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Salins-les-Bains (フランス)
サラン・レ・バンはフランス東部ジュラ山脈の渓谷にある温泉保養地です。 この町はローマ時代から重要な土地で、特に中世においては塩の生産で栄えました。政治的には10世紀にモーリス修道院の支配下にはいりますが、その後1175年以降売買などにより封建領主が何回か変わります。その後1668年及び1674年にフランスに占領され、その支配下となります。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1628年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 44.5cm * 37cm 1628Roku
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Rouffach (フランス)
ルファックはフランス北東部、アルザス地方の町です。 5世紀頃にメロヴィング朝下の要塞の下町として造られました。7世紀にはストラブール司教区の都市として大きく発展し、市壁も造られました。しかし1618年に勃発した30年戦争で壊滅的な打撃を受け、その後はワイン製造の町として復興しました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1570年頃刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 Sebastian MunsterRoku
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Plauen (ドイツ)
プラウエンはドイツ中東部、ザクセン地方に位置する町で、チェコとの国境近くに位置します。 元々は12世紀にスラブ人によって造られた町で、1327年にボヘミア王国に編入されました。その後、マグデブルク大司教の領地となったのち、1466年にザクセン王国に組み込まれました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1598年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 39.5cm × 33cm 1598Roku
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Montpelier (フランス)_1
モンペリエはフランス南部の学術都市です。 中世初期は近隣の港町であるマグロ―ヌの方が栄えていましたが、相次ぐ海賊の襲撃を受け内陸のモンペリエに中心が移りました。モンペリエの町、城及び城壁は当時この地域を支配していたギレム公により10世紀後半に整備されました。12世紀になると、地中海貿易の拠点として、また、カソリック、イスラム、ユダヤ、(後にプロテスタント)の融合する文化圏として栄えました。また1220年に設立された医学学校はその後数世紀に亘りヨーロッパ医薬教育の中心となりました。イベリア半島のアラゴン王国(婚姻により当地を獲得)より1204年には都市権を得ましたが、1349年にフランスに売却されました。しかし、15世紀後半にその地位をマルセイユに奪われ繁栄を失います。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1598年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 41cm × 33cm 1598Roku
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Hammelburg (ドイツ)
ハンメルブルクはドイツ中央部の町です。 元々街道の交差点及びフランコニア・ザール川の渡河地点として町が発生しました。町は、777年にフランク王カール大帝からフルダ大修道院に寄贈されました。12世紀になるとフルダ大修道院は町の防衛のためにザーレック城を建設しましたが、以後近隣のヴュルツブルクの脅威に備えて拡張されていきました。1303年には都市権が認められました。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1598年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 40.5cm × 33cm 1598Roku
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Freiberg (ドイツ)
フライベルクはドイツ中東部、ザクセンに位置する町です。 フライベルクは1186年に造られ、以降何世紀にも亘り鉱業の中心地でした。1765年に設立された工業学校は世界で2番目に古い鉱業・冶金学校です。鉱業の発展に寄与した地域としてユネスコの世界遺産にも登録されています。 掲載の地図はSebastian Munster作の「Cosmographia」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、1598年刊行のドイツ語版になります。
Cosmographia 木版画 40.5cm × 33cm 1598Roku