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Kampen (オランダ)
カンペンはオランダ中部、北海に繋がるアイセル川が湖に変わる地点に位置する町です。 北海貿易の交流と共にライン川の支流に当たるアイセル川の重要性が増したことから栄え、1236年に都市権を獲得し、1441年にをハンザ同盟に加入します。しかし、15世紀中盤から、堆砂に伴い徐々に衰退していきます。その後、八十年戦争、仏蘭戦争を経てオランダが独立を達成していく中で、カンペンの力は更に大きく失われていきます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.5cm × 39.0cm Braun & HogenbergRoku
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Avignon (フランス)_2
アヴィニョンはフランス南部、ローヌ川沿いの町です。 町の起源は、紀元前6世紀半ばにギリシア人が交易の拠点として居住したことに始まります。その後ガリア人の国の首都となりますが、紀元前120年にローマの統治下に入り、紀元前43年にはローマのコロニーとしての地位を得、70年には司教座が置かれます。その後、ゲルマン人の攻撃、フランク王国による支配など目まぐるしく統治者が変わる中で町は衰退していき、1226年にフランス王ルイ八世に占領されます。1309年には、フランス王の後押しで教皇の地位に就いた教皇クレメンス五世が当地を教皇庁所在地とし1377年まで続きました。また、1348年に教皇庁はプロヴァンス伯から当地の譲渡を受け、フランス革命まで、フランス国内の教皇領の飛び地となっていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 53.8cm × 40.9cm Braun & HogenbergRoku
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Blâmont (フランス)
ベルモントはフランス東部の町です。 町の起源はローマ人です。1545年から1552年にかけて、ロレーヌ公爵家を支配していたクリスティーナ女王の居城がありましたが、フランスに追われ1661年迄フランス占領下にありました。その後、1766年以降再びフランス領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 55cm × 39.5cm 1575Roku
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Limbourg (ベルギー)
リンブルフはベルギー東端、ドイツ及びオランダとの国境近くの町で、ヴェーザー河畔の丘の上に所在します。 中世においては神聖ローマ帝国下のリンブルフ公爵量領の居城がおかれていました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 55 cm × 30.5cm 1575Roku
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Dunkirk, Gravelines & Bourbourg(フランス)
ダンケルクはフランス北岸、ベルギーとの国境間近の港町です。第二次世界大戦を描いた映画のダンケルクでも有名です。ダンケルクは10世紀後半まではフランダース伯領の村でしたが、960年に市壁の建設、12世紀後半の干拓、サントメールまでの運河開設、交易権の付与により栄えました。さらに、14世紀の百年戦争時には、イギリスとの交易を禁止したフランスとは別にイギリスと和解、交易で繁栄しました。政治的には、1520年にフランドル伯を神聖ローマ皇帝カール5世が継承したため神聖ローマ帝国領になったものの、1658年にイングランド領となり、1662年にフランスに売却されました。 グラヴリーヌもフランス北岸、ドーバー海峡に面した町です。フランダース地方西部の重要な交易拠点であったサントメールが堆砂により北海との往来が難しくなったことから運河が掘られ、その運河の入り口となったのがグラヴリーヌです。当時は鰊漁の拠点及びワイン・塩・果物等の交易拠点として栄えます。しかし13世紀頃から始まるアー川の堆砂及び、フランス王、フランダース伯、そして後にはイギリスの係争の地となり、衰退していきます。 ブルブールは3世紀後半に始まる海進とその後の土砂の堆積で形づくられた土地に造られた町で、7世紀から12世紀にかけて周囲を干拓することで発展しました。また、戦略上の拠点としてノルマン人や百年戦争への拠点として重要視されます。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のドイツ語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.6cm × 40.6cm 1575Roku
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Haarlem (オランダ)
ハールレムはオランダの首都アムステルダムと北海の中間に位置する都市です。 1245年に都市権が認められましたが、中世後期には毛織物や造船業が栄えました。80年戦争中にスペインに占領され、1577年の講和でカトリック教徒とプロテスタント教徒の同権が認められたためフランドル地方からの移民が増加、麻織物や漂白の技術がもたらされ繁栄しました。また17世紀に始まったチューリップの球根栽培は今でも盛んです。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol. II(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 51.5cm × 39.9cm 1575Roku
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Ypres (ベルギー)
イーペルはベルギー、フランドル地方西部の都市で、中世はイギリスとの亜麻布(リネン)の貿易により栄え、同地方第3の都市に成長しました。その後、17・18世紀のハプスブルク家とブルボン家の争いなどにより町は徐々に衰退、第一次世界大戦では、連合軍とドイツ軍の激戦地となり廃墟となりました。現在のイーペルの町並みは、戦後、以前のものに近い外観で復興されたものです。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅱ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 木版画 55.4cm × 41.5cm 1575Roku
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Alhama de Granada (スペイン)
アルアマ・デ・グラナダはスペイン・アンダルシア州に位置する都市で、ローマ人が温泉を発見したことが起源です。8世紀にムーア人に占領されましが、その後15世紀のレコンキスタによりイスパニア領となりました。 掲載の地図はGeorg Braun及びFranz Hogenberg作の「Civitates Orbis Terrarum」(複数年に亘り、数か国語で刊行)の内、Vol.Ⅱ(1575年初刊)のラテン語版になります。
Civitates Orbis Terrarum II 銅版画 52.9 cm × 39.1 cm 1575Roku