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Prague (チェコ)
プラハはチェコの首都で、ヴルタヴァ川の両岸に広がる都市です。 町の起源は紀元前5世紀頃のケルト人に始まり、その後ゲルマン人、ローマ帝国の崩壊と共に6世紀後半にスラブ人、9世紀にチェコ人の集落へと変遷していきます。9世紀後半のプラハ城及び10世紀頃のヴィシェフラト城の建設により、町は中欧の交易拠点として発展します。そして1346年にボヘミア王カレルⅣ世が神聖ローマ皇帝に選出されると同帝国の首都として大きく繫栄し、ヨーロッパ最大級の都市となります。その後、1526年にボヘミア王家がハプスブルク家に移り引き続き繁栄を続けますが、17世紀前半の三十年戦争(1618~1648)でスウェーデン軍に包囲されたことから、ハプスブルク家は首都をウィーンに移し、以降繁栄は失われていきます。
*** 銅版画 30.4cm × 17.7cm 1738Roku
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Lyon (フランス)_2
リヨンはフランス南東部の商業都市です。 その起源は、紀元前43年にローマ皇帝シーザーがガリア攻略の拠点として基地を建設したことに始まり、ローマ時代はガリア地方の首都となります。その後フランク王国カロリング朝(7世半~8世紀半ば)の下では司教座がおかれたことから、司教の支配下に置かれることになります。経済的にも地中海と北ヨーロッパ結ぶ交易の拠点として古くから繁栄し、15世紀に入るとイタリア人商人によって定期市が開催されるようになり、16世紀にはフランス最初の金融信用取引市場が開設されます。また、16世紀前半のフランス王フランソワ1世により絹織物産業が殖産され繁栄します。
*** 銅版画 36.4cm × 18.3cm 1738Roku
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Cherbourg (フランス)
シャルブールはフランス西部コタンタン半島の突端にあり、イギリス海峡を挟んでイギリスへの玄関口となる港町です。 この地は11世紀以降フランスとイギリスの間で長年に渡り領有権が争われてきましたが、1450年にシャルル七世が獲得して以降フランス領となっています。ルイ十六世の時代の1776年以降軍事基地及び商業港としての整備が進められ、町は発展しました。
*** 銅版画 36.3cm × 30.5cm 1650Roku
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Stralsund (ドイツ)
シュトラールズントはバルト海につながるシュトラールズント水道(大陸とリューゲン島の間)に面する港町です。 元々は西スラブ人の漁村でしたが、1168年にデンマークに属することになりますますが、ドイツ人富裕層や承認が多数移住してきました。その後町の成長に伴い1234年に都市権が認められます。1249年にリューベック市に破壊されますが、その後堅固な市壁を持つ町として再建され、1293年にはハンザ都市となりました。さらに1618年からの30年戦争の結果スウェーデン王国領となりますが、ナポレオン戦争の戦後処理のために開催された1815年のウィーン会議で、プロイセンに帰属することになりました。 掲載の地図は1650年Matthäus Merian作のものです。
*** 銅版画 *** 1650Roku