Calais & Dunkerque (フランス)

0

カレー、ダンケルクいずれもフランス最北部ドーバー海峡に面した港町です。

カレーはローマ時代にシーザーが英国攻略のための海軍の拠点を置いていました。その後10世紀までの間はアー川河口の漁村でしたが、当時はアー川の河口に位置する交易拠点として栄えていたサントメールが干拓により内陸部に立地するようになると、カレー、ダンケルク、グラヴリーヌまで運河が掘削され、英国との交易の拠点として栄えるよになります。特に997年のフランダース伯による投資により栄えるようになり、1224年には市壁が造られます。百年戦争中の1347年カレーはイギリスの支配下に入り、イギリスの指定港として一部交易物資の独占港となります。その後1558年にフランスが奪還、ユグノー戦争中に一時スペインに占領されますが、1598年に返還されます。経済的には、17世紀まではイギリスとの交易の中心地として栄えますが、18世紀に入るとダンケルク及びブローニュの台頭で繁栄に陰りが見え始めます。

ダンケルクは10世紀後半まではフランダース伯領の村でしたが、960年に市壁の建設、12世紀後半の干拓、サントメールまでの運河開設、交易権の付与により栄えました。さらに、14世紀の百年戦争時には、イギリスとの交易を禁止したフランスとは別にイギリスと和解、交易で繁栄しました。政治的には、1520年にフランドル伯を神聖ローマ皇帝カール5世が継承したため神聖ローマ帝国領になったものの、1658年にイングランド領となり、1662年にフランスに売却されました。

掲載の地図はMatthäus Merian作の「Neuwe Archontologia Cosmica」(1646年初刊)所収のものです。

Default