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近鉄バッファローズ 清俊彦 サインボール
近鉄バッファローズ 清俊彦 背番号14 西鉄ライオンズ時代 66年 5勝6敗 2.04 ノーヒットノーラン達成(史上36人目) 近鉄バファローズ時代 69年 18勝7敗 2.23 勝率.720 最高勝率、オールスター出場 70年 14勝16敗 3.29 オールスター出場 71年 15勝14敗 2.92 72年 19勝14敗 2.36 5完封(リーグ最多) 最優秀防御率 通算100勝106敗 3.14 通算100勝(史上66人目) 70年代近鉄バファローズ右腕エース
1969年、1970年 1966年6月12日 対近鉄戦 1972年 1969年ballomar53
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近鉄バッファローズ 太田幸司 サインボール
近鉄バッファローズ 太田幸司 背番号18 三沢高校時代、戦後初の東北勢の決勝進出 延長18回引き分け再試合の激闘 元祖甲子園のアイドル 二桁勝利3回、オールスター戦出場7回 (ファン投票1位6回) 74年 10勝14敗 4.64 オールスター戦出場 75年 12勝12敗 3.71 オールスター戦出場 77年 10勝14敗 3.21 (防御率リーグ10位) オールスター戦出場 79年 7勝4敗 3.31 (防御率リーグ5位) 近鉄バッファローズ 球団初のリーグ優勝に貢献 入団後3年連続オールスターファン投票1位 入団3年間で通算3勝、人気先行と言われたが72年オールスター戦では無死満塁のピンチに王をショートフライ、長嶋をセカンドゴロゲッツーに抑え、翌年先発定着のきっかけをつかんだ。
7回 近鉄バッファローズ 18ballomar53
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近鉄バッファローズ 真木将樹 サインボール
近鉄バッファローズ 真木将樹 背番号15 97年ドラフト1位指名 98年 6勝6敗 3.89 新人王候補にあがるほどに 1年目からローテーションを担ったが 頭部デッドボールへの投球以降 成績不振となり通算11勝 惜しまれる快速左腕投手
近鉄バッファローズ 15ballomar53
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近鉄バッファローズ 小池秀郎 サインボール
近鉄バッファローズ 小池秀郎 背番号23 1990年ドラフト会議8球団競合の末 ロッテが交渉権獲得したが入団拒否 1992年ドラフト会議にて 近鉄バッファローズ入団 97年 15勝6敗 2.96 最多勝、月間MVP(9月) ドラフト会議8球団指名され 最多勝利獲得した本格派左腕投手
1999年 1997年 1997年9月 近鉄バッファローズballomar53
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近鉄バッファローズ 井本隆 サインボール
近鉄バッファローズ 井本隆 背番号12 79年 15勝4敗 3.61 近鉄バッファローズ初優勝 オールスター戦出場 日本一カープ相手に日本シリーズ2勝 80年 15勝8敗 4.37 近鉄バッファローズ2連覇 オールスター戦出場
1979年、1980年 近鉄バッファローズ 12ballomar53
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近鉄バッファローズ 鈴木貴久 サインボール
近鉄バッファローズ 鈴木貴久 背番号2 いてまえ打線、和製スラッガー 4年連続20本塁打含む、9度の二桁本塁打記録 開幕戦本塁打3回記録 1997年大阪ドーム初本塁打も鈴木貴久 1987年 .262 21本塁打 54打点 1988年 .246 20本塁打 54打点 1989年 .286 20本塁打 57打点 1990年 .270 22本塁打 71打点
3回 近鉄バッファローズ 2ballomar53
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近鉄バッファローズ 五十嵐章人 サインボール
近鉄バッファローズ 五十嵐章人 背番号39 オリックス時代には NPB史上2人目となる、 全ポジション出場達成 近鉄時代には NPB史上6人目となる、 全打順本塁打記録。 通算本塁打26本での達成は最小記録。 捕手での出場は2回記録している。 全ポジション出場と全打順本塁打達成は 史上唯一の記録。 引退後はホークス守備コーチ、 独立リーグではGM,副社長など歴任 野球普及に貢献。
史上2人目 史上6人目 近鉄バッファローズ 39ballomar53
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近鉄バッファローズ 阿波野秀幸 サインボール
近鉄バッファローズ 阿波野秀幸 背番号14
1989年 1989年 1987年 1989年ballomar53
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近鉄バッファローズ 野茂英雄 サインボール
近鉄バッファローズ 野茂英雄 背番号11 新日鐵堺時代には都市対抗野球大会 ソウル五輪では銀メダル獲得に貢献 89年ドラフト会議史上最多8球団競合 仰木監督率いる近鉄バッファローズ入団 プロ4試合目オリックス戦プロ初勝利は 1試合17奪三振の日本プロ野球タイ記録(当時)の偉業 90年 18勝8敗 2.91 287奪三振 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率 投手4冠 史上唯一となる新人王、MVP、沢村賞を独占 ベストナイン、オールスター戦出場 トルネード投法、ドクターK 社会人時代~プロ1年目までの フルネームサインボール
90年4月29日、対オリックス戦17奪三振 1990年 1990年 1990年ballomar53
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近鉄バッファローズ 山口哲治 サインボール
近鉄バッファローズ 山口哲治 背番号29 79年 36登板 10先発 4完投 7勝7敗4セーブ 2.49 プレーオフMVPの活躍 チーム初優勝に貢献。 パ・リーグ最優秀防御率賞獲得
1979年 1979年 近鉄バッファローズ 29ballomar53
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近鉄バッファローズ チャーリー・マニエル サインボール
近鉄バッファローズ チャーリー・マニエル 背番号4 「赤鬼」と呼ばれた70年代最強助っ人 セパ両リーグでのベストナイン獲得に 所属チームを優勝に導くなど活躍。 ヤクルトスワローズ時代 77年 .316 42本塁打 97打点 78年 .312 39本塁打 103打点 ベストナイン スワローズ初優勝、日本一に貢献。 近鉄バッファローズ時代 79年 .324 37本塁打 94打点 MVP、本塁打王、ベストナイン バッファローズ初優勝に貢献。 フェイスマスク付きヘルメットでの出場。 80年 .325 48本塁打 129打点 本塁打王、打点王、ベストナイン 引退後 08年 フィリーズ監督として ワールドシリーズ優勝。 日本球界経験者のワールドシリーズ優勝監督はデーブ・ジョンソン以来2人目 MLB監督通算1000勝も達成した名将
1979年 78年(外野手)、79年(指名打者)、80年(指名打者) 2008年 1980年ballomar53
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近鉄バッファローズ 仲根正広 サインボール
近鉄バッファローズ 仲根正広 背番号20 日大櫻丘高校72年センバツ全国大会優勝 「ジャンボ仲根」全国区 引退後にはハリウッド映画、高倉健主演 「ミスターベースボール」にも出演している
近鉄バッファローズballomar53
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近鉄バッファローズ 大石第二朗 サインボール
近鉄バッファローズ 大石第二朗 背番号4 82年 .274 12本塁打 47盗塁 新人王、ダイヤモンドグラブ賞 83年 .278 10本塁打 60盗塁 福本豊の連続盗塁王記録を阻止。 盗塁王獲得。 84年 .287 29本塁打 46盗塁 2年連続盗塁王。 3年連続ゴールデングラブ賞の守備力に福本豊の盗塁王記録を阻止した走力、 長打力もある、強打のいてまえ打線 不動の1番打者 登録名大石大二郎だが、 一時期「大石第二朗」としている。
1982年 近鉄バッファローズ 3回 4ballomar53
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近鉄バッファローズ 吉井理人 サインボール
近鉄バッファローズ 吉井理人 背番号11 88年 10勝2敗24セーブ 2.69 ファイアマン賞・最優秀救援投手賞獲得。 背番号36から11へ変更。 89年 5勝5敗20セーブ 2.99 リーグ優勝に貢献。 背番号11から21へ変更。 (背番号11は新人の野茂英雄へ) 90年 8勝9敗15セーブ 3.99 95年ヤクルトスワローズ移籍 95年 10勝7敗 3.12 チーム日本一に貢献。 97年 13勝8敗 2.99 チーム日本一に貢献。 98年 メジャー移籍 99年 ニューヨークメッツ12勝 日米で活躍。 日本復帰後、史上5人目の全球団勝利投手。
5回 1988年 近鉄バッファローズ 11ballomar53
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近鉄バッファローズ 羽田耕一 サインボール
近鉄バッファローズ 羽田耕一 背番号3 入団2年目の73年に13本塁打を放ち、サードのレギュラーとして定着、以後バッファローズ中心選手。 79年 13本塁打で球団初優勝に貢献。 80年 .272 30本塁打 80打点 リーグ優勝連覇に貢献。 ダイヤモンドグラブ賞 通算1504安打、225本塁打 オールスター出場3回 引退後は打撃コーチなどを経て、 2014年資格回復研修制度を経て母校の監督に就任する初めてのケースとなる。 プロアマ野球界に貢献。
近鉄バッファローズ 3 1504安打 225本ballomar53