-
1949(昭和24)年 11月21日 / 22日 大阪 朝日會館 公演 プログラム/入場半券
上田仁さん指揮による東宝交響樂團の大阪 朝日會館での2日間公演のプログラムと入場半券です。 *メンデルスゾーン:序曲「眞夏の夜の夢」 *ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 ・アレグロ マ ノン トロッポ ・アダージョ ・アレグロ ヂオコーソ マ ノン トロッポ ヴィヴァーチェ *ロイ・ハリス:第三交響曲 ブラームスでのヴァイオリン協奏曲にて獨奏としてクレジット。 翌日は京都に移動しまして、京都の朝日會館での同公演でした。近府県、プログラムはラストがショスタコービッチに変わっております。 余談ではありますが、こちらのパンフレットは⬇︎のものとデザイン傾向・レイアウトが酷似しておりますので、きっと同じデザイナーの方のお仕事なのでしょう・・・ https://muuseo.com/nine_o_nine/items/24?theme_id=39620 その同年6月の京都 朝日會館のものにあしらわれたシュール且つ象形的な美貌ヴァイオリニストさんのフィギュアに対しまして、当、大阪公演のものは9月故でしょうか?落ち葉に見え隠れする美女の面影。 イラストレイターさんも同一の方なのでしょうか? 今回のものは恐らく裏焼で、"yoshi"のサインが見て取れますが・・・ #諏訪根自子 #nejikosuwa #大阪朝日會館
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 6月27日 駒場 東京大學教養學部(第一高等學校)演奏會プログラム
6月27日(月曜日)との表記だけで年が記載されておりません。 表紙には『新制東京大學発足記念』 とあります。 月/日/曜日から可能性あるのは、'49年 '55年 '60年。 東京大学の沿革に"1949(昭和 24)年 5 月 31 日には学校教育法に基づく新制東京大学が誕生します。" とありますから、此方は同年1949年の翌月6月であったと特定出来ます。 本郷の方での演奏会は複数回確認出来ますがこちらは駒場キャンパスの方にての開催。 (倫理講堂=900番教室だったのかな?・・・推測ですが。後年、あの三島由紀夫氏で有名な) 第一高等學校。いわゆる旧制一高ですね?この時はまだ名称残っており翌年3月24日を以って その名称/歴史に幕を下ろす事となりました・・・。 *バッハ:シャコンヌ *メンデルスゾーン:協奏曲 ホ短調 作品No.64 -休憩- *a)バッハ:アリオソ b)モーツァルト:ロンド c)ラヴェル:ハヴァネラ d)パガニーニ(クライスラー編):鐘 この年のピアノ伴奏は井口秋子さん、直前の5月が井口基成さん、再び井口秋子さんに戻り秋頃から田中園子さん。 主催は第一高等學校共済部。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東京大学
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
音樂之友 1949(昭和24)年 6月號 6月1日 發行 㐧7巻㐧6號
「 私は誰でしょう?」という巻頭グラビア㌻に掲載されております。 恐らく昭和5〜6年頃のお写真ではないでしょうか? 10ヶ月振り程となる(?)日比谷公會堂での独奏會のトピックスが2つ小さく掲載されておりました。 "永遠の處女と呼ばれてみたり、黒衣の處女といわれてみたりして、いつもいわば神秘という柱といつたものの陰に、身をかくしていた諏訪根自子が久しぶりに四月の十四・五の兩日、第四回目の獨奏會を帝劇で開いた。" https://muuseo.com/nine_o_nine/items/113?theme_id=39620 (この回⬆︎ですね) "珍しくかの女は今回は薄黄の明るい衣装で、しかも生氣あふれて登場し、聴衆はいままでのかの女の會で感じさせられる一種の暗い壓迫感から解放され、じつくりかの女の藝術を観賞しよう、という雰囲氣が場内一杯にあふれたようであつた。" -通常の根自子さんの演奏會の雰囲気、そしてブランク・充電明けの今回はそれまでとは違った特異な明るいムード(それはドレスのお色目にも顕れ)で幕開けた事、反映される聴衆のよき反応が伝わって参ります! "かの女は依然わが提琴界の最前線を進んでいる。自重と健康を祈るゆえんである。" 更に… それは昨年(1948(昭和23)年)の6月以来1年振りとの記載が別㌻にありました。やはりこの記述⬆︎から健康所以のご休養だったのでしょうか? 確かに'48年は手持ちでは今の所、3月の京都/同志社でのもの一冊のみ・・・'54年の長期ブランクと共に気になる所でございます。 まだ戦前〜戦中(ベルギー/パリ)の頃までをいろいろ探しつつ読み進めてるところで、それも近頃滞りがち。戦後のこの頃のことももう少し先になるかと思いますがまた当時のプログラムや誌面記事から辿りたいと思います♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 4月14/15日 帝国劇場 第四回 提琴独奏會 プログラム
昭和24年 4月の帝国劇場公演のプログラムです。 この一冊の魅力は何と言いましても、'39年パリの寫眞館撮影の美麗ポートレイトが(内㌻)一面にあしらわれている事でしょう。 数カット存在する内、最もまろやかなご表情をされている一枚(私見で恐縮ですが、これが一番お気に入り!)が採用されていて目を惹きます^^ (また、東寶豪華パンフレット= https://muuseo.com/nine_o_nine/items/79?theme_id=39620 にも掲載されていた中村琢二氏のイラストも曲目紹介欄に…) そして何よりバッハ無伴奏バイオリン・ソナタで幕開けする当夜のプログラムもなかなか魅力的♪ バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第3番 グリーク:バイオリン・ソナタ ハ短調(作品45) <休憩> サンサーンス:ハヴァネーズ フォーレ:子守唄 モシュコフスキー(サラサーテ編):ギターレ ラヴェル:ツィガーヌ とりわけ、'49年この年のパンフレットは殊の外多く現存し=公演の多さは根自子さんのご多忙ぶりを物語り、それはあの『音楽之友』誌(前年'48年のもの)での松田さんのインタビュー( https://muuseo.com/nine_o_nine/items/111?theme_id=39653 )総括に結びつくのでしょう。 ピアノ伴奏は井口秋子さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #帝国劇場 #井口秋子
プログラム 日本:骨董品店さん 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 5月30/31日 帝國劇場 公演 チラシ(フライヤー)/豫約受付用紙
"二巨匠による最高の演奏" 諏訪根自子(提琴)井口基成(ピアノ) ソナタの夕(ゆうべ) *バッハ・ソナタ 5番ヘ短調 *ブラームス・ソナタ 1番ト長調 *ピツエッティ・ソナタ イ長調(*日本初演) 月日・曜日そして料金から推測しまして1949年のものと思われます。(*可能性のある1955年、帝劇はは映画上映用に改装されている事からも) インターネットでの申し込みが当たり前の現代。まだプレイガイドやチケットセンターにやきもきしながら並んだ記憶も、ある意味幸せなるものでしょうか? この「ソナタの夕」は公演日僅か10日程前の前売り発売なのですね。1,800席程のキャパも人気最高潮の頃ですからきっと瞬殺だったことでしょう♪ #諏訪根自子 #nejikosuwa #帝国劇場 #ソナタの夕べ
チラシ 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
科学グラフ 1949(昭和24)年 2月1日 發行 㐧17号
科学グラフ 特集「ラジオの話」 "眼でみる楽しい科学雑誌"と題された青少年向け雑誌。 …ではありますが、 その内容はと申しますと、当時の録音から放送の手順みたいなものがこと細かに解説されており少年少女向け雑誌と思しきもその内容は極めて本格的で実にマニアックで子供向けとは俄かに信じ難い程に濃くって驚きます。例えば楽器や肉声、ピアノ、ヴァイオリン等々其々の基音・倍音の話そしてその音を拾うマイク特性から始まって…と言う具合である。 大変貴重な、ラジオ放送時の模様(写真)が掲載されてます。 母や叔母の話を聞くと、諏訪根自子さんのラジオから流れる演奏は座して聴き入る… そんな感じだったそう。 先日、車中で伊集院光さんのパーソナリティで過去の放送のアーカイブからセレクトして放送する番組を聴きました。NHKに残る全盛期の生演奏を聴いてみたい・・・ リクエストしてみようかしら^^ #諏訪根自子 #nejikosuwa #NHK #放送音源
雑誌 自由出版株式会社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1949(昭和24)年 5月21/22日 大阪 朝日會館 公演 プログラム/入場半券
大阪:朝日會館 學生音樂友の會 例會 2日間の内の初日、21日の公演のプログラムと入場半券です。プログラムの方は薄い紙一枚なのでもしかしたら中紙のみか?學生向けであった為の簡易版であったのか?不明です。(下部の映画「青い山脈」の広告が時代を感じさせます) 演奏曲は… *奏鳴曲 ト短調:エックレス(ソルモン編) *スペイン交響曲:ラーロ *イ)アリオーゾ:バッハ(ルッチーニ編) ロ)ロンド:モーツァルト ハ)ハバネラ:ラヴェル ニ)鐘:パガニーニ(クライスラー編) ピアノ伴奏は井口秋子さん
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年10月24日 京都 同志社大学 榮光館 リサイタル プログラム
同志社でのリサイタル、掲載、第四弾は'49(昭和24)年 秋のものです。同様に栄光館ファウラー・チャペルにて。 デザインの傾向は翌年のものと一緒です。 *奏鳴曲 第四番 ニ長調 :ヘンデル *協奏曲 第一番 ト短調作品26 :ブルツフ a)アレグロ・モデラート b)アダージオ c)アレグロ エネルギコ *a)レントより遅く:ドビュッシー b)マラゲニア:アルベニス c)淋しき泉:シュトラウス d)スペイン舞曲:デ・ファリア *アンコールは不明 ピアノ伴奏は田中園子さん。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #田中園子 #同志社
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年10月22日 神戸 ニューオリエンタルホテル 公演 プログラム
前年の'48年、終戦の年6月の空襲で半壊取り壊し後、3年の時を経てグリルとバンケットホールのみで営業再開しました当会場。故に"ニュー"オリエンタルホテルなのでしょうか? 根自子さんも何度もサロン・リサイタルを催されてます。(*手持ちでは直近、於ニューオリエンタルホテルのこの次回は翌年'50年3月、そして更にその半年後同年'50年10月と言うペース!それだけ要望が多かったのでしょう。因みにその回(掲載済み)の表記はニューが取れて"オリエンタルホテル"と相成ってます。神戸にはこの間の学校での公演を含めますとかなりの頻度で訪れられていた事がわかります。) 当日のプログラムの補足(ショーソン:詩曲)がこの手書きの記載でわかります。ピアノ伴奏は田中園子さん。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #六甲ミュージカルソサエティ #神戸 #オリエンタルホテル
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 11月23日 京都 公樂會館 公演 プログラム
京都の公樂会館で行われた上田仁さん指揮、東宝交響樂團公演の『Grand Concert』と題されたプログラムです。 メンデルスゾーン、ブラームス、ショスタコービッチの交響曲などが演奏されています。 会場の公樂會館は、もともと京都四条河原町 高島屋百貨店南側に隣接した場所にて「公楽会館大劇場・公楽小劇場」としてこの年1949(昭和24)年に開業しました。後の1962(昭和37)年に河原町三条の方へ移転、大映系映画館として「大映公楽」と改称、その10年後の1972年に大映の破綻により「東宝公楽劇場」となり2009年閉館・取り壊しされました。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #京都 #公楽会館 #都新聞
プログラム 日本:骨董品店さん 1949年nine_o_nine
-
ユーモレスク / スーべニール('49)
Columbia A491 『ユーモレスク 』 ドボルザーク作曲 137980 『スーべニール』 ドルドラ作曲 237981 左→右表記です。 ピアノ伴奏:上田 仁 1933年8月22日 録音の戦前音源ながら、此方は大変珍しい戦後プレス(両曲共に戦前のA/B面組み合わせとは異なる独自のカップリング)盤です。発売は1949(昭和24)年2月、最後のSP盤フォーマットでのリリースとなります。(*故に掲載順序的にこの位置と致しました。) https://www.youtube.com/watch?v=HVs7dubf8TY #諏訪根自子 #nejikosuwa #上田仁
SPレコード 日本コロンビア 日本:その他nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 6月16日 京都 朝日會館 公演 プログラム
バッハ、ブラームスそしてベートーベンのソナタ(奏鳴曲)。 何処の朝日会館か記載がありませんが、広告から恐らく京都ではないかと思われます。 なによりこのカバーが秀逸!どなたの作画でしょう? #諏訪根自子 #nejikosuwa
プログラム 日本:骨董品店さん 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年 9月22日/23日 愛知 名古屋市公會堂 告知
辻久子さん、原智恵子さん。あゝなんと豪華なラインナップの9月/名古屋であろうか? 名古屋市音樂協會:CHAMBER MUSIC CONCERT (THE CONCERT NO.6) ピゼッティのソナタは邦人初演とあるのが興味深いです。 名古屋市公會堂は未だ米軍接収下にあって日本人にも広く開放された(条件付き) 翌年、そんな歴史も同様に。。。 <以下'23/5/27追記> 更に遡れば、昭和8年刊の『名古屋市公會堂』書籍中"使用者ノ横顔"の章で・・・ 「本館開館當時ヨリ滿二ヶ年半〜(中略)〜本館ヲ訪レタル主ナル藝術家ヲ列記スレバ」 と言う書き出しから提琴演奏家として根自子さんのお名前が最後に掲載されています。 この間16年、勿論、戦後直ぐの昭和21年11月6日にも名古屋公演の記録がありますので 若しかしたら同会場での公演だったのかも知れませんが、何れにせよ10余年の時、渡欧期間・ 戦争を跨いでの同会場(=戦禍を免れた)での演奏は日比谷の公會堂や各地朝日會館等と共に ある種の感慨があったのでは?と推測する次第であります。 #諏訪根自子 #名古屋市公会堂 #nejikosuwa
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine
-
1949(昭和24)年10月20日 新潟 縣立新潟女子高校 講堂 プログラム
主催が高校の生徒会(後援は地元新聞社)。伴奏は田中園子さん。 他のパンフレットからも、大学も併せ同様な要請が多かったのでしょう。 今で言う文化祭/学園祭で有名アーティストが演奏する感覚でしょうか? #諏訪根自子 #nejikosuwa #県立新潟高校
プログラム 日本:その他 1949年nine_o_nine