婦人之友 1935(昭和10)年 9月號 第二十九巻 第九號

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文面から察しますと渡歐の決定後(前年11月?)、1935年8月9日。この日が最後のレッスンであったのでしょうか?

「親愛なる根自子さん 心からサヨウナラをいひませう。あなたの上に相つゞく成功と健康を 

心から祷りながら」

モギレフスキー氏の直筆の原文は・・・

「A nearly sayonara to my dear Nejiko san !

With all the best wishes for a long chain of successes and good health

Hers as always

Alexander Mogilewsky」

…いろいろあったにせよ、遺されたSP盤の情緒豊かな音色に接する度に、
モギ先生のご指導は適切でこの時点での根自子さんの藝術を大いに前進させたものだったのだと感じ得ます。

この取材から5ヶ月後の翌年1月、渡歐告別提琴演奏會を名古屋/大阪/京都の順で巡り催され一旦、帰京され21日、最後の日比谷公會堂での公演をフィナーレに慌ただしいご自宅取材をこなされた後。再び東京駅から寝台列車で西へ…神戸を目指される事と相成るのです…

またこの辺りも後日、資料を交えまして。

#諏訪根自子 #NejikoSuwa #AlexanderMogilewsky

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