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マイテ49 2
【実車について】 1938年(昭和13年)に特急「富士」用展望車として製造された。当時の型式はスイテ37040⇒スイテ49。戦後は連合軍接収を受け、返還後は「つばめ」「はと」に使用。冷房装置を追加してマイテ49となる。1956年に青大将塗装となり1960年まで活躍した後は交通科学館に展示、1987年に再整備され車籍復活、現在でもイベントなどで見ることが出来る。 【この模型について】 日記にも掲載したが、1979年発売のKATO製品を中古で購入したが、デッキ支柱が破損、一部紛失状態で入手したため、以下の項目で加工した。 ①展望デッキ支柱破損修理 ②尾灯取付 ③室内灯取付 ④屋根のベンチレータ撤去(実車通りに) ⑤塗装変更(旧製品の淡緑3号⇒もう少し濃い現行の淡緑5号) ⑥その他ディテールアップ等 車番はマイテ49-2で、塗装や屋根などは実車の青大将塗装時代の形態に似せた加工をした。 テールマークはシールをやめて、現行のハメコミ式を両面テープで貼り付けてみた。また、キハ58の胴受を加工して、ジャンパ栓、スチーム用ホースなども再現した。 #展望車 #青大将
鉄道模型 Nゲージ KATO 2020年6月ngt001675
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ナロ20 54
【実車について】 ナロ20は1958年(昭和33年)から9両製造された、20系客車の2等車(現グリーン車)である。当時はビジネス利用で需要があり(逆に寝台車は経費として落とせない会社があった)、「あさかぜ」「さくら」などに連結されたが、東海道新幹線開業以降は需要減となり1968年に6両がナハネ20へ改造された。残った3両は引き続き「あさかぜ」に連結され、1975年の山陽新幹線博多開業まで使用された。 【この模型について】 KATOのナロ20のうち、単品設定されたNo.5093-1を以下の項目を加工した。 ①車番「2」⇒「54」 ②グリーンマーク移設 「あさかぜ」用として最後まで残った4、5、54のうち、日立製の54で比較的晩年の姿を再現。 グリーンマークは出入り台(後位)寄りだったのを、消しゴムで一旦消して前位寄りに数ミリずらしたところにインレタ貼りした後、半艶クリアで押さえてある。 当時のグリーンマーク貼付位置は、工場や施工時期によって若干バラツキがあり、ナロ20の3両もそれぞれ違うようだ。 ちなみに、製品オリジナルの車番:2でグリーンマーク貼付は実車では存在しない(1等車時代にナハネ改造の為)。 2015年にKATOから発売された『10-1321 20系寝台特急「あさかぜ」』のナロ20にグリーンマークが無く、「エラー」だという声を聴いたが、インレタを貼れば済む話。上記のような変な拘り(?)があると、マーク無しのほうが返って好都合だと思う。 #20系 #ブルートレイン
鉄道模型 Nゲージ KATO 2020年5月ngt001675
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オシ17 2(青大将色)
【実車について】 オシ17は1956年(昭和31年)から1961年(昭和36年)までに製造された食堂車。新製費用を削減するために、遊休状態となっていた、GHQ返還車両などの台枠を再利用しているが、車体は当時の最新技術といえる軽量構造で新製している。食堂は蛍光灯や固定窓など最先端の設備を誇るが、調理室は技術的な問題で電化されずに石炭レンジを採用している。 ブルトレになる前の寝台特急「あさかぜ」や特急「つばめ」「はと」にまずは投入され、オシ17-1~4は青大将塗装で落成している。その後、各長距離急行用として、戦前製食堂車に代わって増備された。1972年に急行「きたぐに」で使用中に火災を起こし、全車使用中止、廃車となった。 【この模型について】 KATO 青大将「はと」のセットにある1両。セットの車番はオシ17-4であったが、2両入手していたため、車番変更と屋根のウェザリングを実施。インレタでオシ17 2とし、GM半艶クリヤーでインレタを押さえた。屋根はプライマー塗装の後に、Mr.カラー「C137タイヤブラック」を砂吹き。塗装の厚みは、調理室煙突から進行方向後方数センチ>食堂上部>車体雨どい付近&煙突前方 のグラデーションになるようにしている。 食堂テーブルと椅子も塗装し、自作LED室内灯を取り付け。実車の青大将編成は屋根が銀色であるが、クリアで押さえていないので2~3ヶ月でグレーになってしまうことに加え、オシ17は石炭レンジによる煤が屋根に付着するので、1両だけ極端に屋根が汚れて見える事がある。今回はこれを再現した。
鉄道模型 KATO 不明 (中古購入)ngt001675