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EF58 35
【実車について】 1946年(昭和21年)から製造された旅客用電気機関車。31号機までは初期型として戦時仕様のデッキタイプの旧車体から新車体に換装した経緯があるが、35、36号機は初期車体で製造途中にドッジライン等の影響で発注停止となりデッドストック状態だったものを1952年(昭和27年)、新車体に変更して完成した。新EF58として登場した最初のグループとなる。車体は旧車体で出来上がっていたものを切り継いだ為、側面窓の位置、寸法、数がそれ以降のタイプと全く異なる。また、側面扉は旧車体用前面扉2両分を転用しており、窓寸法などが明らかに違うのがわかる。 35号機は終始上越線で活躍。1972年の新潟県植樹祭の際に、お召予備機として指定されたことがある。1975年頃にP型改造を受け、特急北陸などを牽引した。1981年廃車。 【この模型について】 同型2両のご紹介。 ①1987年にKATOのEF58ひさし付 一般色(No.3006-6、恐らく1985年ロット))をベースに改造した作品。時代設定は1972年のお召予備機指定時に整備された時を限定した。EF58型36号機と同様(作成時期はこちら35号機が先)に側面機械室窓の位置、個数変更、屋根機器の寸法変更を実施。お召整備で各所を銀塗装、磨き上げを再現した。ヒサシは当時のプラ整形の場合、角度がおかしかった(恐らく金型から抜く角度の都合)ので銀河モデルの真鍮パーツと付け替えている。側面扉の変更はしなかった。少々残念なのは、お召仕様しかも予備機の再現なので牽かせる客車が無い事(苦笑) お召1号編成の回送のようなものには使えるかもしれない。 ②2018年に中古で購入。No.3056「EF58 35 長岡運転所」(2009年ロット)でほぼ無加工でそのままの状態。①とは時代設定が異なり、EG化(客車への暖房供給方式をスチームから電気式に変更)された後なので、1975年頃以降の最晩年だと思われる。 ①は旧製品の改造(自分が高校生時代の作品)、②は最近製品化された新旧比較もしてみたが、製品の年代が全く違うので当然②のほうが仕上がりが良い。①と②は設定年代が異なるが、マイクロエースから①と同仕様のものが発売された。 #EF58 #お召 #変形機
鉄道模型 Nゲージ KATOngt001675
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EF58 36
【実車について】 1946年(昭和21年)から製造された旅客用電気機関車。31号機までは初期型として戦時仕様のデッキタイプの旧車体から新車体に換装した経緯があるが、35、36号機は初期車体で製造途中にドッジライン等の影響で発注停止となりデッドストック状態だったものを1952年(昭和27年)、新車体に変更して完成した。新EF58として登場した最初のグループとなる。車体は旧車体で出来上がっていたものを切り継いだ為、側面窓の位置、寸法、数がそれ以降のタイプと全く異なる。 当初は上越線で活躍していたが1972年に米原に転属しP型改造を受け、関西ブルトレなどで活躍した。1986年まで活躍した後に廃車となったが、車体半分は解体されずに個人に引き取られた。 【この模型について】 1989年にKATOのEF58ひさし付 一般色(No.3006-6)をベースに改造した作品。時代設定はP型改造後の1973年以降としてある。窓位置はプラ板等で移設、窓ガラスはEF15用を移植している(当時はホビーセンターカトーでバラ売りをリクエストして購入したと記憶している)。 窓位置以外に屋根上もベンチレーターの土台部分の寸法が異なる。屋根の画像は他と比較用に3両並べてあるが、手前から①36号機(本作品)、②EF58 大窓 一般色 (No.3006-8)(①も元々の状態がコレ)、③EF58 35 長岡運転所(No.3056)2009年ロット(35号機、36号機は本来同じ屋根上機器寸法)の順。一番奥の③が正解だと思われるが、本作品は屋根部品の寸法変更の詰めが若干甘くなってしまった。 ヒサシは実車がワイパー強化の際にかなり歪みを生じており、その雰囲気を再現すべく、一旦モールドを切り落とし銅板切り出しで再作成している。 この作品完成をもって鉄道模型趣味は一旦休止し、25年ほど寝かせていたが2015年頃にオーバーホール、多少の追加整備を実施した。
鉄道模型 Nゲージ KATO 1989年3月 地元の模型店ngt001675
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マイテ49 2
【実車について】 1938年(昭和13年)に特急「富士」用展望車として製造された。当時の型式はスイテ37040⇒スイテ49。戦後は連合軍接収を受け、返還後は「つばめ」「はと」に使用。冷房装置を追加してマイテ49となる。1956年に青大将塗装となり1960年まで活躍した後は交通科学館に展示、1987年に再整備され車籍復活、現在でもイベントなどで見ることが出来る。 【この模型について】 日記にも掲載したが、1979年発売のKATO製品を中古で購入したが、デッキ支柱が破損、一部紛失状態で入手したため、以下の項目で加工した。 ①展望デッキ支柱破損修理 ②尾灯取付 ③室内灯取付 ④屋根のベンチレータ撤去(実車通りに) ⑤塗装変更(旧製品の淡緑3号⇒もう少し濃い現行の淡緑5号) ⑥その他ディテールアップ等 車番はマイテ49-2で、塗装や屋根などは実車の青大将塗装時代の形態に似せた加工をした。 テールマークはシールをやめて、現行のハメコミ式を両面テープで貼り付けてみた。また、キハ58の胴受を加工して、ジャンパ栓、スチーム用ホースなども再現した。 #展望車 #青大将
鉄道模型 Nゲージ KATO 2020年6月ngt001675
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ナロ20 54
【実車について】 ナロ20は1958年(昭和33年)から9両製造された、20系客車の2等車(現グリーン車)である。当時はビジネス利用で需要があり(逆に寝台車は経費として落とせない会社があった)、「あさかぜ」「さくら」などに連結されたが、東海道新幹線開業以降は需要減となり1968年に6両がナハネ20へ改造された。残った3両は引き続き「あさかぜ」に連結され、1975年の山陽新幹線博多開業まで使用された。 【この模型について】 KATOのナロ20のうち、単品設定されたNo.5093-1を以下の項目を加工した。 ①車番「2」⇒「54」 ②グリーンマーク移設 「あさかぜ」用として最後まで残った4、5、54のうち、日立製の54で比較的晩年の姿を再現。 グリーンマークは出入り台(後位)寄りだったのを、消しゴムで一旦消して前位寄りに数ミリずらしたところにインレタ貼りした後、半艶クリアで押さえてある。 当時のグリーンマーク貼付位置は、工場や施工時期によって若干バラツキがあり、ナロ20の3両もそれぞれ違うようだ。 ちなみに、製品オリジナルの車番:2でグリーンマーク貼付は実車では存在しない(1等車時代にナハネ改造の為)。 2015年にKATOから発売された『10-1321 20系寝台特急「あさかぜ」』のナロ20にグリーンマークが無く、「エラー」だという声を聴いたが、インレタを貼れば済む話。上記のような変な拘り(?)があると、マーク無しのほうが返って好都合だと思う。 #20系 #ブルートレイン
鉄道模型 Nゲージ KATO 2020年5月ngt001675
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オシ17 2(青大将色)
【実車について】 オシ17は1956年(昭和31年)から1961年(昭和36年)までに製造された食堂車。新製費用を削減するために、遊休状態となっていた、GHQ返還車両などの台枠を再利用しているが、車体は当時の最新技術といえる軽量構造で新製している。食堂は蛍光灯や固定窓など最先端の設備を誇るが、調理室は技術的な問題で電化されずに石炭レンジを採用している。 ブルトレになる前の寝台特急「あさかぜ」や特急「つばめ」「はと」にまずは投入され、オシ17-1~4は青大将塗装で落成している。その後、各長距離急行用として、戦前製食堂車に代わって増備された。1972年に急行「きたぐに」で使用中に火災を起こし、全車使用中止、廃車となった。 【この模型について】 KATO 青大将「はと」のセットにある1両。セットの車番はオシ17-4であったが、2両入手していたため、車番変更と屋根のウェザリングを実施。インレタでオシ17 2とし、GM半艶クリヤーでインレタを押さえた。屋根はプライマー塗装の後に、Mr.カラー「C137タイヤブラック」を砂吹き。塗装の厚みは、調理室煙突から進行方向後方数センチ>食堂上部>車体雨どい付近&煙突前方 のグラデーションになるようにしている。 食堂テーブルと椅子も塗装し、自作LED室内灯を取り付け。実車の青大将編成は屋根が銀色であるが、クリアで押さえていないので2~3ヶ月でグレーになってしまうことに加え、オシ17は石炭レンジによる煤が屋根に付着するので、1両だけ極端に屋根が汚れて見える事がある。今回はこれを再現した。
鉄道模型 KATO 不明 (中古購入)ngt001675