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Avery Johnson:エイブリー・ジョンソン
エイブリー・ジョンソンは、身長180cm、体重84kg。5フィート11インチの低い身長ながらポイントガードとしてリーダーシップを発揮しチームを率いたため、サンアントニオ・スパーズ在籍時、チームメイトのデビッド・ロビンソン(提督:Admiral)に対して "Little General"(小さな将軍) と呼ばれた。 1988年、彼はドラフトで指名されなかったが、シアトル・スーパーソニックスを皮切りに、デンバー・ナゲッツ、ヒューストン・ロケッツサンアントニオ・スパーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、ダラス・マーベリックスで16年間NBAでプレイした。ジャニーマンとしていくつものチームを渡り歩いた彼の最も知られた時代は、スパーズ時代で特に1999年のニューヨーク・ニックスとのNBAファイナル第5戦では試合を決める重要なシュートを決めた。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ エイブリー・ジョンソン
1999年 2006年 1988年 ドラフト外 PGダブルクラッチ
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Rod Strickland:ロッド・ストリックランド
デュポール大学で3シーズンプレーした後、1988年のNBAドラフトで、ニューヨーク・ニックスに1順目19位で指名され入団。ルーキーシーズンは81試合に出場し、10試合でスターターを務め、1989年のオールルーキー・セカンドチームに選ばれた。1990年にサンアントニオ・スパーズに移籍し、その後7チームでプレーし、2005年に引退した。1,094試合出場、14,463得点(13.2ppg)、7,987アシスト(7.3rpg)、1,616スティール(1.5spg)を記録した。 2011年のNBAドラフト1位で、NBAオールスターMVP等を獲得したカイリー・アービングの名付け親でもある。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ロッド・ストリックランド
1989年 1998年 1987年 19位 PGダブルクラッチ
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Mark.Jackson:マーク・ジャクソン
1987年にセント・ジョーンズ大学を卒業し、ドラフト1巡目18位でニューヨーク・ニックスに指名されNBA入りした。ルーキーシーズンは平均13.6得点、4.8リバウンド、10.6アシスト、2.5スティールと活躍し、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞。新人王を受賞した歴代のNBA選手の中で最も指名順位が低い選手だった。2年目にはキャリア唯一のオールスターに出場した。ニックスでは、パトリック・ユーイングらとプレイし、カンファレンスセミファイナルまで進んだ。 1992年には、3チーム間のトレードでロサンゼルス・クリッパーズへ移籍した。クリッパーズには2シーズン在籍し、ダニー・マニング、ロン・ハーパーらと共に、1年目はプレイオフに出場した。 1994年には、マリック・シーリーやエリック・パイカウスキーらとの交換で、インディアナ・ペイサーズへ移籍した。1996年に、一旦デンバー・ナゲッツに放出されるが、再びトレードでペイサーズに復帰した。2000年には、ペイサーズのNBAファイナル進出に貢献した。 2000-01シーズン前、フリーエージェントとなったジャクソンは、トロント・ラプターズと契約した。しかし、シーズン途中にまたもやトレード、古巣のニューヨーク・ニックスで2シーズンプレイすることとなった。 2002年には、ユタ・ジャズと契約し、アシスト数歴代1位のジョン・ストックトンと2位のジャクソンが同じチームに在籍することになる。ジャズ時代に1万アシストを達成。 2003-04シーズンはABAのラスヴェガス・ラットラーズ、ヒューストン・ロケッツに所属した後、引退した。 ポイントガードでありながら、ジャンプシュートはあまり得意ではなく、体の幅を生かしたポストプレイからフックシュート、あるいはパスアウトで味方を生かすことを得意としていた。 リーダーシップがありゲームメイクも上手い、パス優先型のガードとして長年活躍し、アシスト数は歴代3位まで達し10323アシストを記録した。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ マーク・ジャクソン
1989年 1997年 1987年 18位 PGダブルクラッチ
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Stephon Marbury:ステフォン・マーブリー
ジョージア工科大学在学中に1996年のNBAドラフトにアーリーエントリーし、ミルウォーキー・バックスから全体4位の指名を受けたが、直後にミネソタ・ティンバーウルブズが5位で指名したレイ・アレンとの交換トレードが成立し、キャリアがスタートした。 初年度となる1996-1997シーズンから67試合に出場し、1試合平均15.8得点、7.8アシストの好成績を残し、NBAオールルーキーファーストチームに選出される。その後1998-1999シーズンの途中までウルブズでプレーするが、ニュージャージー・ネッツとウルブズの3チームで行われたトレードでネッツに移籍した。 ネッツでは得点能力を発揮させ、1試合平均23.4得点をマークし、1999-2000、2000-2001シーズンも22.2得点・8.4アシスト、23.9得点、7.6アシストという成績を残すが、チームをプレーオフへ導けず、2000-2001シーズン終了後フェニックス・サンズへ放出された。 サンズでも毎シーズン個人成績は20得点・8アシスト以上の成績を残すが、チームは2003年にプレイオフに進出したのみ(1回戦敗退)の成績に終わり、2003-2004シーズン中に自己3回目のトレードでニューヨーク・ニックスへと移籍した。 2010年1月、CBA所属の山西ドラゴンズに入団し、15試合に出場した。7月29日、チームとの3年の契約に合意した。その後北京ダックスに移籍し、2014年と2015年にCBA優勝を経験した。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ステフォン・マーブリー
2015 2004年アテネ銅メダル 1996年4位 PGダブルクラッチ
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Steven Smith:スティーブ・スミス
ミシガン州立大学時代に長身ガードとして "マジック・ジョンソンの再来" として注目され、1991年のNBAドラフト5位でマイアミ・ヒートに指名された。1995年にはアトランタ・ホークスに移り、1998年のNBAオールスターゲームに出場している。その後、ジミー・ジャクソン、アイザイア・ライダーとのトレードでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍した。2001年のオフシーズンにはデレック・アンダーソンとのトレードでサンアントニオ・スパーズに移籍。2003年のNBAファイナルでは優勝を味わったが、マヌ・ジノビリの台頭もあり、プレーオフを通じて出場機会は限られた。その後ニューオーリンズ・ホーネッツ、シャーロット・ボブキャッツでプレイした。2005年2月24日、トレード期限間際にマリック・アレンとのトレードで古巣のヒートに移籍し、そこで引退宣言をした。 2000年のシドニーオリンピックでアメリカ代表に選出され、金メダルを獲得した。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ スティーブ・スミス
2002年 2003年 2000年シドニー 金メダル 1991年5位ダブルクラッチ
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Jason Kidd:ジェイソン・キッド
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元バスケットボール選手。現役時代のポジションはポイントガード。ニュージャージー・ネッツを2年連続NBAファイナルに導き、NBAキャリアをスタートしたダラス・マーベリックスに復帰後、2011年に、自身、チーム共に初のチャンピオンとなった。ポイントガードにも関わらず、キャリア平均6.3リバウンドと、リバウンド能力が高く、トリプル・ダブルをレギュラーシーズンで107回、プレーオフで11回、達成しており、Mr.トリプル・ダブルの称号を与えられた。また、アシスト数、スティール数は歴代2位、3ポイントゴール成功数は歴代5位である。現在はミルウォーキー・バックスのヘッドコーチ。 参照Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ジェイソン・キッド
1996年,1998年,2000年〜2004年,2007年,2008年,2010年 1999年,2001年,2002年,2006年 2000年,2003年,2004年,2005年,2007年 1995年ダブルクラッチ
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Mike Conley:マイク・コンリー
三段跳び金メダリストの父と元NFL選手のスティーブ・コンリーを叔父に持つスポーツ一家で育った。少年時代は父の指導のもと、後に高校と大学をともにするグレッグ・オデンとともにバスケットボールに励んだ。 学生時代からディフェンスには定評があり、スティールの能力に長けている。オフェンスの方も年々向上しており、サウスポーの利点を活かして積極的にゴール前に切り込む。試合の重要な場面のショットを任されることも増え、今やリーグ屈指のクラッチシューターとして名を馳せている。 参照:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ マイク・コンリー
2013年 2014年 2016年 2007年全体4位 PGダブルクラッチ
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Andre Miller:アンドレ・ミラー
デビュー以来、欠場したのは7シーズンでわずか3試合のみ。それほど故障をしない丈夫な肉体を保っているので「鉄人」と形容されることもしばしばある。アウトサイドからのシュートはないが、ドライブから切り込んでシュートを放つ。故障しないことから司令塔としても計算できる選手であり、キャリア平均1試合あたり35分近い出場時間があり、スタミナを携えた選手でもある。 戦術理解度が高くどのような選手と組んでも一定以上のスタッツを残せるコーチ陣としては実に計算しやすいポイントガードである。 参照:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ アンドレ・ミラー
2000年 2002年 アディダス 1999年8位ダブルクラッチ