勝川春朗(北斎)の時は、武者絵の挿絵ばかり

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葛飾北斎は、生涯30回以上、名前を変えたと言われます。一番最初は、勝川春朗。勝川派に属し、武者絵や芸者、歌舞伎俳優などの挿絵ばかり描いていました。

勝川派を抜けた直後、約1年間、使用した名前が「東周」。偶然か?必然か?この前田家の掛軸の署名も「東周」。

近年、落款や署名のない北斎の作品も見つかっています。ですから、落款や署名を気にせず、絵の雰囲気で感じることも大切でしょう。

また、前田利家の顔の輪郭と鼻筋が、勝川春朗の描いた中国武人の輪郭と鼻筋が、写真で合成したところ、ピッタリと一致しました。

その写真は、削除してしまったので、中国武人の絵を、どこから、持ってきたか、忘れてしまいました。図書館の本か?インターネットか?覚えていません。

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