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写真乾板用ステレオカメラとステレオスコープ@明治後期の写真器材カタログ
20世紀初期の写真器材綜合カタログでは、まだ乾板を使う器械の方が幅を利かせていて、フィルムカメラの方はやっと関連製品が増えつつある途上だったようだ。 100年以上も前の写真のことについてよくご存知の方には説明するまでのことでないだろうが、この当時はレンズはもちろんのこと、暗箱・シャッタ・ファインダなどがそれぞれ別々の器械で、撮影するにもまずそれらを択んで買いそろえて組み立てて使う必要があったし(セットになっている商品もあるにはあったが)、現像・焼付などおこなうにも危ないものを含む色々な薬品や周辺器材を調達して自ら調合し、必要があれば手作業でレタッチし、鍍金をほどこし、仕上げに艶出しローラをかけ……という具合に、非常に手間とお金とがかかる、趣味としてはもっぱら「ゆとりある階級向け」のものだった。 そうした乾板用の器械で、立体視ができる撮像が得られるいわゆる「ステレオカメラ」と、それからそれを焼き付けた作品を鑑賞するための「ステレオスコープ」のところをみてみよう。 1・2枚目は同じ焦点距離の鏡玉(レンズ)2本と、双眼ファインダのついた「携帯用」暗箱、つまり野外撮影などに使うカメラ本体。 3・4枚目はステレオ撮影用シャッタ単体。管の先についているゴム球を握ると、当然ながら二つとも同時に動作する。左側のものには、レンズを取り付けるための「前板」がついている。 5・6枚目はステレオカメラで撮影した写真を焼き付けたものをレンズの向こう側の枠へ挿し込んで、立体視するためのステレオスコープ。当時は「双眼寫眞覗」とも呼んだようだ。顔の大きさ……というか両目の離れ具合に合わせて、左右のレンズの位置を細かく調整できるものらしい。 7・8枚目はこれの簡易版で、片手で持ち支えて見る「實體鏡」。これが今回のうちでは、最も実物を目にする機会があるシロモノだろう。 現代では考えにくいだろうが、こうした器械の筐体はだいたいが金属製ではなくて、綺麗に表面仕上げされた木の箱だった。もちろん、プラスティック製のパーツなどは使われていない。あってもセルロイドとか、だったろうか。暗箱の蛇腹部分は革製だ。 当時のカメラ関係器材などは、ほとんどが輸入品だったこともあって、図版も輸出元のカタログから持ってきたものが多いのだが、今回取り上げたカタログをよぉく見ると中には「S. KUWADA」と添えてある絵もあって、これはカタログを編む際に新たに彫刻した、日本製の細密版画であることがわかる。 なお国会図書館デジタルコレクションには、このカタログの明治34年(1901年)版が公開されているのだが、これにはまた別のステレオカメラがいくつか出てくる。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853871/84 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853871/92 かつてのデジタルライブラリー時代のスキャニング画像は画質がひどく粗いものが多く、図版の細かいところが潰れてしまっていてよくわからない。こうした稀少資料の現物が覧られないのは残念なことだ。
桑田寫眞要鑑 明治四十一年 明治41年(1908年) 銅版+活版刷り 洋紙図版研レトロ図版博物館
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果樹の幾何学的な仕立て方@明治の果樹栽培書
明治晩期の果樹栽培法の本に載っている、樹形のいろいろな仕立て方の図。 我が国では明治にいたるまで果物の大規模な栽培はおこなわれておらず、19世紀も終いになってようやく、ヨーロッパやアメリカで当時の最新技術を学んできた園芸家がその知識や技術をひろめ始め、各地で果樹園が作られるようになった。また一般市民も経済状態がよくなって広い庭付き一戸建てを持つようになり、そこで果樹や草花を育てる園芸趣味が流行った。この本はそうした時代に数多く出された園芸書のひとつだが、当時のヨーロッパやアメリカで流行していたこのような幾何学的な整枝法は、実益と趣味とを兼ね備えた仕立て方として紹介されたにもかかわらず、一部を除いてはほとんど広まらなかったのではないかとおもわれる。 それでもこんな人目を惹く果樹の仕立て方が、20世紀の初めに日本へ図解入りで紹介されていたことには興味をそそられる。
實用園藝學 果樹篇 明治41年(1908年) 明治37年(1904年) 木口木版刷り+活版刷り図版研レトロ図版博物館
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無脊椎なヒトたちの彩色博物画@明治後期の小型百科辞典
明治の終い近くに出された一冊モノ百科辞典の「海産動物」項附図として載せてある見開き一枚の彩色博物画から、節足動物だの軟体動物だの棘皮動物とか腔腸動物とか、とにかく脊椎がない種類の生き物たちの部分を拡大して眺めてみよう。 欄外の名称を図版番号で拾ってみるとそれぞれ、一枚目「1 イボヤギ」「2 キクメイシ」「3 ウミシャボテン」「4 赤サンゴ」、二枚目「5 アコヤガイ」「6 アワビ」「7 サヾエ」「8 カキ」、三枚目「9 ビゼンクラゲ」「10 カツオノエボシ」「11 オビクラゲ」「12 水クラゲ」「13 カツオノカムリ」「14 カイメン」「15 カイロードーケツ」「16 ホッスガイ」、四枚目「28 カリナリヤ」「29 アメフラシ」「38 タコブネ」「39 オームガイ」「45 タコ」「46 イカ」「47 ゴカイ」、五枚目「18 イソギンチャク」「22 アシナガヾニ」「32 カブトガニ」、六枚目「27 ヒドラクチニヤ」「37 ホヤ」、七枚目「31 クルマエビ」「33 イセエビ」「40 ウミユリ」「41 ヒトデ」「42 ウニ」「43 ナマコ」、八枚目「36 サルパ」「44 ヤドカリ」。このうち「カツオノカムリ」がカツオノカンムリなのはまだご想像がつかれるかもしれないとしても、「カリナリヤ」はゾウクラゲ、「アシナガヾニ」はタカアシガニ、というのはお分かりにならないのでは……。「ヒドラクチニヤ」は多分カイウミヒドラ。いずれも透明な身体をもつ「オビクラゲ」「サルパ」なども、結構マニアックな選択ではないかしらん。にもかかわらず、以上六種はどれもこの辞典中には立項されていない……覧る側は「そこが知りたかったのに……なんちゅー不親切ぶり」などとついつい勝手を並べたてたくなってしまうww のだが、しかし編む側の立場で考えてみれば、そんな細かいところまでいちいちフォローしていたら、一冊では到底終わらなくなってしまう。項目の取捨選択は悩ましいところだ。 それはさておき、色彩もうるさくない程度に鮮やかで美しく、博物図ひとつひとつをみても全体として眺めても、美意識に裏打ちされた魅力にあふれた図版ではないだろうか。拡大複写してポスターに仕立てたいくらいだ。 なお、この図版のほかの部分は「爬虫類両棲類の部屋」 https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/9 、「魚類の部屋」https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/3 に展示してあるので、もしまだご覧になっておられない方は是非☆ #レトロ図版 #無脊椎動物 #海の生き物 #博物画 #百科辞典 #明治後期
國民百科辭典 明治41年(1908年) 明治41年(1908年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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海水魚の彩色博物画@明治後期の小型百科辞典
引き続き、明治後期の一冊モノ百科辞典の「海産動物」項附図として載っている彩色博物画から、魚類のところを拾ってみよう。 それぞれの名前は、一枚目「19」は「マグロ」(クロマグロだろうか?)、二枚目「17」は「タイ」(これはマダイだろう)、「20」は「トビウオ」(胸鰭がハマトビウオほど長くないからツクシトビウオとかなのかな?)、「21」は「ヒラメ」、「30」は「サバ」(マサバ)、三枚目「23」は「イワシ」(マイワシ)、「24」は「ニシン」「25」は「カナガシラ」、「26」は「ムツ」、「34」は「フグ」(マフグ……だと思うけれど尾鰭の形がなんだか丸過ぎないかな?)、「35」は「カツオ」、四枚目「48」は「ツノザメ」(アブラツノザメと思っていーんじゃないかな)、「49」は「シュモクザメ」と欄外に書かれている。見出し語が表音式なので、明治時代の本でも旧仮名遣いにはなっていないのだった。 この図版では多分、「一般人に身近」という考えで食用魚を選って描いたのではないかしらん(シュモクザメは肉は食べないかもしれないが、フカヒレを採る)。なお明治期の水族館には、結構早くから海の生き物を展示する水槽があらわれていた(けれども短命におわった)ことが、鈴木克美「わが国の黎明期水族館史再検討」 https://www.muse-tokai.jp/wp/wp-content/uploads/2017/09/bulletin_03.pdf を読むとわかる。 さて、引き続きこの「海産動物」図(その全体については「爬虫類両棲類の部屋」https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/9 に展示)から、カメでもウオでもない色々な生き物たちのところも拾って「貝類ほか海産生物の部屋」https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/4 に載せてみることにしよう。 #レトロ図版 #海水魚 #食用魚 #博物画 #水族館 #明治後期
國民百科辭典 明治41年(1908年) 明治41年(1908年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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ウミガメの彩色博物画@明治後期の小型百科辞典
明治の末近くに次々と出された一冊モノ百科辞典のひとつに載っている、「海産動物」項附図として添えられた彩色博物画の中から、ウミガメ二頭のところを拡大して眺めてみよう。 左の小さい方「51」が「タイマイ」、右の大きい方「52」が「ショーガクボー」(=アオウミガメ)。甲羅の模様、鱗の生え具合など丹念に描き込まれている。当時はいずれも甲羅は鼈甲細工(アオウミガメの方は「和鼈甲」と呼んだらしい)として、またアオウミガメの方は食肉・食卵としても人気があった。北原白秋が小笠原に滞在した際の短い旅行記に、ウミガメの肉を料理して旅人に食べさせたり缶詰にしたりする話が出てくる。 http://nihongo.hum.tmu.ac.jp/~long/bonins/natsu.htm ところでこの図版全体をご覧いただければおわかりのように、当「展示館」のうちのどれかひとつだけには収められない、色々な海の生物が一緒に描かれている。このように複数のカテゴリにまたがったものを実物展示する場合には、さてどこに置くのが一番いいかしらん、と悩むことになることもあるだろうが、そこはヴァーチャル博物館のいいところ、その一部分をあちらこちらに気軽に分けて置いてお見せすることができる。ということで、引き続き「魚類の部屋」 https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/3 、「貝類ほか海産生物の部屋」 https://muuseo.com/lab-4-retroimage.jp/collection_rooms/4 に続きを載せることにしよう。 #レトロ図版 #海産動物 #海亀 #アオウミガメ #タイマイ #博物画 #明治後期
國民百科辭典 明治41年(1908年) 明治41年(1908年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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薬品棚と薬品容器@明治後期の調剤師向け解説書
明治の終わりごろの調剤法解説書に載っている、調剤室に備えるべき薬品棚と、それから薬剤保存容器のいろいろ。今日のように製薬会社があらかじめ一包づつ調製密封した製剤などがなかった時代、薬剤師が処方箋を受け取るごとに薬局方にしたがって材料を量って調合するのが当たり前だったため、調剤薬局や薬剤師を抱える医院などにはこうした木製棚が必ずあった。 ラテン語で「VENENA(=毒薬)」と書かれた札に咬み着いているドクロの飾り彫りが乗っかっている、両開き扉つきのハコは毒薬棚。といっても一応鍵がかけられるようになっているだけのフツーの小型戸棚で、今の感覚からすると不用心この上もない感じww 「薬品箪笥」と呼ばれていた大型の棚にしても、転倒防止装置も扉も何もなく、大きな地震でもくれば大変なことになるのは目に見えている。 容器の方は右上から、固体物をいれる「広口びん」、液体をいれる「細口びん」、それから水やアルコールなどで有効成分を抽出したものをいれる「エキスびん」、その下右側が陶器製の「軟膏びん」、そしてその左が油やシロップなどの粘り気のある液体をいれる「油びん」。貼ってあるラベルはそれぞれ、「樟脳(=d-カンフル)」「纈草〈きっそう〉(=カノコソウ)チンキ」「蘆薈〈ろかい〉(=アロエ)エキス」「薔薇軟膏(牛脂と蜜蝋とを融かし混ぜて粗熱がとれたところでローズウォーターを加えたもので、よい香りがするので軟膏製剤のベースとしてよく使われた)」「蓖麻子〈ひまし〉(=トウゴマの実)油」。 古風な道具類の細密銅版画と焼けた古い本文紙の色合いとが、ちょっとアヤシい雰囲気を醸し出していて、こういうのが好きな向きには心惹かれるものがある。 #レトロ図版 #調剤 #薬品 #毒薬 #ガラスびん #木製戸棚 #ドクロ #明治後期
調劑術講本 明治41年(1908年) 明治25年(1892年) 銅版+活版刷り図版研レトロ図版博物館