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Guru Guru “Hinten”
続いても、またしてもGuru Guruです。今度はセカンド・アルバム”Hinten”(独逸語の話し言葉では「おしり」のこと)です。ジャケもそのまんまですね。バンドのネーミングと言い、ジャケと言い、ふざけ切ってますね。その割に、演奏の方は少しカッチリまとまったかのような内容になってます。それでも、タイトでアグレッシブな演奏は凄まじいものなんですが。これは恐らく、ドラム魔人Mani Neumeierによるんじゃないかと推測してます。しかし、このアルバムを初めて聴いた時に、A-1の冒頭の直ぐ後のブレイク時に”Electric Junk!”と呟くのは鳥肌モノでした。それからこのアルバムは例のConny Plankがエンジニア(? 音響デザイン)を行なっていることも重要ですね。それで多分に聴き易くなっているようにも思えます。まあ曲がある程度、固まっているからことかも知れないです。基本、ジャム・セッション的ですが、このアルバムの曲は何らかの決め事に沿って、自由に演奏している感が強いです。しかしながら、Connyってエレクトロなもののイメージが強いですが、こう言うヘビーサイケも手掛けるんですね。流石、一流のサウンド・エンジニアですね。B-1”Bo Diddley”は、「1950年代のアメリカのロックンロールの先達に対する、ドラッグ漬けのサイケデリック世代によるリスペクト」だそうですが、よくは分かりません。でも、この曲もカッコいいです。B-2”Space Ship”では逆回転や鳴り物やラジオらしき音が配置されて、かなり混沌とした音楽になっています。そんな「回転」のセカンドを聴いてみてください❗️しかしながら、ジャケ写は誰のお尻かと言う疑問が残りますが。 https://youtu.be/rRlSZjMNOuU #GuruGuru #Hinten #Ohr #Psychedelic #ManiNeumeuer #UliTrepte #AxGenrich #ConnyPlank #GernanRock
German Rock Ohr 不明Dr K2
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Cluster “Cluster ‘71”
長々と説明してきました。独逸の”C”の方のClusterになってからのファースト・アルバムです。元々は、1969年にベルリンで、Dieter Moebius, Hans-Joachim RoedeliusとConrad Schnitzlerが”K”の方のKlusterを結成したのがきっかけで、Conradが抜けて、デュオになった時に、名称を”C”の方のClusterに変え、活動を続けていきます。当然、ClusterはConny Plankの協力の元、Connyが亡くなる1987年まて続きます。また、このアルバムは、発売当時は”Cluster”とセルフ・タイトルでしたが、その発売年にあやかって、後々、”Cluster ‘71”と呼ばれるようになります。このアルバムはPhillipsから発売され、当時としてはこのようなメジャーから出ること自体驚きです。ここら辺は後で書きます。その後、セカンド・アルバム”Cluster II”をリリースしますが、ここではConnyの名前が、3人目のメンバーとしてクレジットされています。そして、Brain Recordsと契約し、1975年まで続きます。その後、Korstの田舎に引っ越し、そこに農家を改造した自分達のスタジオを作ります。そこで、2人はNeu!の首謀者の一人であるMichael Rotherと共にHarmoniaを結成し、1974年に”Musik von Harmonia”を、1975年に”Deluxe”と言うアルバムをリリースし、ツアーをしますが、MichaelがKraus DingerとNeu!を本格的に始動する為に抜けます。その間にも、RordeliusとMebiusは、1974年に”Zuckerzeit”をリリース。Clusterにしてはメロもリズムもしっかりした作品となっています。”Deluxe”リリース後に、ClusterとMichaelと彼等に興味を持ったBrian Enoで、”Tracks and Traces”を1976年に作成しますが、この作品は1997年になるまでリリースされませんでした。1976-1979年はClusterにとって最も活動的な時期で、4年間に4枚のアルバムを出しています。1977年に2人は再びBrian EnoとConnyのスタジオでジャム・セッションを行い、そこから、”Cluster & Eno”をリリースします。このアルバムには元CanのHolger Czukay (B)やAsmus Tietchens (Synth)と言うゲストも入ってます。1980年にClusterはJoshi Farnbauerとライブを行い、その記録はBritish York House Recordsより限定カセットでリリースされており、”Live in Vienna”は唯一作品になっています。1981年に”Curiosum”をリリースしますが、ビートも不明瞭になり、メロも変わった感じになってるそうです。そこから8年間、Clusterは活動を休止したいますが、ソロ作品などはリリースしています。これも以前に紹介しましたが、MebiusはConnyと、Guru GuruのDrのMani Neumeierと大傑作”Zero Set”を作ってます。そして、1989年にCluster は再結成します。そんなこんなで、また休止期が来て、再度活動再開になりますが、2010年にロンドンでライブを境に活動停止となります。この間にも2人はソロ作品をリリースしています。ザッとこんなバイオグラフィーになります。 それで本作品ですが、私の持っているのは、オリジナルではなく、仏のBureau Bから再発されてものです。因みに、担当は、H.J. Roedelius (Organ, Cello, Audio Generator, Amplifier, Hellas)とD. Moebius (Organ, Hawaiian-G, Audio Generator, Amplifier)で、まだシンセは使っていないですね。オルガンや自作電子楽器(?)によるインフロヴィゼーションと言えばいいのか、何とも掴みにくい電子音がゆるゆると流れるように絡みついては離れるように流れていきます。長尺の曲が3曲ですが、オフビートなので、不定型なんで、覚えられないんです。ある意味、当時としては、極めて実験的なことを演ってたのかも?と想像します。1980年辺りの電子音楽やノイズ・ミュージックがここから、始まったのではないでしょうか?そんな深読みも楽しいですね。シンセを楽器として使ったのは画期的だったかも?そんな古典にも触れてみてはどうでしようか? 曲順: A1 “7:42” A2 “15:43” B “21:32” https://youtu.be/9qdul2kPZrg #Cluster #Cluster’71 #DieterMoebius #Hans-JoachimRoedelius #ConnyPlank #Krautrock #Electronic #BrainRecords #BureauB #Reissue #Improvisation #Organ #AudioGenerator
Krautrock / Electronic Bureau B (Sky Records) 不明Dr K2
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Pink Floyd “Meddle (おせっかい)”
またまたプログレですか⁉️でのPink Froydの登場です。とりあえずは”Meddle (邦題: おせっかい)”を。その前にバイオグラフィーなんですが、初期から終焉までを掻い摘んで、少し。1965年、London polytechnic regent street (現Westminster Law School)の同級生であったRodger Waters, Richard WrightとNick Masonは現代音楽に関して論争を交わしたことがきっかけで、3名のメンバーを追加してSigma 6と言うバンドを結成、次々にバンド名を変えてで活動しましたが、上手くいかず一旦休止になります。同年後半、Waters B, Vo), Wright (Kbd, Vo), Mason (Dr)は旧友のSyd Barrett (Vo)とBob Klose (G)を誘って、バンド名をPink Floyd Soundに固定します。因みにグループ名はBarrettの大好きな米国のブルースシンガーPinkney "Pink" Anderson からは "Pink" を、Floyd “Dipper Boy” CouncilからはFloydを繋ぎ合わせた結果で、心理学者のフライトとは関係ないです。それで純粋なブルースをやりたがっていたKloseは脱退し,それを機にBarrettがVoとlead Gにチェンジし、グループ名もPink Floydに短縮。ライブ活動を盛んにやり、EMIと契約。1967年にファーストシングル”See Emily Play”をリリース、同年、ファースト・アルバム”The Piper at the Gates of Dawn (夜明けの笛吹き)”をリリース。1968年にDavid Gilmourが加入、この頃はBarrettの薬物問題があり、1968年にBarrettは脱退し、以後、鉄壁の4人組もなります。その後、Barrettのサイケデリック路線から進路変更をし、シングル曲を作らなくなりました。長尺のインスト曲を含むアルバム ”Ummagumma”を1969年にリリース、更には名作となった”Atom Mother Heart (原子心母)”を1970年にリリースし、全英1位を獲得。後者ではオーケストラを入れた23分にも及ぶロック・シンフォニーと見事に渡り合い、プログレ・バンドの代表格となりました。そして1971年に,本作”Meddle (おせっかい)”をリリース、箱根アフロディーテのトリを務める為に初来日しています。ツアーが終わると直ぐに録音を開始して、1973年3月には「人間の内なる狂気」を主題にした傑作アルバム”The Dark Side of the Moon (狂気)”をリリース。このアルバムは、ビルボードアルバムTOP100に741週間(約15年間)に亘ってランクインし続けてました。この頃からステージが大掛かりになり、観客動員数も格段に増えました。その後、バンドは休止期に入ります。その時期に、楽器を一切使わずにワイングラスや輪ゴムなどの日用品を使って演奏する組曲”Household Objects”の制作を試みましたが,結局は断念しています。またこの時期には様々な面で困難なことが続いており、難産の末に、1975年に”Wish You Were Here (炎〜あなたがここにいてほしい)”をリリース。この頃になると,世の中はパンク・ムーブメントが巻き起こっており、QueenやLed Zeppelin及びPink Floydはオールド・ロックとか化石ロックとしてみなされていました。バンド内の力関係ではWatersが主権を握り、1977年作の ”Animals”では殆どの曲も歌詞もWatersが書いています。有名なジャケはアート集団Hipgnosisによるものです。その後は、1979年に”The Wall”とそこからのシングルカット ”Another Blick in the Wall (Pat II)”をリリース、MTVの影響もあって大ヒットしました。そこからAlan Parker監督の映画”Pink Floyd The Wall”も作製されています。しかしながら、その後はバンド内での人間関係の絡れもあり、1985年にWatersが脱退し、バンドは消滅しかけましたが、GilmourとMasonは解散を望んでおらず、何とか継続していきます。新生Pink Floydは1987年に”A Momentary Lapse of Reason (鬱)”を発表。1993年には”The Division Bell (対: Tsui)”を発表してます。その後はライブ・ビデオのリリースをしますが、マネージャーの死などで、沈黙していきます。またら2008年9月15日にWrightが癌で死亡。その後、ボックスセットやライブDVDなどが発売されますが、Wrightが居ないのであれば、Pink Floydは成り立たないとの残ったメンバー間の意見が一致し、バンドとしての活動は終焉しました。 ザッと書くと,こんなキャリアなのですが、前述の様に、”Meddle”にはB面全部を使った”Echoes”が収録されており、またプロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場テーマ曲に使われたA-1 “One Of These Days (吹けよ風、呼べ嵐)”も収録されており、プロレスマニアにもウケたのでは? 私はどうもトラッド調の曲は余り好きではないのですが、アルバム全体としてはよく構成されており、このコンセプチュアルな構築力は素晴らしいと思います。中古でも出回っているので、興味がある方は是非聴いてみて下さい。(大物ロックバンドの一生は勉強になりましたね。はいっ!) https://youtu.be/V4im_3AxIZ4 #PinkFloyd #Meddle #おせっかい #Echoes #ProgressiveRock #OneOfTheseDays
Progressive HARVEST 1500 円Dr K2
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Emerson, Lake & Palmer “Tarkus”
珍しくプログレの紹介です。今回は皆んな知ってるEmerson, Lake & Palmer (ELP)の作品”Tarkus”です。このバンドも私が紹介する必要も無い程、有名ですが、まあ、極々簡単にバイオグラフィーを書いておきます。メンバーはKieth Emerson (Kbd, Synth), Greg Lake (Vo, B, G)とCarl Palmer (Dr)のキーボード・トリオで,結成は1970年です。各人が、それぞれ当時、有名であったグループから参加していることからスーパーグループと呼ばれていました。Kiethは元The Nice、Greg Lakeは元King Crimsonで、元々はこの2人がコアとなって,Atomic RoosterのCarl Palmerをスカウトして、 1970年に結成されています。それまで、ロックの世界ではギターがメインの楽器と考えられていましたが、ELPはその既成概念を崩すかの様に、パーカッシブなオルガン演奏とリズム隊で、先鋒を切り、多くのキーボード・トリオの見本になります。それと、それまでは、多くのキーボード奏者はシンセサイザーは実際にライブで演奏する楽器とは考えられておらず、宅録の為の機材と考えられており、またミュージック・コンクレートなどでしか使われないものとの認識していましたが、Gregの提案で、KiethはMoogシンセの導入を試み、画期的な演奏方法を開発、ロック・バンドにおけるシンササイザーの位置を獲得させる先駆となりました。特に、リボン・コントローラーを用いた奏法などは特徴的です。また、オルガンをギターアンプに繋いだり、オルガンで持続音を出す為に、鍵盤にナイフを刺したりと、魅せる演出も開発しています。そして、彼等は1970年にファーストアルバムを発表。その後、セカンドアルバムである本作品をリリース、本格的にシンセを導入したロックアルバムとして、高い評価を受け、メロディ・メイカー誌で首位を獲得しています。翌年、ライブ録音されていた「展覧会の絵」がサードアルバムとしてリリースされ、英国・欧州ツアーや米国ツアーもこなしています。1974年に一時ELPとしての活動を停止し、Kiethはソロ&GregとCarlの形でアルバム「ELP四部作」を1977年にリリースしていますが、1980年2月にELPは正式に解散を表明します。その後、各人はソロ活動を開始。2010年7月15日に一夜限りの再結成ライブが行われますが、その後、2016年3月にKiethが、同年12月にGregが癌で死亡してしまいます。ザッとこの様な経歴となります。 それで,本作品”Tarkus”ですが、このアルバムはKiethのパーカッシブてややダーティなオルガンの演奏と唸りまくるMoogシンセがかっこ良いのは勿論ですが、Gregのベースが骨太で,変拍子も含めて、ずば抜けたグルーヴを出していることも特筆すべき特徴だと思います。特にA面全部を使って組曲風にアレンジされたタイトル曲はカッコいいです。ここら辺のキーボードの演奏は、意外とThe StranglersのDave Greenfield等にも影響を与えている様にも思えます(勿論、タイプは違いますが)。B面ではKiethのホンキートンクなピアノ演奏も聴ける曲”Are You Ready, Eddy?”もありますが、小曲が6曲収められています。その為か、B面はよく言えば「ヴァラエティに飛んでる」とも、悪く言えば「散漫な印象」とも言えますね。個人的にはこのアルバムはA面推しですね。久しぶりに聴きましたが、このような音楽がメジャーだったシーンがあったのか!と感慨深いものがありますね。皆さんも、もし興味がありましたら、聴いてみて下さい。 https://youtu.be/WKNOlDtZluU #ELP #KiethEmerson #GragLake #CarlPalmer #Tarkus #ProgressiveRock #MoogSynthesizer #KeyboardTrio
Progressive Rock ATLANTIC Records 2000円Dr K2