-
Duffo “s/t”
Duffoと聞いて、何人の方が反応するでしょうか? New Wave勃興期に遅れてきた豪州のグラム・ロック・ミュージシャンで、本名Geoff "Jeff" Stephen Duffなんですが、私は、ジャケが気になっていて、そんなに高くなかったので中古レコード店で購入、久しぶりに聴いてます。そんな訳で、David Bowieになれなかった彼、Duffoのファースト・アルバムです。1980年代は英国で活動していましたが、どうにも英国では評価されなかったようで、豪州に戻ってきてからは高評価されていたようです。彼のバイオグラフィーを紹介しておきます。彼は1971年にメルボルンで音楽活動を始めており、それがフュージョン・バンドKushのVoとしてです。このバンドは豪州では超人気バンドでしたが、Jeffは、1978年に英国ロンドンに渡り、ユニセックスで、風変わりな格好をして、その時からDuffoと名乗って活動を始めます。また、彼は、ステージ上では、レオタードを身につけ、キラキラの派手なメイクをして、まるでオペラ歌手のように振る舞っていたそうです。彼はKbdも出来たので、Sev Lewkowiczのアレンジャーとしても活躍しています。それで、1979-1982年の間、Duffo名義で4枚のアルバムをリリースしています。音楽史家のIan McFarlaneは、「彼の風刺の効いたニューウェーブな曲”Give Me Back Me Brain”はLou Reedの”Walk on the Wild Side”に匹敵するソウルフルな名曲だ!」とも言っており、彼のルーツにグラム・ロックがあることを指示しています。また、Andy Woholeも彼のことを「Sinatra, Preslepy, Jagger, Popeye…そして今はDuffoだ!」とよくこの言葉を引用していたらしいです。豪州に戻ってからも、Jeffは、David BowieとFrank Sinatraの音楽を融合したような音楽でら2005年にはオペラ・ハウスでのライブをソールドアウトする程の人気を得ます。更には、David Bowieに敬意を表して、”Ziggy”と言うショーを2010年と2012年にオペラ・ハウスで行っていますし、また、Bowieに捧げる本”This Will Explain Everything”を2016年に出版しています。また、彼は”Ground Control to Frank Sinatra”と言うステージ・ショーをプロデュースし、2枚のアルバムも出しています。とまあ、こんな感じでらDavid BowieとFrank Sinatraに魅せられたJeffでしたが、彼は豪州に戻ってきてから、豪州のスーパースターになった訳ですが、豪州では自分のバンド名を含めて、Duffoと名乗ったり、本名名義で活動したりしています。 そんな経歴の持ち主ですが、本作品は、英国でDuffoと言う個人名義でリリースしたファースト・アルバムです。バックは、Peter dobson (Drs), Michael Howlett (B), Nicholas Colq (Piano), David Herzog (G)が固めています。内容はシンセを使った曲はニューウェーブ的ですが、曲調は全体的に、グラム期のDavid Bowieを想起させるようなロックで、寧ろ、彼が英国進出した時には、ちょっと古いかな?と思わせます。確かにパブロックやグラム・ロックの流れにあり、ニューウェーブとは一線を画しているなあと思います。また曲名も凄くて、「キ○ガイの塔」、「ダフォ(俺は天才)」.「ダフォのオディッセイ」とか「俺に脳みそ返してくれよ」とまあこんな感じです。こんな歌詞をグラム調の曲に合わせて テノールの良い声で歌うDuffoはきっと魅力的だった思いますよ。英国では色物扱いだったかもしれませんが、豪州ではスーパースターなDuffo、聴いてみますか? “Give Me Back Me Brain” https://youtu.be/wVR0oZUECbk [Album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_k56QfYsY9OS1LCZpPdLIl9Ztw7FzMHLeA #Duffo #Beggar’sBanquet #GeoffJeffStephenDuff #GramRock #NewWave #Australia #UK #DavidBowie #FrankSinatra #Ziggy #GiveMeBackMeBrain
New Wave / Gram Rock Beggars Banquet 不明Dr K2
-
S.Y.P.H. “S.Y.P.H.-4”
NDWの中でも、別格だったのが、このS.Y.P.H. (読み方は「ジフ」ですか?)です。それは、彼等が単なるPost Punkのフォロワーでもなく、NDWの典型でも無く、独逸では「Canの再来」と言われてながらも、彼等の作った音楽そのものによるのだと思います。それで、今回はS.Y.P.H.の4枚目(スタジオアルバムとしては3枚目)のアルバムを紹介します。バイオグラフィーは前回書きましたので、そちらを参照して下さい。このアルバムの前に”Pst”と言うアルバムがあるのですが、そこではCanのHolger Czukayがプロデュースのみならず、ジャムセッションを沢山行ってしました。”Pst”はその中から出来たアルバムだった訳ですが、それでもまだまだアルバムになり得るテイクがあったことから、本作品が作られた訳です。なので、今回もHolger参加となっています。一応、この時のメンツだけ書いておきます。Harry Rag (G, Vo), Uwe Jahnke (G, Vo), Jurgen Wolter (B), Uli Putsch (Dr)に加えてHolger Czukay (B, Perc, Horn)で、プロデュースはHolgerとHarryがやっています。A面に5曲、B面に1曲が収められていますが、やはり、聴き処はB面一杯を占める”Little Nemo”でしょうね。A面の3曲は1分代の短いな曲から成るのですが、A1ではいなりテープのスクラッチから始まります。その後2曲も今までの彼等の実験的な曲から成ります。A4”Nachbarは12分ちょいの長尺な曲で、トコトコとした単調なパーカッションにか細いヴォーカルやギターが絡むヒプノティックな曲て、流石、Holgerのプロデュースやなぁと感心してしまいます 。A5 ”Satarasch”は曖昧な茫漠とした曲で、A面を締めます。それで18分超えのB面は、淡々としたドラムやパーカッションと弱々しいベース音が延々と続く訳ですが、それはそれ、ドラムの逆回転やヴォーカルのエコー処理などを上手く取り入れています。聴いていると幻覚とか悪夢とかを見てしまいそうになる位、ヒプノティックで、しかも、そんな曲なのに一気に聴かせてしまう魔力があります。これもHolgerならではな音作りだと思うと同時にS.Y.P.H.の音楽性の広さに感心します。どうです?貴方もこんなサウンド・ドラッグ体験してみませんか? A1 “Die Deep” (1:18) A2 “Hänschen Horror” (1:11) A3 “Lämmerschwanz” (1:57) A4 “Nachbar” (12:39) A5 “Satarasch” (2:52) B “Little Nemo” (18:03) A4: アルバム“Pst”から”Nachbar” (long version) https://youtu.be/EcSIclr8kf0?si=iwHkj9BLcddOmcyk #S.Y.P.H. #S.Y.P.H.-4 #PureFreude #NeueDeutdcheWelle #GermanNewEave #Hypnotic #HolgerCzukay #HarryRag #UweJahnke #JulgenWolter #UliPutsch #Can #反復 #Repetition #InnerSpaceStudio #JamSession #Pst
Alternative Music Pure Freude 不明Dr K2
-
Pere Ubu “Datapanik In The Year Zero”
出ましたよぉ〜‼️大好きなPere Ubuの初期の12㌅EP”Detapanik In The Year Zero”です。最初に聴いたのが、高校生の時、夏季休暇講習で知り合った大阪の先輩からダビングしてもらった音源で、もうテープが捩れる位、聴いてましたね。それで大学の関係で東京に出て行ってた訳ですが、そこでエサ箱から、このブツを探し出した時は大喜びでしたねぇ。ホント、デブでもフロントに立てると勇気付けられました(正直な感想)。このマキシ・シングルは、丁度、Pere Ubuがファーストや ・アルバムを出していた時期のもので、かなり初期のメンバーでの録音となります。まあ、それまでシングル出していた曲をコンパイルしたものになりますが。恐らく、英国でのプロモも兼ねてリリースされたのではと思います。曲はA1: “Heart of Darkness”, A2: “30 Seconds Over Tokyo”、B1: “Cloud 149”, B2: “Untitled” B3: “Heaven”で録音が、1975年から1977年になります。メンバーはTom Herman (G, B), David Thomas (Vo), Tony Maimone (B), Scott Krauss (Dr), Allen Ravenstine (Synth), Alan Greenblatt (G), Peter Laughner (G), Dave Taylor (Synth, Organ), Tim Wright (B, G)となっています(これは曲によって色んな組み合わせがあるのであって、一曲にBが3人いた訳では無い)。また、このEPのタイトルがイカしてるじゃないですか❗️(まるで2000年問題を先取りしているかのような。しかもpanicじゃなくてpanikですよ!)。ここに収められてる”30 Seconds Over Tokyo”はPere Ubuの前身バンドRocket From The Thombsの持ち歌でもありましたが、より過激で実験的なアレンジが施されています。何度聴いても名曲ですね。勿論、太平洋戦争の時の米国空軍爆撃機の乗り手の心情を歌ったものですから。またB2 “Untitled”とされている曲は、後の”Modern Dance”のことです。まあ、5曲とも名曲なので、Pere Ubu初心者の方も、上級者の方も、是非聴いてみて下さい。カッコいいっす! A1 “Heart Of Darkness” (3:47) A2 “30 Seconds Over Tokyo” (6:21) B1 “Cloud 149” (2:37) B2 “Untitled” (3:28) B3 “Heaven” (3:05) [side A] https://youtu.be/OMXcc8alc00?si=duhH6AGYH12YQ0pk [side B] https://youtu.be/wawaAdPhdsk?si=EukgrSTcqqQscLdl #PereUbu #DatapanikInTheYearZero #RadarRecords #Cleveland #HeartOfDarkness #30SecondsOverTokyo #Heaven #AvantRock #ArtRock #TomHerman #DavidThomas #TonyMaimone #ScottKrauss #AllenRavenstine #AlanGreenblatt #PeterLaughner #DaveTaylor #TimWright
Avant-Rock / Art Rock Radar Records 不明Dr K2
-
Henry Cow “Unrest”
ラスボスは後からやってくる。漸くHenry Cowの登場です。プログレ初心者の私としてはファースト・アルバムは入手していなかったので、それのミックス違いでリリースされたセカンド・アルバム”Unrest”を紹介します。Henry Cowは当時、ケンブリッジ大学の学生だったマルチ奏者のFred FrithとTim Hodgkinsonによって1968年に結成された英国の実験音楽グループです。結成から10年間は色々メンバーの移り変わりがありましたが、Chris Cutler (Dr), John Greaves (B), Lindsay Cooper (Bassoon, Oboe)は重要な位置にいました。彼等は反商業主義的なスタンスでいましたが、メインストリームの音楽産業とは手を切っていなかった為、その分、自由に実験的なことが出来てたそうです。当時はプログレの中に入れられてましたが、早晩、その枠に収まらず、追随者も許しませんでした。Henry Cowのバンド名は、長い間、米国の作曲家Henry Cowellから取ったとされてきて、その都度、メンバーは否定しています。Timによれば、当初はIn The Airと名乗ってましたが、特に意味はないそうです。1968年10月にHenry CowはAndy Powell (B), David Attwooll (Dr), Rob Brooks (G)が加わり、同年12月までこのラインナップで演奏していましたが、その後、Fred, Tim, Andyのトリオになります。その頃、Andyはキングス・カレッジで音楽について勉強しており、そこの常駐作曲家Roger SmalleyはSoft Machine, Captain BeefheartやFrank Zappaと言ったバンドから音楽の新しい文脈に晒されており、またRogerは彼等に、ロック・グループのために長く複雑な曲を書くというアイデアを吹き込んでいます。この頃、バンドはFredがB, AndyかDr, TimがOrganを担当し、数多くのライブをやっていました。1969年4月になると、Andyはバンドを脱退し、Fred (Vin)とTim (Kbd, Reeds)と言うデュオになっています。その後、二人はJohn GreavesにBとしての加入を説得し、仮のDrとしてSean Jenkinsも誘い、後の8ヶ月はこのクインテットで活動します。1971年5月にMartin DitchamがSeanと交代してDrを務めます。このメンツでも、Glastonbury Festival に出演しています。 1971年7月にMartinが脱退し、同年9月まではDr不在だったのですが、漸くChris Cutlerが、Drで加入して鉄壁のクインテットになり、そして彼等はロンドンに引っ越します。Henry CowはJohn Peelに気に入られ、1972年2月に所謂John Peel Session (正式名称はBBC Radio 1)に出演しています。1972年4月に、Henry CowはRobert Walkerのプロデュースで、Euripidesの”The Bacchae (バッコスの信女)”の音楽を担当しますが、これがハードワークで、この時期に木管楽器担当のGeoff Leighがメンバーに加わります。そして彼等は、Kensington Town HallとLondon経済大学でそれぞれ、Cabaret VoltaireとExplorers' Clubと言うのイベントをやりますが、この時にDerek Bailey, Lol Coxhill, Ivor Cutler, Ron Geesin, David Toop, Lady June & Smith.を招聘しています。特にDerek BaileyとLol CoxhillはHenry Cowを気に入ったみたいで、色んな面でサポートをしてくれるようになります。1973年4月にJohn Peel Sessionに出演した時、Virgin Recordsは彼等に興味を持ち、同年5月に契約を結びます。その2週間後に、Henry Cowはデビューアルバム”Legend (Leg End)”の録音に、OxfordshireのVirgin Records所有のManorスタジオにて取り掛かります。この時の録音作業もかなりのハードワークであったみたいですが、スタジオの扱い方が漸く分かってきて、この体験が大いなる収穫となります。なおこの時に録音された"Nine Funerals of the Citizen King"と言う曲は彼等の明確な政治的声明であったようです。一方、Virgin RecordsはFaustとの英国ツアーを計画してます。この時、Henry Cowはシェイクスピアの”Tempest”に基づいた演劇の為の音楽の準備を始めています。1973年12月にオランダ・ツアー中にGeoff Leighが脱退してしまい、代わりにクラシックの素養のある木管楽器奏者のLindsay Cooperが加入します。”Unrest”の録音は良い経験となり、LPの片面分は直ぐに出来ましたが、もう片面分はスタジオ曲過程の開発に多くの時間を割きました。1974年5月に、彼等はCaptain Beefheartと英国及び欧州ツアーをしていますが、この時に、彼等は単なるロックバンドに成り下がり、毎晩同じ曲を演奏していることに不平不満を感じるようになって、討論の結果、Lindsay Cooperを脱退させることになってしまいます。その後、1974年11月に Slapp Happy (Anthony Moore, Peter Blegvad, Dagmar Krause) は、セカンドアルバムを作成するにあたり、Henry Cowを誘いましたが、出来上がったアルバム”Desperate Straights”はほぼほぼSlapp Happyの作曲したアルバムとなり、2つのグループは全く似てはいないことに万人は驚いたそうです。それが縁で2つのバンドは合体します。まだまだ続きますが、バイオグラフィーはこのくらいにしたおきます。あと、Henry CowはRock In Oppositionと言うフェスに参加しており、これが一つのジャンルにまで認知されていきます。 それで、本作品”Unrest (不安)”ですが、それ程「不安」な音楽ではないです。あっ、それよりも初めに、この時のメンバーはTim Hodgkinson (Organ, Alto Sax, Clarinet, Piano), Fred Frith (G, Vln, Xylophone, Piano), John Greaves (B, Piano, Vo), Chris Culter (Dr), Lindsay Cooper (Bassoon, Oboe, Recorder, Vo)で、鉄壁の布陣です。内容はカンタベリー系プログレの一つの完成型と言えば良いでしょうか。複雑な展開を示す楽音が並んでいます。マルチ奏者が多いので、個々の楽器の音は判別出来ませんが、こう言う音楽は正座して聴くよりも流しっぱなしして聴いた方が、その良さが分かるようにも思えます。アコースティックな音楽も、偶には良いですよね?(最近は電子音楽ばかり聴いていましたから) 時々と言うか頻繁にスリリングな掛け合いがありますが、その間にはリリカルな旋律も。こんな音楽はどうでしょうか?(特にA3”Ruins”は長尺で聴きご耐えがありますね。) [full album] https://youtube.com/playlist?list=PL0ED24F132D2B290D #HenryCow #Unrest #RedRecords #VirginRecords #AvantRock #FredFrith #TimHodgkinson #ChrisCulter #LinsayCooper #JohnGreaves #RockInOpposition #Acoustic #SlappHappy
Avant-Garage Rock Red Records (Virgin Records) 不明Dr K2
-
The Leather Nun “Slow Death”
とうとう来ましたよぉ〜、スウェーデンのキワモノLeather Nunの登場です❗️ 何故、私がこれを持ってあるか?と言うと、この作品に、インダストリアルのキーマンGenesis P-Orridge (Throbbing Gristle)とMonte Cazazzaが参加していたからです。それで先ず彼等のバイオグラフィーを少し。The Leather Nun (Lädernunnanとも表記される)は、1978年に、当時、ラジオのDJやフアンジンの編集をやっていたJonas Almquist (Vo)が、パンクバンドのStrait JacketのBengt "Aron" Aronsson (G)とFreddie Wadling (B)及びGert Claesson (Dr)を誘って結成しています。彼等は出自こそパンクですが、Velvet UndergroundやLou Reed, Iggy Pop, Rory Gallagherに影響を受けていました。それで、1979年11月に彼等のデビューEP”Slow Death”をIndustrial Records(!)よりリリースします。John PeelほBBCのラジオ番組で2週間毎晩、タイトル曲をかけてたそうです。それでバンド名なのですが、これは多くのファンは、アメコミの「Leather Nunからの話し」から取ったとか、ロンドンのストリッパーの源名から取ったとか、色々言われてますが、Jonasは両方とも否定しています。1980年代初頭には、彼等はライブの時に、アダルトヴィデオを流したり、ハード・ゲイ・ポルノの動画を流したり、はたまたストリッパーを引き連れてきたりしています。そんなライブの音源としてデンマークでのライブを録音したアルバム”Live”を1985年にリリースしています。それで、彼等は同国グループでもあるABBAの”Gimme, Gimme, Gimme”のカバーを演奏したりしていますが、米国のラジオ局向きには、米国シンガーのJohn Mellencampの”Pink Houses”のカバー”Pink House”も流してもらえるように宣伝しています。それで、順調に活動していきます。1991年冬に4枚目のスタジオアルバム”Nun Permanent”をMick Ronsonのプロデュースの元にリリースしますが、レコード会社が倒産してしまい、在庫を抱かえてのライブを強いられてしまいます。そんなこともあって1995年にバンドは解散してしまいます。その後、2005年に一旦再結成しますが、アルバムは出していません。更にその後、2013年末に、The Leather Nunの名義で正式に再結成し、2015年には新録アルバム”Whatever”とライブアルバム(ジャケはLou Reedが撮影したもの)をリリースしており、現在も活動しているようです。 それで、本作品ですが、Leather Nunの最初のミニアルバムですが、同名のシングルもIndustrial Recordsから出ていますので、ご注意を!先ず、ジャケに驚きます。が、表の焼死体ではなく、裏ジャケのメンバーの写真です。丸で中学生のような幼い容姿のVoのJonas Almqvistと、見るからな怪しげさ満点のBのFreddie Waldlingと対比がヤバいです。内容も、A面は、とても「中学生」とは思えないドスの効いたヴォーカルと、あくまでもミニマルなパンク風の曲、更にタイトル曲はスローで怪しいですし、何か同時期のパンクバンドとかとは違うものを感じます。B面全部を使ったタイトル曲のライブヴァージョンでは、T.G.のGenesis P-OrridgeがVlnで、Monte Cazazzaがシンセで参加しています。これが聴きたくて買ったようなものですが、淡々とした曲はかえって、不気味で、殺伐としていますね。しかしながら裏ジャケの怪しさは魅力です。そんな「革ジャンを纏った尼さん」を聴いてみますか? “Slow Death (Live) https://youtu.be/OgdgEOq59xA “No Rule” https://youtu.be/oa9UBUpGxLo #TheLeatherNun #SlowDeath #CriminalDamageRecords #JonasAlmqvist #FreddieWadling, #MinimalPunk #GenesisP-Orrifge #MonteCazazza #BengtAronsson #GertClaesson #Sweden
Alternative, Post Punk Criminal Damage Records 不明Dr K2
-
Malaria ! “Emotion”
以前にも出ました独逸新潮流の一翼を担っていたオール・フィメール・バンドMalaria!のファースト・アルバム”Emotion”の日本国内盤です。Malaria!は1981年に西ベルリンで結成されたバンドで、メンバーはGudrun GutとBettina Köster, Karin Luner, Eva Gossling及び Beate Bartelからなります。それぞれが後のGerman New Waveのキーマンになりますので、きっと何処かで名前を見るでしょう。このファースト・アルバムではGudrun Gut (Sound), Manon P. Duursma (G), Christine Hahn (Dr, Kbd), Susanne Kuhnke (Synth), Bettina Köster (Vo, Sax)が参加メンバーとなっています(恐らく初期のメンバーと思います。因みに最初期はGudrunとBettinaの2人組として始まってます)。Malaria!のバイオグラフィーに関しても、これ以上の情報は無いので、この位にしておきます。 それで内容なんですが、もう「Malaria!節」が全開ですね。ドコドコ鳴るドラムが中心で、それに強力で朗々としたヴォーカルが乗ると言う構造です。確かにギターやシンセやサックスの音も聞こえてきますが、どれもズンドコ・ビートを盛り上げています。Bettinaのヴォーカルは、オペラチックで、いかにも独逸的ですね。正に「独逸のThe Slits」ですね(←違う!)。ここら辺の無骨なビートが彼女らの持ち味でしょう。NDWを代表するバンドなので、未聴な方は是非とも聴いてみて下さい❗️因みに、これと同時期に出たクレプシュキュール盤は曲順が違いますし、B面最後の曲名は違う曲に置き換えられています。それから元々のリリースしたレーベルMoabit MusikはGudrunの個人的なレーベルです。 https://youtu.be/wtUREE1BryM #Malaria! #Emotion #MoabitMusik #NipponColumbia #NeueDeutscheWelle #GermanNewWave #GudrunGut #BettinaKöster #ManonP.Duursma #ChristineHahn #SusanneKuhnke #BeateNartel #WestBerlin
Neue Deutche Welle (German New Wave) Nippon COLUMBIA (Moabit Musik) 不明。Dr K2
-
Yes “Close To The Edge”
Yes!プログレを語る際に外してはいけないバンドの一つですね。今回は、そんな大御所のYesの5枚目のアルバム”Close To The Edge (邦題は「危機」)”をチョイスしました。またいつもですですけど、私より詳しい方も沢山いらっしゃるとは思いますが、彼らのバイオグラフィーを少し。元々は、1968年にJon Anderson (Vo)がWorriorsと言うバンドを脱退し、短期間だけ、Jon Anderson and The Gunと言うバンドで活動していましたが、その後にMabel Greer's Toyshopと言うバンドを結成したばかりのChris Squire (B)とClive Bayley (G)と合流、また Bob Hagger (Dr)とPeter Banks (G)も合流します。その際(1968年6月)に、音楽雑誌メロディ・メイカーのメン募に応募してきたBill Brufordがドラムとして採用され、Bobと入れ替わります。また、Peterも脱退しますが、ChrisがPeterを呼び戻し、クラシックの教育を受けたオルガン・ピアノ奏者としてTony Kayeが加わり、代わりにCliveが脱退します。この時のメンバーはJon (Vo), Chris (B), Peter (G), Bill (Dr), Tony (Kbd)となっています。この新バンドは1968年6月10日から7月9日までShaftedbury AvenueのThe Lucky Horseshoe cafeの地下室でリハをしています。この直前に、5人編成による初ライブが、1968年6月7日にLondon近郊の近いレイチェル・マクミリアンズ・カレッジで行われ、それに関してPeter の案でバンド名を”Yes”と改名したとか。それで、1968年9月のライブの時、主催者だったRoy FlynnがYesを気に入って、マネージャーになっていますか、その月に、Billはリーズ大学でパフォーマンス・アートを学びたい為に一旦抜けます。その代わりに、初めはTony O’Rellyが務めますが、他のメンバーといざこざがあり、結局、後のKing CrimsonのドラマーになるIan Wallaceに落ちつきます。結局、Billは大学に落ちてしまい、JonとChrisは戻ってきて良いよと言ってサポートメンバーとして再び在籍することになります。そんなこんなことをしていた時に、米国Atlantic Recordsと契約を結び、ファースト・アルバム”Yes”を1969年にリリース。音楽ライターには好評でした。翌年1970年にはセカンド・アルバム”Time and a Word (邦題「時間と言葉」)”をリリースします。因みにこの頃のYesはプログレではなく、BeatlesやThe WhoのようなArt Rock或いはサイケらしいです(私は未聴)。1970年4月18日のコンサートを最後にPeter Banksは解雇され、TomorrowのギタリストSteve Howeが加入します。このメンバーでサードアルバム”The Yes Album”を1971年2月にリリース。その前に、彼らはDevonの農場にてリハをやっていました。また、エンジニアのEddy Offordがこの作品以降、重要なポジションになります。ツアーをするのですが、SteveとTonyのイザコザが起きて、1971年7月31日のコンサートを最後にTonyが解雇され、新Kbdとして、フォークロックがループStrawbsに在籍していたRick Wakemanが加入します。このメンバーで、1971年11月26日に、4枚目のアルバム”Fragile(邦題「こわれもの」)”が、翌年1972年2月にはPaul Simonの”America”のカバーを録音しています。更に1972年9月には本作品”Close To The Edge (邦題「危機」)”をリリース。特にタイトル曲は片面全部を使ったクラシックやサイケやポップスやジャズの混合したような長尺の曲になっています。その後、またツアーに出ますが、3回目のツアー時、米国では”The Yes Album”と”Fragile”がゴールドディスクを獲得しています。”Close To The Edge”リリース後、BillがKing Crimsonに加入する為に脱退、代わりに、Plastic Ono BandにいたAlan Whiteが加入します。とまあ、色々ありますが、ここら辺で一旦バイオグラフィーはやめておきます。 それで、本作品”Close To The Edge”について書きたいと思います。この時のメンバーはChris Squire (B, Vo), Jon Anderson (Vo), Bill Bruford (Dr), Steve Howe (G, Vo), Rick Wakeman (Kbd)です。完全なコンセプト・アルバムで、1枚のLPに全3曲です。ロック・アルバムと言うよりも何かの物語を聴いているみたいです。まあ、メンバーの皆さん、上手いのでしょうが、私にはそれ程大事なことではないです。音色の豊かさ故に、このようなコテコテのプログレも聴くことができるようになりました。元々、プログレが好きではなかったのですが、最近ですよ、聴くことができるようになったのは。と言う訳で、プログレ嫌いな方も一度は聴いてみてください。きっと何かを発見することができますから。 https://youtu.be/GNkWac-Nm0A #Yes #CloseToTheEdge #AtlanticRecords #ProgressiveRock #5ThAlbum #ChrisSquier #JonAnderson #BillBruford #SteveHowe #RickWakeman #Symphonic
Progressive Rock ATLANTIC Records 不明。Dr K2
-
Klaus Schulze “Body Love - Additions To The Original Soundtrack“
先日のDommuneで紹介されていた故Klaus Schulze氏の特集で掛かったアルバム”Body Love”です❗️しかも洋ピン映画”Body Love”のサントラとして作られていますが、音楽だけでも楽しめます。買ってから、ずっーと忘れていたのを先程発掘しました。私の持っているのは、Brain Recordsからのではなく、Island Recordsからのモノですので、タイトルも若干変わっています。Klaus Schulzeのバイオグラフィーは既に書いてあると思いますので、ここでは省略します。A面1曲B面2曲の長尺の曲が収められていますが、確かにこんな音楽が◯◯クスの最中に流れてきたら、盛り上がるかな?とも思いますが、買った当時は何もそんな意識してはいませんでした。なので、サントラとしても純粋に音楽としても聴くことが可能です。それから、本作品にはHarald Grosskopfがドラムで参加。Klausは、Moog, AKG, Dynacord, Korgなどのシンセを駆使したいるようです。生ドラムが、電子音からなるシーケンスと同期しているのは、Heldonを思い起こすかも知れませんが、こちらの方は、こちらの方はよりシンプルなドラミングで、ポップに仕上げています。寧ろエモーショナルな感じすら想起させられますね。企画モノかも知れませんが、Klausは一切手を抜いていないので、ややアンビエント調ではらありますが、その手の音楽が好きなリスナーにもアピールできます。なので、”Body Love”がどんなポルノ映画であったかを想像しながら聴いてみるのも、一興ですので、是非‼️因みに、本当のサントラ”Body Love (Originalmusik)”も同年にリリースされています。 https://youtu.be/zPooZOSwzxY #KlausSchulze #BodyLove #AdditionsToTheOriginalSoundtrack #IslandRecords #SoundTracks #PornMovie #Synthesizer #Electronics #Drums Ambient
Electronic Music / Ambient Island Records 不明。Dr K2
-
Pere Ubu “New Picnic Time"
皆んな、待ってたよぉー、米国産「明るい闇」のバンドPere Ubuのサード・アルバム”New Picnic Time”の登場です❗️Pere Ubuのバイオグラフィーは前にも書いたと思うのですが、ちょっと補足したおきますね。前身はオハイオ州Clevelandのプロトパンク・バンドRocket From The Tombsが発展的解散をして1975年に結成されたのが、このPere Ubuです。結成はCrocus BehemothことDavid Thomas (Vo)と1977年に他界したギターリストのPeter Laughnerによって1975年に行われ、初期のシングル”Heart of Darkness”や”Final Solution”と言った名曲をリリース。その後1978年にアグレッシブなファースト・アルバム”Modern Dance”をリリースして、一気に名を馳せます。まあ商業的には成功したとは言えませんが、アンダーグラウンド・ミュージック界ではかなりの影響を与えたのではないでしょうか?この頃のメンバーは先述のち2人に加えて、Tom Herman (G), Tim Wright (B), Allen Ravenstine (Synth), Scott Krauss (Dr)で、バンド名は仏作家Alfred Jarryの不条理演劇作品「ユゥブ王」から取られてます。2枚のシングルを出した後、Peter Laughnerが脱退し、なんとDead Boysに加入!そして、Tim Wrightも脱退し、DNAに加入、代わりにTony Maimoneがベースで加入してます。それでPere Ubuの特徴とも言えるのが、Allenのシンセの使い方です。それまでのシンセ奏者はピアノやオルガンのようにシンセを弾いてきましたが、Allenはまるで1950年代のスペーシィーな効果音、恐らく電子音楽やミュージック・コンクレートのような音をロックバンドで初めて使っています。それは「全くのオリジナル」と評されています。そして、セカンド”Dub Housing”、サード”New Picnic Time”をリリースしていきます。1979年にバンドは一度解散しますが、Tom Hermanが抜けた代わりに、Red KrayolaのMayo Thompsonが加入して、すぐにバンドは立ち直りました。それで4枚目のアルバム”The Art of Walking”を1980年に、ドラムが、Anton Fierに代わってから5枚目のアルバム”Song of the Bailing Man”を1982年にリリースしています。しかしなから、Tony Maimone (B)とScott Klauss (Dr)が新バンドHome and Gardenを結成する為に脱退する一方で、Davidはソロ活動に集中して、Richard ThompsonやHenry Cowのメンバーとコラボしていったこともあって、バンドは解散状態に。1987年になって、Jim JonesとChris Cutlerが加わることでバンドは復活し、アルバム”The Tenement Year”を翌年リリースしています。この後もメンバーはコロコロ代わったりしながらも、バンドは続いていきますが、2000年代初頭にガレージ・リバイバルで、Rocket From The Tombsが再評価された関係で、Pere Ubuも再評価されています。その後も、メンバーの入れ替えはあるもののアルバム作製やツアーをコンスタントに行なっており、最近では4LPボックスセット”Nuke The Whales: 2006-2014”を2022年4月1日にFireからリリースするなど活動を続けています。後半はかなり端折りましたが、ザックリとこんな感じになると思います。 それで、本作品”New Picnic Time”の内容ですが、いきなりイントロ無しの曲”Have Shoes Will Walk”で始まり、Pere Ubu節とすら言える楽曲が続きます。このアルバムは前作”Dub Housing”よりは聴きやすいようにも思いますが、そこかしこにメンバーの度量とルーツを仄めかす音が入っています。しかし、Allenの効果音のようなシンセ使いは画期的ですね、この時代にこんなシンセの使い方してるミュージシャンって居なかったでしょう。しかも、他のメンバーもそれを許容してたのも革新的だと思います。そして何よりもDavid Thomasの大袈裟で演劇的なヴォーカルは凄いです。歌い方に合わせて録音方法を替えているのも拘りですね。これ程、大胆に時代を横切った作品はないでしよう。皆さん、女房をや旦那を質に入れてでも聴いてみて下さい❗️ A1 “Have Shoes Will Walk (The Fabulous Sequel) “3:16” A2 “49 Guitars And One Girl” (2:51) A3 “A Small Dark Cloud” (5:49) A4 “Small Was Fast” (3:39) A5 “All The Dogs Are Barking” (3:03) B1 “One Less Worry” (3:49) B2 “Make Hay” (4:03) B3 “Goodbye” (5:18) B4 “The Voice Of The Sand” (1:28) B5 “Jehovah's Kingdom Comes” (3:17) https://youtu.be/_n3UgCkQTd4?si=pyK2JLeE7Rj2w1us [full album] https://youtube.com/playlist?list=PL0BA11F8407E3EF33 #PereUbu #NewPicnicTime #ChrysalisRecords #ThirdAlbum #RocketFromTheTombs #AvantRock #ArtRock #DavidThomas #AllenRavenstine #TomHerman #ScottKlauss #TonyMaimone
Avant-Rock / Art Rock Chrysalis Records 不明。Dr K2
-
The Residents “Commercial Album”
出ましたよぉ〜、初期Residentsの傑作アルバム”Commercial Album”です❗️私は、実はここら辺のResidentsの作品が好きなんですよ。兎に角、Residentsは正体不明だけでなく、その時代時代で、新しい楽器(&テクノロジー)が出ると、まずそれを使って、自分達の曲作りに取り入れ、作品を出すと姿勢を貫いているところも魅力的です。さしずめ、この頃は比較的安価に入手できるアナログ・シンセでしようか。最初期のテープ・コラージュからシンセを使った楽曲に移行したのが、丁度、1980年初期ですね。この作品は全然「コマーシャル」な音楽ではないですが、全曲ほぼきっちり1分で、それがA面20曲、B面20曲、収録されてます。しかも、どの曲もクオリティは落ちていないと言う本気のコンセプト・アルバムです。まあ、聴き流すことも可ですが、ちゃんとじっくり聴くことも可能です。ヘルプにはいつものメンバー(Fred FrithやSnakefinger)に加えて、Chris Cutler, Don Jackovich, Sandy Sandwich (実はXTCのAndy Partridge), Mud’s Sis (実はLene Lovich)も参加していますし、隠れてBrian EnoやTalking HeadsのDavid Byrneも参加しているようです。この頃は、ロックがポスト・パンクになり、オルタネイティブな方向に向かい、長尺の曲が多くなっていったことに対するアンチだったのかも知れませんし、このように短い曲を40曲も詰め込むこと自体がアンチ「コマーシャル」だったのかも知れませんね。ここら辺の謎解きもまた楽しいですね。実際、米国SFの最も有名なラジオ局KFRCでは、当時、3日間CMとして流された模様。また、謎解きの一つの解釈として、ビルボード誌のTop 40(まあ、日本で言うオリコン?)を当てこすって作られたとか。だから、40曲入りで、どれも(捻くれた)ポップソングになっているとのことです。この微妙な不協和音のギターやコーラス或いはポルタメントの効いたシンセはこの時期のResidentsの特徴ですね。そんなコマーシャルな不協和音ポップス、試してみませんか?ResidentsのResidentsによるResidentsの為のTop 40です❗️ Full albumもあったんですが、DVD版を敢えて。 https://youtu.be/hjsiTkkVWgA #TheResidents #CommercialAlbum #RalphRecords #40songs #OneMinuteSongs #ExperimentalPop #SanFrancisco
Experimental Pop Ralph Records 不明Dr K2