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Karlheinz Stockhausen “Mikrophonie I / Mikrophonie II”
いよいよ、御大登場ですか!今回は、現代音楽界きっての超有名にして超アヴァンな作曲家Karlheinz Stockhausen(カールハインツ・シュトックハウゼン)先生をご紹介します。作品は、彼の初期の曲で、ライブ・エレクトロニクスの代表作でもある”Mikrophonie I / Mikrophonie II”です。まあ、ここで、私が長々とまたStockhausen先生のバイオグラフィーを書くまでもないのですが、取り敢えず、彼の生い立ちと初期の作品位までは書いておきます。Stockhausen先生は、第二次世界大戦後、戦争孤児となりましたが、1947年4月に、ケルン音楽大学の入学試験を受け、音楽教育コースでは不合格でしたが、ピアノ・コースで合格しています。ただし、翌年には音楽教育コースにも合格し、新古典主義的な曲や十二音技法を用いた曲等を作曲しています。1951年に、彼は、Darmstadt夏季現代音楽講習会に参加し、Olivier Messiaenの”Mode de valeurs et d'intensités (音価と強度のエチュード)”に強い衝撃を受け、逆に、Arnold Schönbergの曲には失望しています。それで、彼は仏に移り、パリ国立高等音楽院の入学試験を受けます。しかしながら、Darius Milhaud(ダリウス・ミヨー)のクラスには、不合格となってしまいましたが、Messiaenの楽曲分析クラスへの聴講は認められ、1年ほどそのクラスで学んています。そこで、彼は、Group Composition (群の音楽)やPunctualism等の新しい概念を次々と考案し、また、世界で初めての電子音楽を作曲しています。更に、ベルギーの作曲家Karel Goeyvaerts (カレル・フイヴァールツ)の”Sonata for Two Pianos”を彼と共に初演して影響を受け、1951年には、Oboe, Bass Clarinet, Piano, Percussionsのための“Kreuzspiel (クロイツシュピール)”を作曲し、Total Serialismを採用しています。この時期に、仏作曲家Pierre Boulez (ピエール・ブーレーズ)や伊作曲家Luigi Nono (ルイジ・ノーノ)と議論を深め、20歳代で音楽院の講師を務めています。その後、1952年12月に、彼は、”Konkrete Etüde”を作曲し、Pierre SchaefferのParis musique concrète studioで構築しています。翌年3月に、彼は独ケルンに戻り、NWDRスタジオで、”Electronic Studies (習作IとII)”を2曲作曲しており、1955-1956年には、ミュージック・コンクレートと電子音楽とを合わせた”Gesang der Jünglinge (少年の歌)”を作曲しています。他にもこの時期に”Gruppen”, “Kontakte”, “Momente”等の代表作も発表しています。その一方で、彼は図形楽譜も用いるようになり、1959年作”Zyklus”で初めて使用されています。そして、1960年代後半以降は確定的な記譜法を離れ、電子音楽の経験を発展させて、リング・モデユレーター、フィルター、ディレイなどを生演奏に施して音響を変調させるライヴ・エレクトロニクスの手法も積極的に試みるようになります。この時期に書かれた作品に、1964年作の6人の奏者のための”Mikrophonie I (ミクロフォニー I)”、1965年作の合唱・ハモンドオルガン及び4台のリング・モデュレーターの為の”Mikrophonie II (ミクロフォニーII)”、更には、 や1964年作のオーケストラと4つの正弦波ジェネレーター及び4つのリング・モデュレーターのための”Mixtur (ミクストゥール)”等を作曲し、ライブ・エレクトロニクスの第一人者となります。その後、1960年代後半は、彼は、ライブ・パフォーマンスの為にProcess Compositionとして、自身の過去作品を出発点として、それを次々と変容してゆく1967年作”Prozession (プロツェッシオーン)”や短波ラジオが受信した音形を変容してゆく1968年作”Kurzwellen (クルツヴェレン)”等を作曲し、演奏の方向性がテキストの形で提示され、その不安定性を追求する「直観音楽」として、1968年作”Aus den sieben Tagen (7つの日)”や1968-1970年作の”Für kommende Zeiten (来るべき将来のために)”も作曲しています。この時期(1966年)に、Stockhausen先生は、来日し、NHK電子音楽スタジオにて、旋律楽器とフィードバックの為の1965-1966年作”Solo (ソロ)”と1966年作の電子音楽”Telemusik”を作曲してます。これらの作品は「相互変調」と呼ばれる手法で変形され、電子音楽の網の目の中に組み込まれると言った曲となっています。”Telemusik”は2時間近くに及ぶ大曲で、1966-1967年作”Hymnen (ヒュムネン)”にも使われています。これらの曲には即興性があり、また、後者2曲ではテープ音楽の手法も用いられています。ここら辺までが、Stockhausen先生の第2期(第3期は1970年以降となります)に相当しますので、一旦、バイオグラフィーの止めておきます。 そこで、本作品について紹介していきたいと思います。先述のように、この2曲は、Stockhausen先生のライブ・エレクトロニクスとしては代表的な作品で、しかも、この盤に納められているのは、2曲とも初演の記録となっていますので、貴重な演奏だと思います。それでは、各曲を紹介していきます。 A面”(タムタム、2本のマイクロフォンと2台のフィルターとポテンシオメーターの為の)Mikrophonie I”の演奏者と担当は、FiltersとPotentiometers (Hugh Davies, Jaap Spek, Karlheinz Stockhausen), Microphones (Harald Bojé & Johannes Fritsch), Tamtam (Fred Alings & Aloys Kontarsky)となっています。この曲では、何かが軋むしような音と鉄板を演奏する音(打撃音や摩擦音など)がマイクの位置によって位相が変化し、更にフィルターを通すことである音域の音が強調されたりして、不思議な音像が提示されています。今なら、Korg MS-20やMS-10或いはモデュラーシンセでも出来る加工だとは思いますが、なんたって、これは、1964年作の1965年7月11日、独逸での演奏と言うから、先進性の塊ですよ。それにしても、タムタムらしき音は聞こえて来ないですねー。多分、変調・加工されているのでしょう。こう言うアイデアが、その後のP16.D4なんかの実験ロック/独逸音響ノイズに受け継がれたのでは?と思いますよ。そう言う意味では、ルーツを見つけて、類似性に確信できて興味深いです。 B面”(合唱、ハモンド・オルガンとリング・モデュレーターの為の)Mikrophonie II”の演奏者と担当は、指揮 (Herbert Schernus), Choir (ケルンのStudio Choir For New Music & The West German Radio Chorusのメンバー), Hammond Organ (Alfons Kontarsky), Timer (Johannes Fritsch)となっています。この曲では、2つずつに分けられたソプラノとバリトンのグループの声自体が音源となっており、如何にも現代音楽と言った歌い方です。一方、ハモンド・オルガンの音はよく分からないですが、恐らくリング・モデュレーターをかなり掛けられていると思われるます。それに対して、合唱の方が、リング・モデュレーターの効果はよく分かります。特に起承転結がある訳でもなく、フラットな状態で曲は進んでいきますが、この曲は、合唱(人数が多い)と言うこともあって、指揮者やタイマーの方がいるのだと思います。しかしながら、こんなことを大真面目に演ると言う行為やその過程の方が、実は面白かったりする訳で、そこら辺がまた現代音楽の肝だとも思えます。 久しぶりに聴いてみましたが、Stockhausen先生のぶっ飛び具合と、ライブ・エレクトロニクスの黎明期の演奏を堪能できました。今でこそ、ノイズ・ミュージックは、一種のライブ・エレクトロニクスな手法を使っている訳ですが、機材の進歩(使い易さと低価格と多機能)はアカデミックな音楽手法を、我々の元に還元してくれていることは有り難いなあと感じました。しかし、こう言う音楽は、やはり肩を張らずに聴き流す位の気持ちかつ爆音で聴くのが正解だと思います❗️皆さんもこんな音楽、聴いてみて、楽しんで下さいね‼️ 因みに、ジャケ写はNASAからの提供です。 A1 “Mikrophonie I” B1 “Mikrophonie II” [full album] https://youtu.be/TAtTv8tXwKM?si=e0sIMvntG2AQvYhR #KarlheinzStockhausen #MikrophonieI/MikrophonieII #CBS #US盤 #1967年 #初演 #ModernClassic #Avant-Garde #LiveElectronics #Composer #FirstRecording #Tamtam #Microphones #Filters&Potentiometers #Choir #HammondOrgan #RingModulator #KarlheinzStockhausenGroup
Modern Classical / Electronic / Experimental CBS 不明Dr K2
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The Psychedelic Furs “Mirror Movies”
もうこの辺で許したるわ‼️と言う訳でまたまたPsychedelic Fursの単独スタジオ・アルバムとしては4枚目”Mirror Movies”の登場です。バイオグラフィーはある程度書いていますが、その後の続きをちょっとだけ書いておきますね。メンバーはRichard Butler (Vo), Tim Butler (B), Duncan Kilburn (Sax), Vince Ely (Dr), Roger Morris (G), John Ashton (G)でしたが、1982年にDuncanとRogerが脱退し、クインテットになります。それで彼等は米国に引っ越す為に、プロデューサーを探します。その結果、Todd Rundgrenのプロデュースの元に、1982年9月にサード・アルバム”Forever Now”をリリースします。その後にVinceが脱退します(しかし彼は1988年に戻ってきます)。そこで、彼等はKeith Forseyのプロデュースで本作品である”Mirror Movies”をリリースします。ドラムはドラムマシンで演っているらしいです。このアルバムから”The Ghost in You”と”Heaven”がシングルカットされています。このシングルはUKとUSでチャートインします。そうですね、彼等は最も成功したバンドになってしまいました。特に、カナダでは”The Ghost in You”がチャートインしただけではなく、カナダのアルバムチャートの中でTop 20 Albumに入り、1984年には「No.1アルバム」と言われています。なんか、B級ながら、頑張ってきたんだなぁと思い、感激もひとしおですね。内容はメジャー寄りのカラフルな音楽が詰まってますね。それでも、シングルカットされた”The Ghost in You”はかっこいいです。サックスは今までちょいと浮き気味だったのが、ホーンセクションとして演奏と一体化していますが、それが良いとか悪いとかは言えませんが、3人のメンバーで作ったのに、余計に哀愁を感じますね。そんな彼等の成功作ですが、ちょいと聴いてみてもいいんじゃないでしょうか? [full album] https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mTq8oHNGyHcFFpLQFbISKaQLMU6_SBTb4
Post Punk CBS 980円Dr K2
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The Psychedelic Furs “Talk Talk Talk”
やっぱり好きなんですよ、英国生まれのサイケでも無いThe Psychedelic Fursが❗️今回は、彼等のセカンド・アルバム”Talk Talk Talk”をご紹介します。先ず、この時のメンバーはRichard Butler (Vo), Tim Butler (B), Duncan Kilburn (Sax, Kbd), Vince Ely (Dr), Roger Morris (G)と新加入のJohn Ashton (G)の6人編成です。大所帯ですね。このアルバムは米国でもリリースされ、US Billboard 200にも最高89位でチャートインして、一気に有名になります。特にA-1”Pretty In Pink”は、1986年のJohn Hughesの同名の映画にインスピレーションを与えたとして、サントラのプラチナ・ディスクの為に再度レコーディングされています(しかしながら、Richard Butlerは最初、曲を書いた時には、映画的なことなんて殆ど考えたことはなかったと述懐しています)。でも、このアルバムを聴いて思うのは、彼等らサイケでもありサイケでは無い、ポストパンクでもあり、ポストパンクでは無い、では何なのか?「永遠のB級バンド」と言うことで良いんではないか?と。それと、彼等の特徴って、やっぱりSaxがフィーチャーされているところでしょうね。まあ、他にもX-Ray Spexなんかもそうなんでしょうが。また、Richardの掠れ気味の独特のハスキーな声質のヴォーカルも—-好き嫌いあるのは分かるけど—-特徴なんだろうな思います。なお、プロデュースはSteve Lillywhiteです(私は、この人のプロデュースは好感を持っている)。まあどれも捨て曲はないんですが、かと言って「この曲、サイコー!」みたいな曲も無いと言うB級ならではのアルバムとなっています。でも曲作りは普通に良いので、是非こちらも聴いてみて下さい! https://youtu.be/_mc_eh-1NXk #ThePsychedelicFurs #TalkTalkTalk #CBS #PostPunk #Rock #PrettyInPink #RichardButler #Sax
Post Punk CBS 不明。Dr K2
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The Only Ones “Baby’s Got A Gun”
「唯我独尊」みたいなとんでもないグループ名でパンクが興隆した時期に登場したパンクのようでパンクではないサイケなバンドがThe Only Onesです。”Another Girl, Another Planet”でヒットしましたが、やはりと言うか少々年上とこともあり、商業的には売れませんでした。そんな彼等のサード・アルバムが、この”Baby’s Got A Gun”です。1976年に英国Londonで結成されますが、Peter Perrettは1972年以来デモ音源を作ってきており、1975年終わりにベースを探していました。そこで、John Perryを紹介されましたが、Johnはギターに専念したいとのことで、1976年8月にPeterとJohnは、元Spooky ToothのMike Kellie (Dr)とThe Beatstalkersで成功を収めていたAlan Mair (B)を見つけてきて、The Only Onesがその年に結成されます。そして自分達のレーベルVengeance recordから7㌅シングル"Lovers of Today"をリリース。直ぐにメディアが食いつき、CBSと契約を結びます。そこでリリースされたのが先述の名曲”Another Girl, Another Planetになります。その勢いで、1978年にファースト・アルバム”The Only Ones”をリリース。音楽評論家もファンも割と良いレスポンスを得ること出来ました。翌年1979年にセカンド・アルバム”Even Serpents Shine”をリリースし、一年後1980年に本作品であるスタジオ盤としてはサード・アルバムで最後のアルバムとなった”Baby’s Got A Gun”をリリースします。1980年の夏にはThe Whoの米国ツアーに同伴していますが、1982年には一度解散しています。その解散の理由ですが、まあ売れなかったとこととバンド内の薬物問題、特にPeterが薬物を常用していたらしいです(今ではすっかり抜けているらしいですが)。そして、1994年にPeterがPeter Perrett with The One名義で来日しており、1996年にはPeter Perrett In The One名義でソロ・アルバム”Woke Up Sticky”をリリースしています。そして2007年に4人は再結成し、The Only Ones名義での初来日を果たします。その後、2009年にも来日していますが、DrのMine Kellieが2017年に亡くなっており、残りの3人は、2019年夏に3曲のセットを演奏するために再度結成を行なっています。まあ、ザックリと紹介するとこんな不出生なバンドです。 それで本作”Baby’s Got A Gun”はスタジオ録音としては最後のアルバムなんですが、Peterの独特な粘っこいと言うか投げやりでダルなヴォーカルとバンドのアンサンブルは健在で、と言うか、それらを上手く昇華させて、極上のサイケなポップ・チューンにしています。ズンドコ・ドラムにスライドギターを使ったA-3”Me and My Shadow”、薬物を匂わせるダウナーなA-6”The Big Sleep”、オルガンが特徴的なB-4”Castle Built On Sand”、女性ヴォーカルとのデュエットが新鮮なB-5”Fools”など聞き所が満載。皆さんも、The Only Ones、見つけたら、是非とも❗️ [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLW_4ll2jcN_wrv7P_5hCORTsHlQlhBU8X #TheOnlyOnes #Baby’sGotAGun #CBS #Psychederic #PowerPop #PunkMovement #薬物問題 #PeterPerrett #JohnPerry #AlanMair #MikeKellie #AnotheGirlAnotherPlanet
Punk/Psyche/Power Pop CBS 2999円Dr K2
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The Clash “Give ‘Em Enough Rope (動乱 獣を野に放て)”
私は意外とこう言うのも聴くんですよ。と言う訳で、今回はThe Clashの登場です❗️しかも、ファンの間では余り人気の無いセカンド・アルバム”Give ‘Em Enough Rope (動乱 獣を野に放て)”です。私より詳しい方はいらっしゃるとは思いますが、バイオグラフィーを少し。The Clashは1976年に英国Londonで結成されました。その時のメンバーは、1974年に結成されていたパブロックバンドThe 101ersのVo/GであったJoe Strummer (本名John Graham Mellor)、1975年をリハに費やしていたプロト・パンク・バンドLondon SSのいたギタリストMick Jones、そのLondon SSのオーディションにVoとしてやってきたPaul SimononとドラマーのTerry Chimesで始まりました。元々はMickがSex Pistolsのライブを観て、London SSのマネージャーだった Bernard Rhodesに話しをつけて、Paulに連絡を取り、ギターよりも簡単なベースをやるようにとアドアイスし、後にPublic Image Limitedの初代ギタリストになるKeith Levene (G)を誘い、ニューバンドを作ろうとします。Terryもオーディションにはきましたが、直ぐに辞めました。またバンドはリードシンガーを探していて、丁度、マネージャーのBernard(後の「バーニー」のこと)の目に止まったのが、Joeで、MickもPaulも同意でした。それで、101ersの演奏後、3人はJoeを呼び出し、「俺達のバンドに入らないか?48時間やるから、考えてみてくれ」と提案したところ、最初の24時間で、「OK」の返事がきました。こうして、The Clashが誕生しました。それで、1976年7月4日にSheffieldのBlack SwanでSex Pistolsと共に初のギグを演ります。それで翌年1月にCBSレコードと契約しますが、その時にはKeithはクビになっており、また、Terryも脱退していたので、契約してから、正式なメンバーとしてTopper Headonがドラマーとして加入することになります。当時、Sniffin’ Glueと言うパンク・ファンジンを発行していたMark Perryは「The ClashがCBSと契約を結んだ時にパンクは死んだ」との記事を書いてますが、その後、The Clashの1977年のシングル”White Riot”を聴いて「あれは間違いだった」と書いています。そしてThe Clashとしてのファースト・アルバム”The Clash (白い暴動)”をリリース。この辺りはまたの機会にします。 それで、彼らのセカンド・アルバムである”Give ‘Em Enough Rope (動乱 獣を野に放て)”をまず紹介するかなんですが、それには少し理由があります。それは、私が最初に買ったThe Clashのアルバムだったと言うことです。当然、田舎の高校生だったので、このアルバムを結構ヘビロテしてました(と言うか、お金が無いので、一度買ったレコードは好きになるまで聴いていたものです)なので、このサウンドがThe Clashの音楽なんだと刷り込まれてしまったのです。何故か、本アルバムはアーティスト自身にもファンにも余り良い評価を与えられてません。多分、それは米国への進出を念頭に作られたことと、その為、Blue Oyster CultのプロデューサーであるSandy PearlmanをCBS側が密かに用意していたからでしよう。実際、ギターの音はハードロック調ではありますし、メタリックでもあります。ただ私は元々米国のKissが好きだったので、それ程違和感は感じませんでした。と言うか、A-1 “Safe European Home”, A-2 “English Civil War”, A-3 “Tommy Gun”と続く激アツのパンク・チューンはかっこいいと思うんですけれどねぇ。それと、私はThe Clashのヴォーカルに関してはJoeのは好きなんですが、Mickの声質はクリーン過ぎて余り好きではないのですよ。まあ、そこら辺は好みの問題かとも思いますが。ファーストとサードに挟まれた鬼っ子的アルバムですが、私は好きなので、もし、興味があったら聴いてみてちょ。 https://youtu.be/bLicOxz6xlk #TheClash #Give’EmEnoughRope #CBS #SandyPearlman #Punk #HardRock #JoeStrummer #MickJohns #PaulSimonon #TopperHeadon
Punk CBS 2500円Dr K2