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九谷焼 赤絵 菓子皿 任田旭山(徳次) キズあり箱無し
任田旭山 明治時代の赤絵名工 いつもの骨董屋から入手 キズありのため 割引価格で購入 真贋はわからないが絵が上手いので本物だと思う かなり使い込まれていることも本物と思われる
九谷焼 任田教英 23000円 骨董屋げーむのケイミヤチ
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初代中村秋塘 獅子盃 柄違い
初代中村秋塘 獅子盃 柄違い 赤絵細描の名工 秋塘窯 大正6年(1917)~現在 秋塘窯は、大正6年(1917)、中村秋塘によって自宅に開かれ、素地と完成品を制作し始めました。 赤絵金彩に卓越した作品、開窯の前年(秋塘48才の時)に開発した砡質手による作品などはいずれも優品として好評でした。製品の販売先は主として大聖寺の井上商店であったといわれます。 工房で働いていた主な職人はこの窯で養成された陶画工でした。 ロクロ師・・・滝口加全(大正9年まで)、福岡義一 上絵付・・・・梶谷竹塘、篠尾忠次郎、庄田房、初代 井秋晴、笹居忠次郎、宇谷秋香 宇谷秋水、初代 井上秋晴、小島秋江、浜坂楓塘 初代 中村秋塘 慶応元年(1865)生、昭和3年(1928)歿 初代 中村秋塘は、大聖寺に生まれ、名は亀次郎といいました。 秋塘は、明治10年(1877)、12才のとき、八郎手を得意とする、父 中村茂一郎が明治元年(1868)に始めた陶画業を継ぎました。その翌年、竹内吟秋が陶画工を養成すべきとの考えから、陶画法を教えるために創立した私学校「惟新社」に入り、吟秋から陶画を学びましたが、九谷陶器会社の設立に合わせて、その会社に移りました。吟秋の辞職に伴い、秋塘も辞め、陶画業に戻り、制作を続けました。 秋塘は、父の遺風を守ると共に、吟秋に師事し、広く諸陶の技法を研究して、赤絵金彩に卓越した技能を発揮しまた。秋塘の精微端麗な画風は、気品の高尚さを誇りとする江沼九谷の真価を発揚するものでした。
九谷焼 中村秋塘 50000円 骨董屋げーむのケイミヤチ
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篠尾旭豊 九谷焼 赤絵細描 桃太郎図 急須
篠尾旭豊 九谷焼 赤絵細描 桃太郎図 急須 https://youtu.be/9DoRKWnVjb8 名工 篠尾旭豊 中村秋塘の弟子 日本画を橋本雅邦に師事 篠尾旭豊 明治21年(1888)生、昭和18年(1943)歿 篠尾旭豊は、大聖寺町に生まれ、本名を忠次郎といいました。 初め、東京へ出て橋本雅邦に日本画を学び、帰郷後、松本佐平に師事して陶技を修め、その後、宇谷秋香、初代 中村秋塘から陶画を学びました。 赤絵細描に卓越した技量を発揮し、特に動物、人物画を得意としました。
九谷焼 篠尾旭豊 40000円位げーむのケイミヤチ
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浅井一毫 九谷焼 赤絵雲龍図 徳利 一対
浅井一毫 あさいいちもう 九谷焼 赤絵 雲龍図 徳利 一対 明治の名工の一人 竹内吟秋の弟 浅井一毫 天保7年(1836)生、大正5年(1916)歿 浅井一毫は、大聖寺藩士 浅井長石衛門の二男に生まれ、初め、幸八といいました。実兄 竹内吟秋と共に絵画を堀文錦、小島春兆に学び、嘉永3年(1851)、14才のとき、宮本屋窯で飯田屋八郎右衛門から赤絵を習いました。 その後、大聖寺藩が殖産興業の振興に積極的に取り組み、八郎衛門の没後しばらくして閉ざされていた宮本屋窯を買収して藩営とすることになり、このとき、藩の産物方に属していた塚谷竹軒の下でその窯の買収にあたりました。 万延元年(1860)、宮本屋窯は九谷本窯として再び蘇りました。一毫は、竹軒のもとで赤絵付や販路拡張に努めました。赤絵付のとき、八郎右衛門が所持していた『方氏墨譜寫本』を譲り受けていたので、大いに墨譜を活かしました。 明治元年(1868)、大聖寺藩が商法局を置き、商会を京都、大阪に開いたとき、一毫はその書記となりました。とりわけ、大阪に窯を築き、陶画工を呼び寄せて、製品の制作、その販路拡張に奔走しました。 翌年、江沼に滞留していた永楽和全の下で九谷焼の改良を藩から命ぜられました。中には和全が山代で製陶、一毫が大聖寺で着画を分担したものがありました。こうして、一豪は赤絵細描の名手といわれるほどになりました。 その後、廃藩となって九谷焼が衰微しかかったとき、九谷本窯の再建に取り組んでいた塚谷竹軒と大蔵清七に協力し、また京都の美術商 池田清助とともに輸出品の制作を手がけました。 この頃、金沢の阿部碧海窯から注文を受けたといわれます。金沢古寺町(現在の片町)に5基の錦窯を築いた阿部碧海は、優品の代名詞となった金沢九谷の基礎を築いた窯元を経営しましたが、購入品には目が高く、優品でないと満足しなかったといわれます。九谷庄三、松本佐平、松原新助らの名工と並んで注文を請けたほどでした。江沼では大蔵清七とともに選ばれました。 明治13年(1880)、九谷陶器会社の画工部長となり、また事業拡張に専念しましたが、翌年、自営の道を選びました。以来、30数年間、優品の制作を続けました。 銘は「九谷相鮮亭一毫造」「大日本相鮮亭」「角福」などがあります。 門人に下出梅仙がいましたが、実兄 吟秋と比べ、その数はごく僅かでした。
九谷焼 浅井一毫 30000円位げーむのケイミヤチ