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寺山修司が作詞した長嶋茂雄讃歌を歌う元・スイングウェストの湯原昌幸
鬼才、というより天才・寺山修司が作詞、製作協力が巨人軍とよみうり映音、歌うのは「雨のバラード」の元・スイングウェスト、あのハンドマイクを口からできるだけ離して歌う湯原正幸。たまたま入手した雑多なレコード群の中に紛れこんでいた一枚。二曲ともなんの変哲もない至極真っ当な長嶋讃歌・応援歌でです。「君のうしろに百万の 巨人の星が燃えている がんばれ長嶋ジャイアンツ」というのはいいのです、なんの問題もありません。しかし驚くべきは、これが寺山のペンによるものという事実、あのテラヤマ・ワールドに親しむものとしては、この歌詞こそ「変哲」以外の何物でもないのです。どうした寺山。巨人ファンだったのは知っていたけれど、まさかこんな曲を作詞していたとは。およそあの寺山のイメージとは結びつかない作風、まさかの直球一本鎗、ありとあらゆる寺山の表現作品の中でもこれは、間違いなく異色作のひとつでしょう。#巨人軍 #長嶋茂雄 #寺山修司
応援歌 7" Single キャニオン揖斐是方
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昭和脱力歌謡 『青いゴムゾーリ』バーブ佐竹
坂本九の夜空路線に寄せたと思しきシングル「星が云ったよ」(1967年)のB面、かつて小堺・関根の深夜放送で話題となった脱力歌謡の極北「青いゴムゾーリ」です。作曲はシナ・トラオこと佐竹本人。歌われるのは1960年代の夏のビーチ・リゾートで履かれるゴムゾーリを己の弟分としてとらえた、たとえようもないシュールかつ脱力感いっぱいの異様な歌詞です。「青い青いゴムゾーリ/ひとりで歩いている時も/いつもペタペタついてくる/沖に向かって投げたのに/波にゆられて帰ってきた/妙な奴だよ青いゴムゾーリ」もちろんスティール・ギターの演出でハワイ感横溢のアレンジです。ただし当時のハワイとは、たぶん全国に点在していたであろう「なんとかハワイアン・ランド」というでかいプールが売り物のアミューズメントのイメージ、昭和40年代でもまだハワイ航路は憧れで、せいぜいこうした歌と「ハワイ疑似体験」プールで満足する、そんな時代でした。佐竹の低音ボーカルでそういう時代のこうした歌を現在聴き返すと、ハワイではなく「当時の日本国」に対する異国情緒(笑)が。つまりそれほど現在では考えられない要素ばかりの、今とはかけ離れたテイストの楽曲といえましょう。大人が大人のために創った娯楽音楽というものが、かつてはこの国にもあったことの証明です。ヒット曲「女心の唄」をフィーチャーした4曲入りコンパクトピクチャーソノシートに写るモアイ像、もしくは将棋の駒に等しきポートレートも潔い。
歌謡曲 7" Single ソノシート キング揖斐是方