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サイケデリック戦士/ホークウィンド モーターヘッドのレミーが在籍。
「シルヴァー・マシーン」のヒットで日本でもおなじみの英サイケデリック・スペース・ロック・バンド、1974年リリースの五作目「永劫の宮殿」からのシングル・カット。デイヴ・ブロック、ニック・ターナーの二大巨頭を軸に、この時期のラインナップにはヴァイオリンとキーボードで元ハイ・タイド、サード・イヤー・バンドの名手サイモン・ハウスが参加。そして当然後に「エース・オブ・スペーズ」で大ブレイクのレミー・キルミスターがヴォーカルとベース。シンプルだがキャッチーなメロディーを、ひたすら反復してはトランスに入っていくという、まさにサイケなスペース・ロックとしか言いようのない芸風の佳曲。全裸で踊る女性ダンサーもメンバーもいたし、派手なライトショウなど視覚上のステージ演出は、これも当時のグラム・ロックの範疇で語ることもできそうです。ただし、このシングルが発売されたころには、明らかにかれらの人気にも翳りが。クイーンが既に登場していただけの理由では勿論ありませんが、なんかしらんけれどあの頃は次々に色々な面白いのが出てきましたから。
スペース・ロック 7" Single リバティ揖斐是方
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昭和コミカルムード歌謡「おさけ」。和製「テキーラ」ジョージ山下とドライ・ボーンズ
なんとかかんとか言いながら/みんな呑んでる酔っている/人間様の好きな水/素晴らしい水だよ/おーさーけ/キチガイ水だよ/オーサーケ と1966年のドライ・ボーンズは歌うわけです。古今東西に蔓延するウンザリするようなアルコール讃歌か、吐き気がするほど多いですね、その手の楽曲は。しかし面白い、実に人懐っこく、ポップかつキャッチー、ちょっと忘れがたいほどの大衆性といいましょうか、ヒットしても良かったんじゃないですかねーこれは。他のコーラスグループも唄っていますが。世界的スタンダード「テキーラ」をベースに、それを日本に置き換えただけの発想で作られたのは明白、一聴して大笑いですが、そこがまた愛おしい。とにかく人生において、スキさえあればアルコールにありつきたいと願う健気な酔漢たちを歓喜さすのに十分な非常に愉しい一曲です。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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帰り道は遠かった/サブ・アンド・ビート 自主製作GS
秋田のとあるスナックのトイレで、作家の藤本義一がトイレット・ペーパーに書いた歌詞を、作曲家でジャズ・ギタリストの奥村英夫が作曲して生まれた一曲。二人はかつて大阪でのイレブンピーエムの出演者で、ロケで訪れた秋田での逸話だそうです。当然この曲は「チコとビーグルス」で大ヒットして世に知られ、東京を追われた(笑)ザ・ジェノバもカバーしてシングルをリリースしています。が、このレコードはそれら以前に製作されたオリジネイターの奇盤とでもいいましょうか。1966年に結成された大学生によるセミプロのトリオで、67年の夏に奥村氏と知り合い、68年の夏にはこの盤を製作したということのようです。ジャケット裏のライナーには、この曲を名付けて「民謡ロック」と書かれておる。笑い。確かに民謡そのものの合いの手が。セーノで一発で録ったのでしょうが、演奏は遠く、ボーカルとハーモニーだけ近く、そのアンバランスさも最高です。楽曲そのものは知名度の高いポップ・チューンなので、その事実と録音状態のあまりのギャップが味わい深いですね。ちなみに、この曲と同名の奥村氏の自伝では、いきなりチコとビーグルスに歌わせたことになっている。絶対に、先にこちらで録音したはずですが、無視黙殺の憂き目だ。可哀想・・
民謡ロック 7" Single キング揖斐是方
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ドント・ウォリー・マザー/マッコイズ
「ハング・オン・スルーピー」のヒットがあまりに有名な、若き日のリック・デリンジャーが属していたバンド、ザ・マッコイズ。古き佳き時代のアメリカの、ポップでイノセントで健全な人気バンドのイメージですが、66年秋のこのシングルは、そこからの脱却を図った一枚です。大ヒットとまではいかなかったまでも、それまでとはかなり異なった印象のサウンドと曲調、ずばりドラッグを知った青年のサイケデリックへの路線変更といったところでしょうか。なんでも、この曲リリース以前に、バンドはローリング・ストーンズと出会い、その薫陶を受けたという。笑い。つまりヨカラヌ事を諸々教えられたわけでしょう。タイトルはストーンズの「マザー」モノ二曲に呼応、サウンドは「黒く塗れ」に接近したような楽曲、しかもさっきまで親のいいつけを守ってきた品行方正だった青年が、札付きのワルと知り合い、突然「お母さん心配しないで」と唄う、このわかりやすい変化。バンドはこの後レーベルを移籍し、サイケデリック・ロック期へと突入していく。が、いづれも不成功、しかしながらエドカー・ウィンターとの出会いでメンバーは70年代、もう一花咲かせるわけです。なお、この日本盤シングルは米盤りも早くフェイドアウトしてしまう日本独自のショート・ヴァージョンです。
ロック 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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馬鹿ねc/w 弱い女じゃありません/西村じゅん マリア四郎・作詞 フェロモン・ディープ歌謡の奇盤
昭和ディープ歌謡のおぞましき妖花、マリア四郎。天草四郎だか転びばてれんだかしらんけど、そんなイメージ・キャラクターでとりあえず頑張りました。しかしながら不発。レコード会社を移籍したのちは「みやざきみきお」 名義で「シクラメン・ブルース」を。史上初の全裸歌手としてジャケットにもその姿が。それでも不発。みやざきみきおを調べる過程で彼が作詞したこの人のこのレコードを知ることとなりました。1971年発売のディープ歌謡、作詞がみやざき、作曲はあの「赤く赤くハートが、ああーうずくのさー」の新井靖夫。なんでも、この西村じゅんという人物は「ショッキング・ヴォイス 歌謡界に登場」というキャッチコピーでうりだされたそう。針を降ろしてみたら驚きました、どう聴いても「男性」の声。回転数をまちがえたかと。こんな声の女性などおらん。ということは当然、実は「男」説も囁かれるはずで、タモリが紹介していた扇ひろ子を思いだしたり笑、どっちなんだ本当は。なんにしても極めて珍しい声質の異色歌手であることは間違いありません。ビーメンが「弱い女じゃありません」といってるので、やっぱり男なのか・・・なお、みやざき氏の作詞はたいした巧くないですね。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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「愛の祈り」「コーヒー天国」 オクトーバー・チェリーズとジェイド・アンド・ペッパー 日本盤シングル
シンガポールとマレーシアで絶大な人気を誇った60-70年代の東南アジアを代表するバンド、オクトーバー・チェリーズとその前身、ジェイド・アンド・ペッパーの国内盤シングルです。まさかこのバンドが、過去に日本盤で出ていたなんてと驚愕する例がいくつかありましたが、これらもそのひとつ。サイケデリック・ロック・ファンの中では「ペッパーリズム」といったオムニバス盤やポコラ本などで以前から認識されていた、ビートレスク・ポップ・サイケの名バンドです。1969年がデビュー・アルバムを発表した年で、そこには「ゲット・バック」から多大なヒントを得たような(笑)曲も入っていました。この二枚は順序からいえば「コーヒー天国」の方か先にリリースされたものですが、国内発売されたとはいえ、殆ど誰も買わなかったのではないかと思われるほど知名度低し。最初から器用なバンドで、「愛の祈り」の方はB面がほぼ原曲に忠実なハード・ロックとしてグランド・ファンクの「アー・ユー・レディー」を。それにしても、帯付きLPとしか思えないようなジャケットデザインのシングルというのも非常に珍しいのではないでしょうか。
ロック 7" Single グラモフォン・ポリドール揖斐是方
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ザ・サイレンサー 「恋の夜汽車」 自主製作盤GS
現在、グルーブ・サウンズの音源というものはとっくに大方がシーディー化も終え、しかしアナログのオリジナル盤というものも、たとえ帯付きであっても以前のように高価のままかといえばそうでもなく、もはや当時のアマチュアバンドが自主製作したレコードの世界だけが、中古レコード市場の相場という点ではエライ事になってしまった感があります。愛知県のバンドによる、おそらく1968年頃に発表された唯一のシングルがこれです。簡単に現在ではユーチューブでタダで聴けるわけですが、実際に針を降ろして聴くとなると、そこまでこぎつけるのは色々としんどいものが(笑) サイレンサーの特徴は、まずメンバーは全員の名字が漢字一文字(それは別にどうでもよいか)、当時のGS人気投票では44位と健闘、あのヤング720にも出演など、ローカルバンドながら頑張っていたようです。また、解散後はメンバーのうち二人がコスモス・ファクトリーに参加ということです。この曲はとにかく素朴な味わいが素晴らしく、シンプル、ストレート、オーソドックスなガレージ・ナンバーとして、かつ、いかにもあのイノセントな時代ならではの情熱がかんじられる佳曲です。
グループ・サウンド 7" Single 日本マーキュリー揖斐是方
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ジェスチャーズの「ラン・ラン・ラン」の国内盤。但しベルベットでもシェケナでもない。
ジャスチャーなどという言葉を聞き真っ先に連想するのが水の江滝子だったり金語楼だったりした場合、勿論筆者もそうですが、今日まで色々とお疲れ様でしたの世代にはいっていると思います。これは米国60年代中期のバンドの代表的なスマッシュヒット。東芝音工で330円のシングルです。あのトラッシュメンとレーベルメイトだったようです。メロディアスな、ちょっと哀愁のあるメロディーでいかにもあの時代のヒットではあるのですが、日本では同期の尾藤イサオが「悲しき願い」で当てたのにあやかって、この曲は内田シェケナ裕也が日本語でカバーしてました。当然、世間はうんともすんともいわずコケたのですが笑。もしも万が一、シェケナのものもそこそこヒットでもしていたなら、この楽曲そのものの知名度も少しは上がったのかもしれません。#内田裕也
,ガレージ 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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ヘイ・ヘイ・ガール/イ・リベリ カルトGS ヴァン・ドッグスもカバーしたあの曲。
リベリはイタリアのバンドで60年代前半には活動を開始していました。最初はソロシンガーのバック・バンド、65年から、いわゆる当時のリパプール・スタイルに切り替えて活動を始めたようです。翌年にはサン・レモ音楽祭(懐かしい)で入賞、当時のモノクロの動画はユーチューブにて。この曲が所詮「グリーン・オニオン」に歌詞をつけただけじゃないのかという議論など耳を貸す必要なし笑、どうでもよいのですそんなことは。1960年代なのだから。このシングルは1967年の12月に発売された日本でのデビュー盤。当然、英米のポップス・ロックが全盛の時代、セールス的には苦戦したなんていうもんじゃないでしょうが、60年代の日本のレコード会社のエライところは、粗製乱造数うちゃ当たるでなんでも日本盤で出しまくったことですね。半世紀以上経ち、今もって驚愕のリリース事実をしったりしますから。そしてこの曲は犬連れでしかも左翼活動家まで擁していたカルトジーエス界の雄、ヴァン・ドッグスが「ヘイ・ガール」のタイトルでシングルを発売しているのです。それがなんと1967年8月。ということは、こちらのイ・リベリの方が日本発売は遅かったのか。事実ならたいしたもんだヴァン・ドッグス。さすがスパルタクス・ブント。なんだかわかりませんが笑。
ビート・ガレージ 7" Single コロムビア揖斐是方
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あのゴム紐を、覚えていますか? ブルドッグ/フォー・リーブス
ゴム紐を己の演芸に使った成功例としては、まず口にくわえるユートピア、次に彼らのこの曲でのパフォーマンスでしょう。動画検索で改めて見ても、これは奇天烈を極めます。喜多川御大から「ユーたち、ゴムを使いなさい」とか言われたらしいのですが、それにしても。当時は全く笑わなかった、が、45年が経過して、なんなんだこれはと。確かに歌っている最中の演出・小道具としていろんな試みがあったのは事実です昭和歌謡では。しかし、腰に結わえたゴム紐を曲の途中から使いだし、ビヨーンビヨーンと伸ばしたり引っ張ったりするのです。困りましたねこれには。しかも「黙れ うるさいぞお前ら 見ろ 俺の目を」と歌いながら「寄るな 女に用はない 信じろこの俺を」と続く。そして決め台詞が有名な「ニッチもサッチもどうにもブルドッグ」ってもう何が何だか大笑いの錯乱状態ではありませんか。しかし、四人のコスチュームやサディスティックな歌詞から察すると、ブルドッグとは男色相手の、ゴム紐は鞭の暗喩とも解釈でき、実はこれこそジャニー喜多川氏のフェイバリットだったのではと勘繰ることもできます。すでに二人が鬼籍に入りいまや「トゥー・リーブス・レフト」の寂寥。昭和のワイルドな滑稽さ炸裂の怪曲です。
ディープ歌謡 7" Single CBS SONY 二束三文にも満たない揖斐是方
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スリッピング・イントゥー・クリスマス/レオン・ラッセル
平和キャンペーンの一環として、ドングリを植える活動をしていた夫妻が「ステューボール」の替え歌に等しいクリスマス・ソングを発表したのは1971年。このレコードは翌年にシェルター・レーベルからリリースされました。 バングラ・デシュ・コンサートの出演、ソロ・アルバムとしてはサードの「カーニー」の後というタイミングになるようです。こちらはラッセル節炸裂の渋いスローブルース仕様で、ヒット性や後年に聴かれ続けるような要素は皆無です。しかしながらこの渋さが実に良い。ラッセルのシェルター時代のシングルとしては比較的珍しい1枚かもしれません。特にプレミアがついているわけでもないようですが。何故か両面がモノラルで、プロコルのファーストじゃないけれど、リリースを急ぐあまりこうしたのかと、勘繰ることも可能です。クリスマス・シーズン商戦を狙ってレコードを発売するならわしがありますから。紙ジャケットで全てリイシューされる彼のアルバムの中にもボーナス・トラックとして収録はされないようで残念ですが。
ブルースロック 7" Single シェルター揖斐是方
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生きているだけのことなんだ/阿木譲 クニ河内 ハプニングス・フォー ロック・マガジン創刊者
多彩な経歴を持つ阿木氏の詳細はウィキペディアでお調べいただくとしまして、昔、この人が60年代には6枚ものシングルを歌謡歌手として東芝から出していた過去があると知った時は驚いたものです。あのマニアックを極めた「ロック・マガジン」の音楽評論家でしたから。これは1年余にわたる歌手生活を終え、拠点を関西に移した1970年に自主製作として限定100枚でリリースしたシングルの、イギリスでの復刻盤です。こちらも限定300枚とのこと。A面はクニ河内が編曲。演奏はハプニングス・フォーという話ですが可能性はあるでしょう、同じ東芝のレーベルメイトでもあったことだし。両面ともに「あぎ じょう」名義のオリジナルで、「俺らは死ぬのが怖いから 生きているだけのことなんだ」という結論をド直球で、直情的、衝動的な叫びに至る、虚無と実存が交錯したなんとも時代を感じさせる作風。いずれにしても、プロだった人がアマチュアに戻り、自由な表現をしてみたところ、結果的にはなんとも奇妙かつ珍奇な、ちょっと他ではみつからないタイプのレコードとなった、といえるでしょう。
ヒッピー・フォーク 7" Single japan blues揖斐是方
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三島由紀夫への弔魂歌『憂国』伊藤久男・歌 児玉誉士夫・作詞 古賀政男・作曲
「ニッポンはこれでいいのかーっ!」という命掛けの絶叫に、国民は「いいですよ別に」と笑顔で答えたに等しい、あのお馴染みの事件から半世紀余、しかし三島由紀夫の問いかけは今日いよいよ重く響き渡ります。このレコードは事件から一年後、1971年11月に発売された三島と森田への弔いの歌。歌うは「イヨマンテの夜」の、あの伊藤久男です。作曲が古賀政男ですから、これもれっきとした古賀メロディーといえるでしょう。しかしこの内容ですから、あまり表立ったところでは顧みられていないのかもしれませんが、その辺の事情はどうなんでしょうかね。「筆に尽くせぬ憂国を 剣に替えて叫びたり」と作詞したのは、自称CIAエージェントにして任侠右翼の巨魁、もちろん代表作は「ロッキード事件」の、あの児玉誉士夫。ただ、「剣に替えて」じゃなくて「刃に替えて」にしたほうがよかったのではないでしょうか。ジャケットには7ページにわたって、B面の曲ともどもこの曲の舞のための振り付け写真が。三島由紀夫事件に関して、こうした形でのシンパシーを表現した作品は、他にあまりないのではと思います。その意味では極めて貴重な楽曲といえるでしょう。#三島由紀夫
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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暗い夜 b/w テスト・パターン 古谷充とザ・フレッシュメン
クール・ジャズという言葉がありますが、本当に「クール」な日本人によるジャズとはこういう曲を指すのではないかと思います。普段はジャズ・ボーカルものなど全く聴かないのですが、この曲だけは別格。何度聴いても、昭和の大人たちによる、大人のための音楽であると痛感します。確か小谷氏が20代中ごろの録音のはずなのですが、そのスモーキーな歌声のすばらしさ。言うまでもなく関西ジャズ・シーンの重鎮だった小谷氏、一昨年の逝去が惜しまれます。B面の「テスト・パターン」の歌詞、「夕暮れ前のテレビに映る テスト・パターンのその顔」この曲のリリース当時はまだテレビ放送の黎明期で、テレビの放送開始は夕方からだったはずなのでこういう歌詞。これは誤った解釈だろうか。ちょっと古すぎてそこは定かではありません笑。いずれにしても、日本のジャズ史に残る極めてモダンかつユニークなキラー・チューンだといえるでしょう。
ジャズ 7" Single テイチク揖斐是方