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T.B.シーツ/ヴァン・モリソン 国内盤・ビクター・レーベル
ご案内の通り、モリソンには二通りおります。一人は青少年向けで早世した絵にかいたような典型的なロック・シンガー。もう一人は音楽上の感受性が成熟に達したリスナー向けの、ホワイトR&Bシーンの老練な現役シンガー。前者に時間と金を費やしすぎた後悔など微塵もありませんけれども、加齢は後者の凄さを実感させるものであるのは確かなようです。ただし、ゼムはともかく、単に好みの問題で言えば「アストラル・ウィークス」だけに尽きるのですが。そしてこのアルバム。ゼム脱退後から「アストラル・ウィークス」までの間をつなぐ、例のバート・バーンズのニューヨーク時代、いわゆるバング・セッションのマテリアル、「茶色の眼の女の子」の頃の録音をまとめて1974年あたりに日本でも発売された一枚です。モリソンのオフィシャルなカタログではカウントされていないのかもしれませんが、何にせよ混乱期のレコーディングを取りまとめてアルバム化された作品。それほどフックの強いパっとした曲があるとも思えない、しかしトータルで聴けばそこはかとなく滋味が感じられる、そんなアルバムです。当然そのへんのテイストは次の「アストラル・ウィークス」にも繋がっていくのでしょうが。全曲、今となってはCDで容易に入手でき、かつ詳細なデータなども参照できるようですが、やはり白眉なのはタイトル・ナンバーの「T.B.シーツ」でしょう。結核で亡くなっていった女性への想い、まだ闘病下だった彼女の病室の閉塞感、死が間近に迫りつつある彼女との遣り切れない対話。そうしたヘヴィーな歌詞がトーキング・ヴォーカルでおよそ10分、淡々とつづられていくわけです。そして歌い終わったモリソンはスタジオのその場で泣き崩れたという。壮絶な「歌」と「歌い手」との相克。やはりこっちのモリソンはあの頃から既に「大人」だったんだなあと嘆息。
ロック LP、アルバム ビクター揖斐是方
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「からっ風野郎//三島由紀夫」見本盤7インチ+台本、その他。
最後の一日だけは犯罪者、それ以前は作家、映画監督、ボディビルダー、評論家、タレント、武道家、モデル、私設軍隊の総裁、歌手、似非自衛官、俳優、LGBTQにおけるG、様々な横顔を持っていた三島由紀夫。30代前半にして初めて発売したレコード、主演映画の主題歌「からっ風野郎」のシングルは以前にも紹介しましたが、これはそのジャケット無しの見本盤。B面はレギュラー盤同様に春日八郎の「東京モナリザ」です。その他、当時のロビーカード、縮小ポスター版チラシ、未使用のの台本など。あの映画もこの曲も、ノーベル文学賞候補にまでなった世界的文豪の遺した表現としては、散々な酷評をされる傾向で定着しています。ある面では実に不器用、見ていて気の毒なほど不格好でセンスのない人物だったが、愚直に一所懸命とりくむ姿が余計見ていられなかった、などという関係者の回想を読みますと、たしかに説得力を感じさせます。しかし、トリックスターでもあった三島という仮面をかぶった不器用な人間・平岡公威さんの、キッチュで通俗的で、どこか自己客観視しながら楽しんでいるような風情は、これなりに極めて興味深い。「太陽と鉄」や「文化防衛論」から自決のポジティブな意味を論うのも勿論アリですが、今では、本当にこの人は昭和という時代に通り過ぎていった一陣のからっ風だったのではと思います。それにしても、深沢七郎のギターが大きく明瞭に聴こえるようなリミックス作業をどちらさんか・・などと思いついて大笑いしてしまう、そんな時代になりました。
映画音楽 カルト歌謡 7" Single その他 キング揖斐是方
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驚愕のエチオピア演歌『エチオピーク10~テゼタ エチオピアン・ブルース・アンド・バラッズ』
https://www.youtube.com/watch?v=H1A5NTzSN08 こればかりは聴いていただかなければ困るということで、こうしました。大アフリカ大陸はエチオピアでド演歌が歌われていた驚き。実際に、一切の予備知識もないまま、不意にだしぬけにこれを聴いたときには笑い驚いたものです、なんなんだこれはという反応ですね。なんでも、テゼタというエチオピアのブルースに相当するような音楽ジャンルとのこと。歌詞もブルースや演歌同様の悲しみや苦しみ、郷愁、人間の悲哀を歌ったものだとか。日本国の演歌のルーツを逆算して考えれば、半島、大陸、インドあたりから中東へとたぐりよせられるところまでは、わりと簡単に想像もつくのですが、アフリカ大陸のエチオピアっていくらなんでも。そこで発生したこのテゼタが日本で花開いたとでも?いや、それはないやろ、ということで勝手に妄想したのは、64年東京五輪、走る哲人アベベが、日本で演歌のレコードを買って本国へ持ち帰ったなと。大笑。そうでもしなければこうなるはずはないと、睨みました。しかしライナーノートには、どうも朝鮮戦争に従軍したエチオピア兵士が日本にたちよって買って帰ったレコードから、かの国で広まっていったようだという説が。当たらずとも遠からず。エチオピアでは大ヒットを記録した伝説のシンガーとのことですが、いずれにせよ、この曲調、コード進行、主旋律、冒頭の科白、これを演歌といわずしてなんといえばいいのでしょうか。なんでも自国の文化に引き寄せて語り、ルーツはこちらだと自慢げに我田引水する昨今の世界的な風潮は大嫌いなのですけれども、どうも、こればかりは・・・・・・・
演歌・テゼタ CD ライス揖斐是方
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サイケデリック戦士/ホークウィンド モーターヘッドのレミーが在籍。
「シルヴァー・マシーン」のヒットで日本でもおなじみの英サイケデリック・スペース・ロック・バンド、1974年リリースの五作目「永劫の宮殿」からのシングル・カット。デイヴ・ブロック、ニック・ターナーの二大巨頭を軸に、この時期のラインナップにはヴァイオリンとキーボードで元ハイ・タイド、サード・イヤー・バンドの名手サイモン・ハウスが参加。そして当然後に「エース・オブ・スペーズ」で大ブレイクのレミー・キルミスターがヴォーカルとベース。シンプルだがキャッチーなメロディーを、ひたすら反復してはトランスに入っていくという、まさにサイケなスペース・ロックとしか言いようのない芸風の佳曲。全裸で踊る女性ダンサーもメンバーもいたし、派手なライトショウなど視覚上のステージ演出は、これも当時のグラム・ロックの範疇で語ることもできそうです。ただし、このシングルが発売されたころには、明らかにかれらの人気にも翳りが。クイーンが既に登場していただけの理由では勿論ありませんが、なんかしらんけれどあの頃は次々に色々な面白いのが出てきましたから。
スペース・ロック 7" Single リバティ揖斐是方
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昭和コミカルムード歌謡「おさけ」。和製「テキーラ」ジョージ山下とドライ・ボーンズ
なんとかかんとか言いながら/みんな呑んでる酔っている/人間様の好きな水/素晴らしい水だよ/おーさーけ/キチガイ水だよ/オーサーケ と1966年のドライ・ボーンズは歌うわけです。古今東西に蔓延するウンザリするようなアルコール讃歌か、吐き気がするほど多いですね、その手の楽曲は。しかし面白い、実に人懐っこく、ポップかつキャッチー、ちょっと忘れがたいほどの大衆性といいましょうか、ヒットしても良かったんじゃないですかねーこれは。他のコーラスグループも唄っていますが。世界的スタンダード「テキーラ」をベースに、それを日本に置き換えただけの発想で作られたのは明白、一聴して大笑いですが、そこがまた愛おしい。とにかく人生において、スキさえあればアルコールにありつきたいと願う健気な酔漢たちを歓喜さすのに十分な非常に愉しい一曲です。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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前衛ドラムの芸術/サニー・マレー 日本盤ESPオリジナル
アイラーやテイラーとの共演でも有名なドラマー、マレーによるセカンド。1966年当時のジャズシーンに於いて、アバンギャルドなフリー・ジャズなる形容もやむなしですが、筆者は現在、その演奏の革新性を的確に分析できるほどのジャス・ファンでもありませんので、大雑把にいえば割とあの時代のフリー・ジャズ然としたタイプのレコード、というのが正直な印象です。ですが、それでも伴奏打楽器してのドラムスじゃない発想で、リード奏者の演奏とは別に、けたたましくせわしないパルスを送り続けるドラマーというのは、やはりこれはこの人あたりが第一人者といってもいいのではないかと思います。面白いのは、参加しているトランペットのジャック・カーシルが、そもそもレストランの厨房で皿洗いをしていたアマチュア・ミュージシャンで、マレーに声をかけられて参加したいう話。それから本作での支払いの件では、ESPの創業者・バーナード・ストールマンともめにもめたという話。何も支払いをせずに行方をくらました彼を探し出して問い詰めたくだりなどが、「証言・ESPディスクの時代」という本でのマレー・インタビューで語られています。とうとうマレーの取り分は一切支払われなかったようで、数年前にパリで逝去するまで、やっぱり彼はこの作品に関してはノーギャラのままだったんだろうか。可哀想。なんとも妖気漂うポートレートにアートディレクターのクレジットではゴッズのジェイ・ディロン。流石ESP。
フリー・シャズ LP、アルバム ESP 日本ビクター揖斐是方
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帰り道は遠かった/サブ・アンド・ビート 自主製作GS
秋田のとあるスナックのトイレで、作家の藤本義一がトイレット・ペーパーに書いた歌詞を、作曲家でジャズ・ギタリストの奥村英夫が作曲して生まれた一曲。二人はかつて大阪でのイレブンピーエムの出演者で、ロケで訪れた秋田での逸話だそうです。当然この曲は「チコとビーグルス」で大ヒットして世に知られ、東京を追われた(笑)ザ・ジェノバもカバーしてシングルをリリースしています。が、このレコードはそれら以前に製作されたオリジネイターの奇盤とでもいいましょうか。1966年に結成された大学生によるセミプロのトリオで、67年の夏に奥村氏と知り合い、68年の夏にはこの盤を製作したということのようです。ジャケット裏のライナーには、この曲を名付けて「民謡ロック」と書かれておる。笑い。確かに民謡そのものの合いの手が。セーノで一発で録ったのでしょうが、演奏は遠く、ボーカルとハーモニーだけ近く、そのアンバランスさも最高です。楽曲そのものは知名度の高いポップ・チューンなので、その事実と録音状態のあまりのギャップが味わい深いですね。ちなみに、この曲と同名の奥村氏の自伝では、いきなりチコとビーグルスに歌わせたことになっている。絶対に、先にこちらで録音したはずですが、無視黙殺の憂き目だ。可哀想・・
民謡ロック 7" Single キング揖斐是方
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ドント・ウォリー・マザー/マッコイズ
「ハング・オン・スルーピー」のヒットがあまりに有名な、若き日のリック・デリンジャーが属していたバンド、ザ・マッコイズ。古き佳き時代のアメリカの、ポップでイノセントで健全な人気バンドのイメージですが、66年秋のこのシングルは、そこからの脱却を図った一枚です。大ヒットとまではいかなかったまでも、それまでとはかなり異なった印象のサウンドと曲調、ずばりドラッグを知った青年のサイケデリックへの路線変更といったところでしょうか。なんでも、この曲リリース以前に、バンドはローリング・ストーンズと出会い、その薫陶を受けたという。笑い。つまりヨカラヌ事を諸々教えられたわけでしょう。タイトルはストーンズの「マザー」モノ二曲に呼応、サウンドは「黒く塗れ」に接近したような楽曲、しかもさっきまで親のいいつけを守ってきた品行方正だった青年が、札付きのワルと知り合い、突然「お母さん心配しないで」と唄う、このわかりやすい変化。バンドはこの後レーベルを移籍し、サイケデリック・ロック期へと突入していく。が、いづれも不成功、しかしながらエドカー・ウィンターとの出会いでメンバーは70年代、もう一花咲かせるわけです。なお、この日本盤シングルは米盤りも早くフェイドアウトしてしまう日本独自のショート・ヴァージョンです。
ロック 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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I'm the only one around/kan mikami
で、これがその傀儡イカサマ楽曲をアルバム・タイトルに据えた一枚で、しばらく前にアメリカでアナログ発売されたものです。オリジナルは日本国でのインディーズCDのみで1990年前後に出たのだったか、とにかく実売数は数百枚にも達しなかったはずです。オリジナル発売元のレーベルが崩壊し、権利をアメリカのアンダーグラウンド・レーベルが獲得した結果、これも「全米発売」笑されたという運びですが、アイダホやニューハンプシャーやユタや、その他どこでもいいですけれど、こういうものを買って持っている者など誰一人いやしませんて大笑い。せいぜい都市部のカルト・マイナー物好きな若者が、多く見積もっても数十人くらいでしょうかね、所有者は。だいたい日本語で歌っているレコードを、流行りのシティーポップでもないのに外人が購入するわけもありません。まあ、セールスなど別にどうでもいいのですけれども。若い頃自分が書いた楽曲が、アメリカでレコード化されたという事実に対しても20,30代であれば、欣喜雀躍の態だったかもしれません。しかし加齢とは、歓喜も感激も著しく摩滅させるものなのですな。感情の起伏は死者の心電図のように、いかなる変動もしませんでした。
アングラ・フォーク LP、アルバム 普通揖斐是方
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『他人の穴の中で』付録『俺より他に神はなし』唄・平岡正明
クシシュトフ・キェシロフスキーの「デカローグ」の1は「俺より他に神はなし」という十戒のひとつを寓話化し、AI文明を妄信する者が神に罰せられる末路を描いていましたが、この一神教絶対宣言である暴虐の決定論が小気味良いですね。日本人の汎神論とは仲良くできないかな、やっぱりな。 そのフレーズをそのままタイトルとし作詞をしたのが、日蓮宗僧侶の上杉清文。歌うは革命三羽烏の一人、平岡正明その人。 私事にわたり恐縮ですがまさに人生を変えた曲のひとつです。この曲の歌詞の一部を読んだのは「ニューミュージックマガジン」誌の書評だったか、衝撃でした。1981年頃の話です。 風はひとりで吹きゃしねえ/風を吹かせる奴がいる/とかくこの世は駆け引きで/正義が勝つとは限らねえ/ひとが泣こうがくたばろうが/俺がよければすべてよし/俺より他に神はなし このソノシートを目当てに「他人の穴の中で」を買い、歌詞カードを手に入れ、我流でこの曲に触発された「俺が居る」を作曲し録音、三上寛がレパートリーとしてアルバム化し、それから幾星霜を経て今の自分に至るわけで、遡ればすべて平岡氏の歌うこの曲に尽きるのです。 非常にチープな伴奏にのせて歌われるこの曲ですが、まさに耳で聴く平岡節そのもの。氏の硬質な文体がもつハードボイルドかつニヒリスティックな肌合いをそのまま歌にしたような歌詞。これは野坂昭如楽曲における桜井順の、ドアーズにおけるロービィ・クリューガーの功績に等しい。歌い手と作詞者の見事な一体化。 かつて「俺が居る」の文底には反天皇制があると評した人もいましたが、その源流は当然この一曲に還元されていきます。個の持つ絶対性。それをこの日本人社会で声高に歌う行為のラジカリストぶり、とでもいいましょうか。 三上バージョンがリリースされる前に、平岡氏本人に認知された曲とはいえ所詮「俺が居る」は氏の書名の通り「他人の穴の中で」生まれた傀儡のイカサマ曲であります。
ディープ歌謡 ソノシート 書籍 秀英書房揖斐是方
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ブルーチアーのCD
初期限定ですがフェイバリットのひとつです。
揖斐是方
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「ウイザウト・ユー」の「ニルソン・シュミルソン」 米盤の別ジャケット ニルソンの謎のカウンターフィット盤
米国の地方都市にあるシアーズなんかの巨大ショッピングセンターでは、肉や牛乳をいれたカートの中に、ペリー・コモかなんかのカットアウト99セントのLPを何枚か放り込んでいたおばさんなどを見かけたことがあります。40年以上前の話で恐縮ですが。その時、「レコード」という物への考え方、扱い方のあまりの違いを垣間見た気がし、さらにいえばラジオ局の数も含め米国人にとっての音楽と日常の関係が、いかに日本と異なるかを思い知りました。当時はまだ当地のレコード店にも8トラックのカートリッジテープなども山ほど売られておりました。多くはありませんが、アメリカでは、大メジャー・レーベルからでているれっきとした大ヒット・アルバムが、実にわけのわからない胡散臭いジャケット(当然アーティスト写真などない場合が多い)で販売されているのは知っていました。しかし、まさかあのRCAが売りまくって、グラミー賞ヒットの、あまりにも有名な「シュミルソン」が、こんなジャケットのレコードでも存在していたとは驚きました。ジムとイギーとヴィンス・テイラーを念頭に、宇宙から落ちてきた異星人ロックヒーローとしてのキャラクター、ボウイの「ジギー・スターダスト」に対抗し(?)同じレーベル・メイトであるハリー・ニルソンは、「アーリー・イン・ザ・モーニング」を唄っているくらいで、早朝、起き抜けに冷蔵庫をあさりに来たよれよれのナイトガウンを羽織った生活者として、シュッとした元銀行員の雰囲気をかなぐりすて、別キャラクター「シュミルソン」に変貌、イギリスで出会った素行の良くない笑ロックンローラーたちと、ロック・ミュージシャン然とした境地に突入、「ウイザウト・ユー」の大ヒットでいよいよ全盛期を迎えました。それが1971年。それは衆知の事実です。しかし、ニュージャージー州にあるメロディー・レコーディングスは、こんなジャケットでその名盤を(4曲は必殺ですが、ニルソンにはもっと良い名盤あり)買ってから10日以内なら返品可能みたいなことを書いて、写真の通りのレーベルで、米国内で販売していたわけです。音は特段の難もなく、ごく一般的なレベルでのクオリティーで、RCA原盤との大きな差異はありません。そこで、私が知りたいのは、このレコードがいつ頃どの程度流通し、他のアルバム、他のアーティストでもこうした例は珍しくないものなのか否か、なのですが。お詳しい方がいらしたら是非ともご教示ください。こうした例は今まで米国のカートリッジの世界でしか知らなかったものですから。
ロック LP、アルバム メロディー・レコーディングス揖斐是方
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野坂昭如 Petit Testament '80 事実上のラスト・アルバム 野坂流・10年遅れの切腹の儀
アマゾン・プライムかなにかで既に配信によって全曲が聴けるとはいえ、レコードとしては未聴のまま、探し続ける事40数年。世間ではさほどのレア盤ではいのかもしれないが、自分個人にとってはいつまでたってもみつからない、そんなレコードも稀にあります。これなどその典型。遂に、野坂のラストライブが。当然未CD化ですが。1980年4月30日、東京厚生年金会館でのライブ。ジャケットを見ると沢田研二トキオへの対抗意識が(笑)ここでの選曲、はしゃぎぶり、50歳にして病を得た後の歌手生命への疑念。そして総括の決意。明らかにこれは歌手・クロード野坂流の、ポップでキッチュでふざけた、しかし同時に極めてシリアスな、彼の切腹の儀とみえます。それを敢えてドキュメンタリー・レコードとして遺した。歌唱としては初になる作詞作「おもちゃのチャチャチャ」やお馴染みのレパートリー、拘りの大国での大ヒット、YMCAなどを交えて最後には「君が代」。ささやかな遺言という意味である「ブティ・テスタマン」の文底に流れる野坂流のミシマ・マナー。あの檄文など、三島の遺した諸々の直球とは対極に位置する徹底したコミカルなギミック、しかしそこには「冷徹」な笑いしかありません。 三島の自決は彼にとって二度目の強制終戦だったのに対し、野坂も「二度目の敗戦コンサート」としている。小沢昭一の歌った、アプレゲールのなれのはて、とまでは言わないまでも、これは野坂なりの、ライブ・パフォーマンスによる再びの敗戦ということなのだろう。実際に鬼籍に入る35年も前の、ショウの形をとった遺言か。音楽は残念ながら、80年代丸出しの浅薄かつバッド・テイストな伴奏。しかしこれは仕方があるまい、電飾パラシュートの時代だったのだから。しかし、それにしても一体なぜこのレコードだけが、無視黙殺ノーリイシューのままになっているのか。無論様々な事情が絡んでいたのでしょうが。自主製作からCBSソニーに始まり、エレック、コロムビア、パイオニア、東芝、そしてビクターとレーベル移籍の変遷はめずらしいことではないが、しかしそこを乗り越えた楽業総括のボックスひとつ出ないとはね。現役のレコード業界人には誰一人、歌手・野坂を知る人物などいないのではないかとすら思えてきます。(そういえば、晩年になりダニアースの唄や小林亜星と組んで曲を発表したりしていたけれど、あのへんは蛇足の感、強し)
歌謡曲 LP、アルバム ビクター揖斐是方
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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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馬鹿ねc/w 弱い女じゃありません/西村じゅん マリア四郎・作詞 フェロモン・ディープ歌謡の奇盤
昭和ディープ歌謡のおぞましき妖花、マリア四郎。天草四郎だか転びばてれんだかしらんけど、そんなイメージ・キャラクターでとりあえず頑張りました。しかしながら不発。レコード会社を移籍したのちは「みやざきみきお」 名義で「シクラメン・ブルース」を。史上初の全裸歌手としてジャケットにもその姿が。それでも不発。みやざきみきおを調べる過程で彼が作詞したこの人のこのレコードを知ることとなりました。1971年発売のディープ歌謡、作詞がみやざき、作曲はあの「赤く赤くハートが、ああーうずくのさー」の新井靖夫。なんでも、この西村じゅんという人物は「ショッキング・ヴォイス 歌謡界に登場」というキャッチコピーでうりだされたそう。針を降ろしてみたら驚きました、どう聴いても「男性」の声。回転数をまちがえたかと。こんな声の女性などおらん。ということは当然、実は「男」説も囁かれるはずで、タモリが紹介していた扇ひろ子を思いだしたり笑、どっちなんだ本当は。なんにしても極めて珍しい声質の異色歌手であることは間違いありません。ビーメンが「弱い女じゃありません」といってるので、やっぱり男なのか・・・なお、みやざき氏の作詞はたいした巧くないですね。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方