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ベースボール・マガジン社 週刊プロレス No.848 緊急増刊 (平成10年)4月19日号
平成10年4月19日発行 発行所 (株)ベースボール・マガジン社 平成10年(1998年)にベースボール・マガジン社より発行された「週刊プロレス No.848 緊急増刊 (平成10年)4月19日号」です。 この年の4月4日、東京ドームで行われた新日本プロレスの興行「“燃える闘魂”アントニオ猪木引退試合」を特集した「週刊プロレス」の増刊号です。 東京ドームに7万人もの大観衆を集めた猪木の引退試合。もうすでにプロレスラーとしては半分引退していたような状態でしたが、やっぱり節目の引退試合ということで全国各地から猪木信者、プロレスファンが集結した、お祭りのような興行でした。当然、私も観に行きました。 猪木最後の対戦相手は「THE FINAL INOKI TOURNAMENT」を勝ち上がってきたドン・フライ。誰もが愛弟子・小川直也との師弟対決を確信していましたが、まさかのドン・フライ。最後の最後で観客の予想と期待は大きく裏切られましたが、今思えばプロレスがイマイチな小川よりも、UFC出身ながらプロレスが上手かったフライで良かったと思いますね。 #週刊プロレス #アントニオ猪木 #ベースボール・マガジン社 #プロレス #雑誌
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ベースボール・マガジン社 週刊プロレス No.363 (平成2年)2月24日緊急増刊号
平成2年2月24日発行 発行所 (株)ベースボール・マガジン社 平成2年(1990年)にベースボール・マガジン社より発行された「週刊プロレス No.363 (平成2年)2月24日緊急増刊号」です。 この年の2月10日、東京ドームで行われた新日本プロレスの興行「'90スーパーファイトIN闘強導夢」を特集した「週刊プロレス」の増刊号です。 前年(平成元年)4月に続く、新日2度目の東京ドーム大会。前年の参議院選挙で国会議員となったアントニオ猪木が久々のリング復帰を果たしたアントニオ猪木&坂口征二対橋本真也&蝶野正洋をメインに、元横綱・双羽黒のプロレスデビュー戦となった北尾光司対クラッシャー・バンバン・ビガロがセミファイナルと、世間的にも注目のカードが用意されていましたが、この日のプロレスファンのお目当ては何といっても降って湧いたように実現した、新日と全日本プロレスの交流戦3試合でした。「プロレス界のベルリンの壁が崩壊した」といわれたこの歴史的な交流戦は、第7試合で木村健吾&木戸修対ジャンボ鶴田&谷津嘉章、第8試合で長州力&ジョージ高野対天龍源一郎&タイガーマスク(三沢光晴)、第9試合でIWGPヘビー級選手権として王者ビッグバン・ベイダー対挑戦者スタン・ハンセンが実現。私はこの日、友人とドームの2階席で生観戦しましたが、会場の異常ともいえる盛り上がりは本当に凄いものがありました。中でも強烈なインパクトがあったのがベイダーとハンセン、両団体のエース外人レスラー対決。しかもハンセンは新日の元エース外人だったという因縁もあります。試合はそんなプロレスファンの期待を裏切らない、ド迫力の展開となりました。技らしい技を出すでもなく、ただただ殴り合い、ぶつかり合う二人。途中、ベイダーが被っていたマスクを脱ぎ捨てるのですが、ドームのオーロラビジョンにハンセンのパンチによってまるでお岩さんのように右目が腫れ上がったベイダーの顔が映し出され、それを観た観客の地響きのようなどよめきがドームを揺るがせたのが忘れられません。 結果は両者リングアウトと極めてプロレス的な決着でしたが、観客には凄いものを観たという満足感があり、それに異を唱えることはありませんでした。スーパーヘビー級の外人レスラー対決というと、昭和56年(1981年)の田園コロシアムでのアンドレ・ザ・ジャイアント対ハンセンの試合を思い出しますが、この日のベイダー対ハンセンはそれに匹敵する名勝負だったと思います。 #週刊プロレス #ベースボール・マガジン社 #プロレス #雑誌
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ベースボール・マガジン社 ザ・プロレス本 No.3 不在証明 ―あるいは猪木へのレクイエム
1994年12月30日 第1版第1刷発行 発行所 株式会社ベースボール・マガジン社 平成6年(1994年)にベースボール・マガジン社より刊行された「ザ・プロレス本 No.3 不在証明 ―あるいは猪木へのレクイエム」です。 かつて新大阪新聞社が発行していたプロレス専門タブロイド紙「週刊ファイト」の編集長を長年務め、「感覚のプロレス」「プロレスは底が丸見えの底無し沼」などの名文句を駆使した独特のプロレス論・記事で、既存のプロレスマスコミでは満足出来なかった“プロレス者”たちを魅了した“I編集長”こと井上義啓氏。そんな氏が、愛弟子ともいうべき「週刊プロレス」編集長、ターザン山本氏の求めに応じて執筆した猪木本です。 “井上プロレス”と自称する氏のプロレス論・記事はともすれば難解な私小説のようでもあり、読む者を選ぶものでしたが、この本は「読んでいて頭が痛くなる難しい表現、論調は避けた。最近、プロレスを難しくしてしまう風潮が強まっているからである。やさしい言葉でプロレス哲学を語る」とプロローグに書かれているように“井上プロレス”としては比較的とっつき易い本となっています(それでも新日創成期の一連の猪木ーゴッチ戦や、猪木と“東海の殺人拳”水谷征夫が設立した寛水流空手についてなど、ある程度の予備知識は必要ですが)。村松友視氏のプロレスに関する一連の著作や、ターザン山本氏時代の「週刊プロレス」にも影響を与えた“活字プロレスの創始者”井上義啓氏の入門書として相応しい一冊だと思います。 #アントニオ猪木 #プロレス #プロレス本 #井上義啓 #ベースボール・マガジン社
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ベースボール・マガジン社 プロレス(昭和58年)六月号増刊 偉大なる男のロマン IWGP総集号
昭和五十八年六月三十日発行 発行所 ベースボール・マガジン社 昭和58年(1983年)にベースボール・マガジン社より発行された「プロレス(昭和58年)六月号増刊 偉大なる男のロマン IWGP総集号」です。 この年の5月から6月にかけて行われた新日本プロレスのIWGP(International Wrestling Grand Prix)決勝リーグ戦を特集した月刊誌「プロレス」の増刊号です。 乱立するチャンピオンベルトを統一し、真のプロレス世界一を決めるという趣旨でアントニオ猪木が提唱したIWGP。構想がスタートしてから約2年半、その間に猪木は代名詞ともなっていたNWFのベルトを返上し、新日はIWGP参戦を名目に全日からアブドーラ・ザ・ブッチャーを引き抜き、また、その副産物として逆にタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンが全日に引き抜かれるという仁義なき引き抜き戦争があったりして、まさに紆余曲折があって開催されたイベントでしたね。 決勝リーグ戦を勝ち上がり、優勝決定戦に挑んだのは猪木とハルク・ホーガン。相手が成長著しいホーガンとはいえ、誰もが猪木の悲願の優勝を信じて疑わなかった優勝決定戦ですが...、結果はもうあまりにも有名な猪木の失神KO負け。この結末は普段プロレスを扱わないニュース番組や一般紙などでも報道され、大きなニュースとなりましたね。まぁ、この猪木失神KO負けに関してはのちに“真相”が伝えられるようになるのですが、たとえあれが猪木の“自作自演”であったとしても、個人的には世間相手に大博打を打った猪木の感性はやっぱり狂っていて、面白いと思うのです。(ただ、これで味を占めてしまったのか、以降の猪木プロレスがファンの求めるものと大きくかけ離れた“アングル”を連発するようになってしまったのは頂けませんでした...) #プロレス #IWGP #雑誌 #ベースボール・マガジン社
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ベースボール・マガジン社 プロレス(昭和54年)9月号緊急増刊 8・26夢のオールスター戦
昭和五十四年九月三十日 発行 発行所 株式会社ベースボール・マガジン社 昭和54年(1979年)にベースボール・マガジン社より発行された「プロレス(昭和54年)9月号緊急増刊 8・26夢のオールスター戦」です。 この年の8月26日、東京・日本武道館で国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体が参加して開催されたプロレスのビッグイベント、「東京スポーツ新聞社創立20周年記念 プロレス夢のオールスター戦」を特集した月刊誌「プロレス」の増刊号です。 8年ぶりのコンビ復活が実現したジャイアント馬場とアントニオ猪木の“BI砲”とファン投票で選ばれたアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンの“最凶コンビ”が激突したメインを始め、ラッシャー木村とストロング小林の新旧国際エース対決、ジャンボ鶴田と藤波辰巳(現:辰爾)にミル・マスカラスを加えた“夢のトリオ”と高千穂明久、マサ斎藤、タイガー戸口の“実力派トリオ”が激突した6人タッグマッチ等々、当時のプロレス3団体のレスラーが一堂に会した、まさに伝説のビッグイベントですね。 鶴田、藤波、マスカラスのトリプルドロップキック。ブッチャーに炸裂した猪木の延髄斬りに、シンを吹っ飛ばした馬場の16文キック。そして、極めつけの馬場と猪木のダブルアームブリーカー...、“ハッテンニイロク”の名シーンの数々が収められていて、会場で観戦出来なかった私は、それこそ喰い入るように読んだものです。 #プロレス #夢のオールスター戦 #雑誌 #ベースボール・マガジン社
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ベースボール・マガジン社 週刊プロレス(昭和58年)12月10日号増刊 アントニオ猪木 逆境で培われた永遠の闘魂
昭和58年12月10日 発行所 ベースボール・マガジン社 昭和58年(1983年)にベースボール・マガジン社より発行された「週刊プロレス(昭和58年)12月10日号増刊 アントニオ猪木 逆境で培われた永遠の闘魂」です。 この年、月刊から週刊となった「週刊プロレス」が“燃える闘魂”アントニオ猪木を特集した増刊号です。絵になるプロレスラー、アントニオ猪木が“映える”B4判サイズの大型グラフ誌で、ドリー・ファンク・ジュニアにジャーマンを仕掛けているショットや、ハンセンに逆ラリアートを決めているショットが大判サイズで掲載されているのが堪りません。不惑を迎えた猪木がその半生を当時、「ワールドプロレスリング」実況アナウンサーだった古舘伊知郎氏と振り返った対談も読み応えがありました。 #プロレス #週刊プロレス #アントニオ猪木 #雑誌 #ベースボール・マガジン社
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ベースボール・マガジン社 男はみんなプロレスラー
1982年10月20日 第1版第1刷発行 1982年10月30日 第1版第2刷発行 発行所 株式会社 ベースボール・マガジン社 昭和57年(1982年)にベースボール・マガジン社より刊行された「男はみんなプロレスラー」です。 '80年代初頭のプロレスブームの最中に「私、プロレスの味方です」を始めとする“プロレス3部作”である意味、アントニオ猪木や初代タイガーマスクと並ぶブームの顔となっていた村松友視氏が、ベースボール・マガジン社で発行していたプロレス専門雑誌で発表したエッセイなどを一冊にまとめた本です。月刊誌「DELUXE プロレス」で連載された「プロレス万華鏡」、月刊誌「プロレス」で連載されたアントニオ猪木との対談コーナー「村松友視VSアントニオ猪木 時間無制限テーブル・マッチ」、“プロレスの味方”村松氏がプロレスファンの悩みや疑問に答える「プロレス・ガードブック」が収録されています。 エッセイ「プロレス万華鏡」は“プロレス3部作”の延長線上にあるような内容ですが、今となっては、当時世間を大いに騒がせた日本ボクシング界の一大スキャンダル“毒入りオレンジ事件”や、昭和58年(1983年)夏の“新日本プロレスクーデター事件”の原因ともなった“アントン・ハイセル”などについて村松氏と猪木が語っている「村松友視VSアントニオ猪木 時間無制限テーブル・マッチ」が実に興味深いところです。 #プロレス #プロレス本 #村松友視 #ベースボール・マガジン社
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ベースボール・マガジン社 週刊プロレス No.1 (昭和58年)8月9日号
昭和58年8月9日 発行所 ベースボール・マガジン社 昭和58年(1983年)にベースボール・マガジン社より発行された「週刊プロレス No.1 昭和58年8月9日号」です。 プロレス専門誌としては一番の老舗だった月刊誌「プロレス」の週刊化第1号です。当時、プロレス専門の週刊誌としてはすでに新大阪新聞社発行の「週刊ファイト」が存在していましたが、形態がいわゆるタブロイド紙だったので、純粋なプロレス専門週刊誌としてはこの「週刊プロレス」が最初となります。 記念すべき週刊化第1号の表紙は初代タイガーマスク。そして「タイガーマスクが消える・・・?新生マスクマン出現の噂を追う」とのセンセーショナルな見出しが。この年、漫画『タイガーマスク』原作者・梶原一騎氏が暴行容疑で逮捕されるという事件があり、その影響により改名問題がくすぶっている、という記事だったのですが、その後まもなく突然の引退宣言により、初代タイガーマスクが本当に“消える”とは、この号が発行された時点では露ほども思いませんでした。 巻頭カラーページは全日本プロレス7.19大阪府立体育会館大会でのテリー・ファンク対タイガー・ジェット・シンのシングルマッチ。他に第1回IWGP決勝戦で衝撃的な敗北を喫し、サマー・ファイト・シリーズを欠場していたアントニオ猪木の自宅公開や、シリーズ最終戦8.4蔵前国技館大会で行われる長州力対藤波辰巳戦に関する記事などが掲載されています。 #週刊プロレス #ベースボール・マガジン社 #プロレス #雑誌
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