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しっとり風の盆祭り
富山県八尾(やつお)。 越中八尾・風の盆と呼ばれるこの祭りは、9月に入ってすぐの3日間開催されます。 どんなお祭りか…動画を見てもらうのが早いかもしれません😊 盆踊りといえばそんな感じなのですが、それぞれの町内から若い男女が参加。しかも、踊りに加われるのは20代までと制限付きであります。 三味線や胡弓の音色に合わせ、情緒ある踊りと唄は…日本の原風景のよう。 呼吸するような優しいリズムと、編み笠姿の男女が幽玄の世界にいざないます。 で、我々のような世代は?? 踊りの輪にこそ入れませんが😅、地方(じかた)と呼ばれる音曲・お囃子組に回り、若い世代を応援♪するわけです。 昔、どの地域の祭りもそうかもしれませんが、そこは若い男女が知り合う場…でもあったとか。風の盆にもそんな名残りを感じますねぇ😊 ワンパクだった少年も、お転婆だった少女も…年頃になり、この祭りで出会ってみればあらビックリ?独特な気分になるのでは。 で、親や祖父母は陰から応援なのですw ***** 八尾はこじんまりした町。 養蚕で栄え、昔ながらの風景も残ります。普段静かな町は、この祭りの時期には一変します。 なんでも富山一の人出であふれるという風の盆には、今や全国から観光客がやって来るそう。 私が行ったときはお祭りの少し前。 ですが前夜祭として、ホールで踊りの演舞が見られました。またそれもすごい人。 踊りの振りつけには男女の別もあり… 男踊りは農作業の様子を、女踊りはホタルを掴まえるしぐさなど表現。古き日本の暮らしぶりが、舞いに取り入れられ。 ・・・ってことを壇上から教わるのですが、すでに忘れとる😂これからは認知機能の向上に?よろしいかもしれない踊りの動作。 それ置いといても、日本ならではの秘めた美しさ漂う…風の盆です。 https://www.youtube.com/watch?v=RX4FjpNajwM
パンフレット 富山、八尾 2019年fanta
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堺のディープな妙国寺
堺には2019年に行ってみました。 大阪から近いところに、いにしえの歴史スポットが?! ということでLet's Go~笑)🥳 今回のディープスポットは妙国寺、、 であります。 生麦事件は聞いたことあっても、 堺事件・・・とは聞いたことあるでしょうか? 私は全く知らなかったんです。 が・・・!😳 強烈なエピソードが浮かぶ、幕末の事件簿… じゃないですが、 なぜかそのシーンは聞き覚えあって、その現場となったのが堺の妙国寺だと知る。 そのエピソードとは、、、 外国人がサムライのハラキリをモロ見することとなり、その場にいた者たちが卒倒した・・・というお話😱 ***** 事件のあらましは次のようなもの。。。 1868年2月、 堺の警護に当たっていた土佐藩のサムライたち。 そこへフランス水兵がドヤドヤと上陸し、町の風紀を乱すなど…問題が起きた。 土佐藩士はこれを見かねて、水兵らに発砲! 11名を死なせてしまった。 異国人をこんなに殺害するとは、、 外交問題になりかねない…と判断した土佐藩+誕生したての新政府側。 撃った藩士たちの中から、 なんとくじ引きで20名を選び、ココ妙国寺にて11名が切腹した。 ***** ところで堺という町… ココは戦国時代から、商人が自由貿易し治めてた場所でした。 信長・秀吉・家康とも縁深く。 千利休をはじめ茶人たちのネットワーク、 南蛮や東南アジアと交易する商人などが、日本にさまざまな文化や武器をもたらした前線基地…みたいなところ。 歴史ある寺もあり、妙国寺もそんな一つ。 どんなエピソードがあるかといえば。。。 まず織田信長。 この寺にある見事なソテツが欲しい~~ と駄々をこね、無理やり引っこ抜いて安土城へ持ち帰る、、ってことをやってます😬🌴 続いて徳川家康。 本能寺の変が起こったとき🔥ちょうど泊まっていたのがこのお寺。 さぁここからどう逃げる?!😱というエピソード残る地だったり。 ・ ・ ・ 堺では、いろんな観光スポットにガイドさんおり、この妙国寺でもいろいろお話くださいました。 それで知ったさまざまなエピソード。 お寺には資料展示なブースがありまして、 信長・秀吉・家康伝来の品々が展示。 それもガラスケースにゴソッと収集、、 という状態がもったいなく。 もっと…しかるべきスペースで眺めたほうが良いのでは?と思わす貴重な展示だったかと😌 そうしたなかに堺事件の展示あり。 いきなり目に飛び込む黒髪の束、束・・・!?👀 切腹者が、 髷を落とした遺髪がココに残されています。 他にも白木の三方、、 生々しく血痕の残された状態のあり。 生き残った隊士が描かせた肖像の掛け軸など。 寺の一角で行われた切腹の場。 その跡地が残されています。 20名の土佐藩士のうち、切腹したのは11名。 12人目が着座して間もなく、 フランス側から中止を申し入れられ、あとの9名は命拾いした…というわけです。 ・ ・ ・ 戻ってから、この堺事件のことがどーにも気になり、、 図書館で資料を集めーの、 戦前の書物を中古で見つけたりと。のめり込みをしちゃったわけですが。 150年ほど前の、 彼らの念を想像させるかのような境内。 妙国寺のすぐ前には、 11名の墓が並ぶ別寺があります。 当時は堺の町民がこぞってお参りし、 涙を流さぬ者はなかった… と伝わるそんな日々から~~ずいぶん月日が経ったと感慨😌 どーして頭を離れなかったのか、、 それはあの黒髪の束、三方に残る血、短刀など生々しさが、 なんだか時を超え迫ってきたからでしょか。 確かにそこには彼らがいて、 こうして命を落とし、その遺品が一人一人を浮かび上がらせるかのように、 思えてしまってなりませんでした😥 ところで妙国寺、 ここは見事なソテツで知られてるそうで。 撮影は禁止でしたが、 信長のエピソード残るソテツ群が、それを思わせてくれます😊
パンフレット 堺、妙国寺 2019年fanta