堺のディープな妙国寺
堺には2019年に行ってみました。
大阪から近いところに、いにしえの歴史スポットが?!
ということでLet's Go~笑)🥳
今回のディープスポットは妙国寺、、
であります。
生麦事件は聞いたことあっても、
堺事件・・・とは聞いたことあるでしょうか?
私は全く知らなかったんです。
が・・・!😳
強烈なエピソードが浮かぶ、幕末の事件簿…
じゃないですが、
なぜかそのシーンは聞き覚えあって、その現場となったのが堺の妙国寺だと知る。
そのエピソードとは、、、
外国人がサムライのハラキリをモロ見することとなり、その場にいた者たちが卒倒した・・・というお話😱
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事件のあらましは次のようなもの。。。
1868年2月、
堺の警護に当たっていた土佐藩のサムライたち。
そこへフランス水兵がドヤドヤと上陸し、町の風紀を乱すなど…問題が起きた。
土佐藩士はこれを見かねて、水兵らに発砲!
11名を死なせてしまった。
異国人をこんなに殺害するとは、、
外交問題になりかねない…と判断した土佐藩+誕生したての新政府側。
撃った藩士たちの中から、
なんとくじ引きで20名を選び、ココ妙国寺にて11名が切腹した。
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ところで堺という町…
ココは戦国時代から、商人が自由貿易し治めてた場所でした。
信長・秀吉・家康とも縁深く。
千利休をはじめ茶人たちのネットワーク、
南蛮や東南アジアと交易する商人などが、日本にさまざまな文化や武器をもたらした前線基地…みたいなところ。
歴史ある寺もあり、妙国寺もそんな一つ。
どんなエピソードがあるかといえば。。。
まず織田信長。
この寺にある見事なソテツが欲しい~~
と駄々をこね、無理やり引っこ抜いて安土城へ持ち帰る、、ってことをやってます😬🌴
続いて徳川家康。
本能寺の変が起こったとき🔥ちょうど泊まっていたのがこのお寺。
さぁここからどう逃げる?!😱というエピソード残る地だったり。
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堺では、いろんな観光スポットにガイドさんおり、この妙国寺でもいろいろお話くださいました。
それで知ったさまざまなエピソード。
お寺には資料展示なブースがありまして、
信長・秀吉・家康伝来の品々が展示。
それもガラスケースにゴソッと収集、、
という状態がもったいなく。
もっと…しかるべきスペースで眺めたほうが良いのでは?と思わす貴重な展示だったかと😌
そうしたなかに堺事件の展示あり。
いきなり目に飛び込む黒髪の束、束・・・!?👀
切腹者が、
髷を落とした遺髪がココに残されています。
他にも白木の三方、、
生々しく血痕の残された状態のあり。
生き残った隊士が描かせた肖像の掛け軸など。
寺の一角で行われた切腹の場。
その跡地が残されています。
20名の土佐藩士のうち、切腹したのは11名。
12人目が着座して間もなく、
フランス側から中止を申し入れられ、あとの9名は命拾いした…というわけです。
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戻ってから、この堺事件のことがどーにも気になり、、
図書館で資料を集めーの、
戦前の書物を中古で見つけたりと。のめり込みをしちゃったわけですが。
150年ほど前の、
彼らの念を想像させるかのような境内。
妙国寺のすぐ前には、
11名の墓が並ぶ別寺があります。
当時は堺の町民がこぞってお参りし、
涙を流さぬ者はなかった…
と伝わるそんな日々から~~ずいぶん月日が経ったと感慨😌
どーして頭を離れなかったのか、、
それはあの黒髪の束、三方に残る血、短刀など生々しさが、
なんだか時を超え迫ってきたからでしょか。
確かにそこには彼らがいて、
こうして命を落とし、その遺品が一人一人を浮かび上がらせるかのように、
思えてしまってなりませんでした😥
ところで妙国寺、
ここは見事なソテツで知られてるそうで。
撮影は禁止でしたが、
信長のエピソード残るソテツ群が、それを思わせてくれます😊
パンフレット
堺、妙国寺
2019年
fanta