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コロムビア番号順総目録 洋楽 1975年度版
コロムビア番号順総目録 洋楽 1975年度版です。 発行日:1974年11月1日 発行所:日本コロムビア(株) 洋楽のみで、ページ数は400です。 CBSとERATOが抜けた後のコロムビアは、 かつてとは別の会社と思えるほど様変わりしています。 画像3 目次ページ(ポピュラー)です。 シングルでは ¥600 の YK シリーズ、 LPでは ¥2,500 の YX シリーズが登場する頃です。 既にPCM録音も発売されていました。 厳密に言うと、量子化ビット数の違いなどもありましたが、 基本はデジタル録音そのものです。 画像4 末尾記号凡例ページです。 日本コロムビアとは言うものの、米コロムビアとも英コロムビアとも 関係が切れていますので、契約レーベル数は多いですが、 いささか小粒であるのは否めません。 外国レーベルの一本買い(AX)などというのもあります。 この中には、ポール・モーリアの初期音源なども 含まれていました。 画像5 リスト・ページ1 ポピュラー・シングル盤。 画像6 リスト・ページ2 ポピュラーLP盤 画像7 リスト・ページ3 クラシックLP盤 #アナログレコード #レコード資料 #レコード総目録 #日本コロムビア
音楽(レコード) 日本コロムビア 日本chirolin_band
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コロムビアの洋楽 1968年版
コロムビア洋楽・番号順総目録 1968年度版です。 発行日は1967年12月1日で、発行所は日本コロムビア(株)です。 画像3 リスト・ページ(シングル) シングル盤・LLシリーズのページです。 この時代は、レコード番号の後に「F」「L」「C」等の記号が 付いています。「末尾記号」ということで、契約元のレーベルを 表しています。(C=CBSなど) 画像4はその一覧表です。 国会図書館での所蔵品をオンライン検索する場合、 この記号がないとヒットしないようです。 その場合、末尾にワイルド・カード(*)を指定することで検索できます。 画像5 発売日表記(コロムビアの場合) 画像中程にニュー・クリスティ・ミンストレルスのLP(YS-599)が 掲載されており、発売は(41-4)と記されています。(1966-04) 同じ商品を月報で調べると、1966年5月号に載っていて、 1966年4月10日発売と明記されています。(画像6) ということは、総目録の(41-4)は新譜月(4月新譜)ではなく、 発売月(4月発売)を表しているようです。 東芝は新譜月表記でしたから、意味合いが違っているわけです。 この辺り、資料を読む上で注意しなければなりません。 ちなみに、この(YS-599)の現物も調べてみましたが、 そこでも(66・4)と表記されています。(画像7) これも総目録と同じ発売月となっています。 画像8 新譜の追加(貼り込み) 目録使用中に発売される新譜シールです。 メーカーから随時送られており、店舗で貼り込みしていました。 YS-991 と YS-993 のシールに、 手書きで「発売中止」と書き込まれています。 一旦発売予定が告知されたものの、何らかの事情で中止案内が出され、 店舗側で書き込んだものと思います。 ちなみにこの2枚のレコード、Record Monthly 1969.05月号では普通に 掲載されており、月報には掲載されていません。 #アナログレコード #レコード資料 #レコード総目録 #日本コロムビア
音楽(レコード) 日本コロムビア 日本chirolin_band
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月報 コロムビア 1970年代
コロムビア月報1970年代です。 森山加代子さんがデノン・レーベルに移籍し、「白い蝶のサンバ」が久々のヒットとなりました。(70年2月号) 70年3月号には、クラシックの邦人演奏家のアルバムが2枚紹介されています。宮沢明子さんは、コロムビアでハイドンのピアノ・ソナタ全集を完成させ、トリオ・レコードに移籍した後にモーツァルトのソナタ全集を録音するなどレコード枚数も多く、御存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。一方ギタリストの渡辺範彦に関してはどうでしょう? 多分知っている方の方が少ないでしょう。パリ国際コンクールで第1位となり、天才ギタリストと呼ばれた方です。その後もご活躍されたのですが、誰もが知るような大家にならなかったのは、ご本人の演奏に対する厳しい姿勢(厳し過ぎるが故に、演奏会直前の「辞退」、所謂ドタキャンなども……)、本当に納得できる演奏が出来る作品のみ(レパートリーが限定的)といったことも影響していたように思います。が、今でも慕っているファンは少なくありません。 フルトヴェングラーの録音は、今でこそ出し尽くされた感すらありますが、60年代は全く事情が異なっていました。コロムビアが英ユニコーンと契約し、70年から大戦中の演奏会録音を発売し始め時は、大きな話題になりました。もともとドイツで録音されていたテープ(ドイツは磁気録音が早くから実用化されていました)ですが、敗戦時にソビエトに押収され、ソ連国内でのみ売られていました。それが晴れて西側に登場したわけです。 71年には、世界初のデジタル録音盤が登場します。71年1月25日に「サムシング/スティーヴ・マーカス」、71年4月25日臨発で「打/ツトム・ヤマシタの世界」が発売されます。月報では「PCMレコーディング」と書かれてはいますが、特別な説明や宣伝もしていないようです。この時点では量子化ビット数も今より低く、現在のCDと全く同じフォーマットではありませんが、デジタルであることに変わりはなく、これは特筆すべき出来事です。 71年6月号には、解散したスパイダースを離れた堺正章さんのソロ初作品「さらば恋人」が紹介されています。 美空ひばりは既に大御所、芸能生25周年を記念して2枚組アルバムの15巻セット(全30枚)という膨大な全集が1年以上かけて発売されました。 71年9月号では、キングから移籍したビリー・バンバンの「みにくいアヒルの子」が掲載されています。この次の作品が「さよならをするために」でした。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 日本コロムビア 2000年〜2020年chirolin_band
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LP初期のジャケット その6 ブルーノ・ワルターのモーツァルト 2
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるモーツァルトをもう一枚。 こちらは交響曲第39番と第41番の組合せです。 国内初出盤の WL-5226 で、発売は1957年5月10日です。(資料によって15日となっているものもあります) この頃になると、日本語解説が裏ジャケットに印刷されるようになっており、別冊解説書はなくなりました。 これも帯が残っていましたが、メインは評論家の推薦コメントとなっています。 #アナログレコード #ブルーノ・ワルター
ブルーノ・ワルター 日本コロムビア ¥2,300chirolin_band
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LP初期のジャケット その5 ブルーノ・ワルターのモーツァルト
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるモーツァルトの交響曲第40番と第35番です。 国内初出盤の WL-5104 で、発売は1954年7月1日です。 この時代のコロムビアの規格は WL シリーズが米コロムビア原盤、XL シリーズが英コロムビア原盤を現しており、レーベルも本国と同じデザインが使われていました。 裏ジャケットは英語ですが、ブルーノ・ワルター自身によるメッセージが添えられています。両曲の録音年月日が明記されているのも珍しいのでしないでしょうか。 別冊の解説書にはワルターのメッセージの日本語訳と、別途楽曲解説が書かれており、丁寧な作りになっています。正にLPレコードが高級品だったことが判ります。 (初出時の定価は ¥2,700 でした) #アナログレコード #ブルーノ・ワルター
ブルーノ・ワルター 日本コロムビア ¥2,700chirolin_band
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LP初期のジャケット その4 デニス・ブレインのモーツァルト
デニス・ブレインの吹いたモーツァルト/ホルン協奏曲集です。バックはカラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団です。 国内初出盤は日本コロムビア XL-5073 で、1955年7月新譜です。裏ジャケットの解説は英語で、別冊の解説書が挿入されています。 5枚目の画像が同内容のアメリカ・エンジェル盤ですが、背景が違っているだけで同じデザインですね。 素材はケルビーノ・アルベルティの版画だと思います。 最後は本国のイギリス盤で、これは全く違ったものになっています。 カッティングは全てイギリスで行われていたようです。 #アナログレコード #デニス・ブレイン
デニス・ブレイン 日本コロムビア ¥2,300chirolin_band
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月報 コロムビア 1967〜1969年
1969年5月が2冊ありますが、従来型の5月新譜版(4月発売)と5月発売版ということです。 国内ではグループ・サウンズ(GS)が大流行していた時代ですが、コロムビアのトップ・スターはジャッキー吉川とブルー・コメッツでしょう。キャリアの長いバンドで、ミュージシャンとしての保有能力が高かったと思います(譜面が読める、きちんと器楽演奏が出来る、作曲・編曲が出来る等)。当時私がよく行っていたレコード店に、三原綱木さんのご兄弟がいらっしゃって、「似てる」と話題になっていたものです。(画像は1967年9月号の広告) この頃45回転盤LPが各社から発売され、話題になっていました。収録時間は短くても良い音で聞きたい、というオーディオ志向の強い商品でした。コロムビアからも「サウンド・ラボラトリー・シリーズ」が発売されました。(1968年3月号) 1968年6月号では、バーンスタインによるマーラー交響曲全集の発売が告知されています。こういったセット企画が出て来る理由のひとつに、日本コロムビアと米CBSとの契約切れ問題があったと思います。 背景にあるのが「資本の自由化」です。レコード会社も外資比率が50%まで認められることとなり、米CBSはこれを機に合弁会社を作りたがっていたのですが、日本コロムビアは(と言うか、日本のレコード会社はどこも)腰が重かったと言います。その時手を上げたのがソニーだったというわけで、CBS・ソニーレコード(株)が誕生することになります。 映画「卒業」のサントラLP(サイモンとガーファンクル)は1968年6月30日臨発となっていますが、これがコロムビアから発売されたCBS盤の最後になります。 因みにCBS・ソニーの設立は68年3月11日、第1回新譜は68年8月21日発売でした。 1968年11月号ではブッダ・レーベルのLP第一弾(1910フルーツガム・カンパニー)が紹介されています。このブッダからはオハイオ・エクスプレス,レモン・パイパーズ,インプレッションズ,メラニー等が登場し、CBSを失った直後の日本コロムビアの洋楽ポップス部門にとって、重要なレーベルだったと思います。 タクト・ジャズ・シリーズも貴重なものでした。録音機会に恵まれない国内のジャズ・ミュージシャンが懸命にプレイしたのだろうと思います。(68年12月号) デノン・レーベルからデビューしたベッツイ&クリス、このデビュー曲もそうですが(1969年10月1日発売)、北山修/加藤和彦のコンビによる優れた楽曲にサポートされていました。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 コロムビア 1964〜1966年
ポップス系では1964年前半に、シリーズが LL-1 番代(シングル),YS-100 番代と PS-1000 番代(LP)にまとめられます。様々なレーベルが混在するので、番号の後ろに「末尾記号」が付加されました(CBS なら 「C」,EPIC なら「E」など)。 ブルーノ・ワルターの遺産シリーズが登場しますが、個人的にはこの時代の CBSコロムビア盤(360 SOUND)が、最も良い音がすると感じています(好みはあると思いますが) 1964年6月号よりスプラフォン(新世界レコードから移行)とオーディオ・フィデリティ・レーベルが登場します。 都はるみさんのデビュー盤「困るのことヨ」は1964年5月20日発売です。 1965年7月号では、大物2人がデビューしています。この時代の市川染五郎さんは、今の松たか子さんのお父さんですね。松山まさるさんが大物になるのは、グラモフォン(ポリドール)で一条英一と改名し、更にミノルフォンに移って三谷謙を経て五木ひろしに改名してからになります。 ミュージカルの傑作「メリー・ポピンズ」は1965年7月号と8月号の両方に掲載されています(ジャケットが変更されたため)。 私がキンクスに目覚めたのは「サニー・アフタヌーン」(1965年9月20日臨発)からでした。レイ・デイヴィスがロンドン五輪の閉会式で名曲「ウォータールー・センセット」を披露してくれたのは嬉しかったですね。 この時代のボブ・ディランについては、ピーター,ポール&マリー等の「風に吹かれて」とか「ドント・シンク・トワイス」の原作者といった程度の認識しか持っていませんでした。確か「フォーク・ソング・デラックス」というオムニバス盤でその「風に吹かれて」や「ミスター・タンブリン・マン」を聴いたのが初体験だった思います。私の周辺にも、熱心にボブ・ディランはを聴いている人はいませんでしたが、世の中には一定数いたものと思います。多分そういった人たちが、後のURCやエレック・レコードのアーティストやファンにつながっているような気がします。私が一生懸命聴くようになったのは、CBS-SONY に移ってオリジナル・アルバムが続々と発売されるようになってからでした。(借りて聴いていたのが多かったですが) 一方、「サウンド・オブ・サイレンス」(サイモンとガーファンクル)については最初から注目していましたし、何故大ヒットしないのか不思議に思ってました。1966年1月20臨発として登場したのですが、ブレイクしたのは映画「卒業」のサントラ盤として再発売された時(1968年)でした。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本コロムビア 1960〜1963年
1960年に入ると、ヴァーヴ・レコードが登場します(第1回発売は1960年9月20日)。ノーマン・グランツによるジャズに特色あるレーベルです。 この時代、コロムビアは特別企画の組物で、品番のないレコードを少なからず発売しています。画像にあるベートーヴェン交響曲全集(ワルター指揮)もそのひとつなのですが、現代の感覚だと、アイテムを特定する品番なしでは管理が出来ないと思いますが、一般企業ではコンピュータのない時代なんですね。 ステレオ盤が普及していった時期ということで、各社(各レーベル)がそれぞれ自慢の録音方式を誇示していましたが、中でもCBS系の「360 SOUND」は良く知られていました。そのCBS系(米コロムピア)ですが、レーベル表記が従来の「Columbia」から「CBS」に変わったのが1962年9月からです。 1962年6月1日より、ユナイテッド・アーチスト・レコードが登場します。これは、ビクターからの引越です。更に1962年12月よりタイム・レコード、1963年7月よりアマデオ原盤が登場します。こういう新規登場の場合はそれなりに告知や宣伝もされるのですが、消えて行く場合はひっそりと幕を下ろします。英コロムビア原盤が1962年12月発売分をもって、日本コロムビアの月報から姿を消しています(東芝音工に移行)。この頃の英コロムビア原盤は、月報やジャケットにも「EMI」と表記されていました。 取扱レーベルが増えるにつれて、色々と変化も起こります。1962年11月号からは、従来のレーベル別編集(エピックのページ,ヴァーヴのページ等)が廃止され、大きなジャンルの括りの中で各レーベルが混在するようになります。品番体系も、従来のレーベル毎の勝手なルールを改め、洋楽シングル盤で言うと以下のような感じになります。 LL-1 CBS LL-1000 ユナイテッド・アーティスト LL-2000 MGM LL-3000 コロムビア・インターナショナル LL-4000 ディズニーランド LL-5000 MGM LL-6000 エピック LL-7000 パイ LL-8000 ヴァーヴ LL-9000 タイム 但し、この体系もそう長くは続きませんでした。(続きは1964年以降の項で) 邦楽では 1962年6月5日臨発で北島三郎さんのデビュー曲「ブンガチャ節」が発売されています。同じタイミングで畠山みどりさんのデビュー曲「恋は神代の昔から」も発売されています。金井克子さんのデビュー曲「ハップスバーグ・セレナーデ」は同年9月5日臨発です また、1963年9月には日本クラウン(株)が発足し、同年12月1日に第1回新譜を発売しています。クラウンはもともとコロムビアにいた伊藤正憲が中心となって作られた会社で、その設立に際してコロムビア所属の歌手の移動も起こっています(北島三郎さん、小林旭さん等々)。クラウンの第1号レコード(CW-1)は美空ひばりさんの「関東春雨傘」です。もっともひばりさんの場合は移籍ではなく、単発的な「御祝儀」のようなものだったのでしょう。 私は伊藤正憲さんと知己はありませんでしたが、仕事の関係でこの方の葬儀には参列しました。その時に、クラウン・レコードの歌手を代表して北島三郎さんが弔辞を述べられたことを記憶しています。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本コロムビア 1950年代
1950年代の日本コロムビア・レコードの月報です。(やはり表紙が見えた方がいいと思いましたので、抜萃にしています)日本コロムビアは、国内盤のLPを最初に発売したメーカーです(1951.3.25)。価格は ¥2,300 でしたが、50年代の中でも ¥2,300 〜 ¥2,700 〜 ¥2,300 〜 ¥1,900 と推移します。1955年頃の大卒初任給が ¥10,000 位だったようですので、とても高価だったのですね。正式な冊子状のものと折りたたみ型がありました。また、当初は縦書きでしたが、洋楽は1955年,邦楽は1956年に横書きに改められました。45回転盤の登場が 1954.4.5 です。当時の広告を見ていると、電蓄やラジオは当然としても、テレビが多いことに気付きます。会社としてとても力を入れていたことが窺えます。 ステレオ盤が1958年9月から(月報は11月号)です。というわけで、1950年代は完全なSP時代としてスタートし、LPが登場して少しずつ普及していったと思うと、今度はステレオの登場と、大変技術革新の激しい時代だったんですね。 #アナログレコード #レコード資料
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