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月報 日本グラモフォン 1967〜1969年
67年3月号で、タイガースのデビュー曲が紹介されています。が、メンバー紹介がいささか変です。 岸辺修三さんは本名だから良いとしても、瞳かおるさん、加藤かつみさんといえのは…… また、この67年にはクリームやジミ・ヘンドリックスの国内盤も登場しています。画像の枚数の制約からひとつにまとめましたが、クリームは67年6月号,ジミ・ヘンドリックスは67年12月号での掲載です。ただ、ジミ・ヘンですが写真が違ってますね。これはスコット・ウォーカーじゃないですか。 ビー・ジーズの国内デビュー盤は「ラヴ・サムバディ」でしたが(DP-1548 67年10月15日発売)、何と言っても「マサチューセッツ」のヒットが大きかったと思います。画像は68年1月号のものです。大橋巨泉さんがよく言っていた「牛も知ってるカウシルズ」というギャグは、今では知らない人の方が多いのかナ? バニラ・ファッジもよく耳にしたものです。「アート・ロックの騎手」は68年12月号からです。 クラシックでは、マルタ・アルゲリッチの若い頃のレコードが目を惹きます(画像は69年1月号) オイゲン・ヨッフムは、当時既にブルックナーの交響曲全集を完成させていました。単発でも69年4月号の第4番「ロマンティック」で全て国内でも発売されたことになります。今と違ってブルックナーの音楽を愛好する人は少なかった中で、よく発売したなと思います。最もポピュラーで売れそうな「ロマンティック」が最後というのが不思議に思いますが、月報コメントを見ると原盤の都合で遅れていたことが判ります。 69年7月号では、既に解散したクリームの「グッバイ・クリーム」と「レッド・ツェッペリン1が同時に掲載されています。また時代がひとつ変わっていくことの象徴のようなページです。 #アナログレコード #レコード資料
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月報 日本グラモフォン 1964〜1966年
1964年5月号には日野てる子さんのデビュー盤が掲載されていますが、シングルとLPが同時発売となっています。代表曲となった「夏の日の想い出」は1965年2月新譜ですが、発売当初は「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のB面扱いでした。 1964年10月新譜として園まりさんの「何も云わないで」が登場し、この方の歌手としてのイメージが固まっていきます。 クラシックではカラヤンとベームという両巨頭が専属契約となり、レコードが増えて行くことになります。(画像は64年12月号) ポピュラー系では MGM と VERVE が新レーベルとして加わり(どちらもコロムビアからの移行)、輸入盤がサービス価格で提供されました。レコード店で、コロムビア MGM盤シングルが、1枚100円で売られていたことを覚えているのですが、多分この移行後のことだと思います。コニー・フランシスとか、有名な人の盤はなかったので何も買いませんでしたが、「なんで?」と思ったものです。 65年10月号には、カール・ベームによるモーツァルト「魔笛」が登場しています。台詞も含めた全曲盤でした。 スプートニクスの「霧のカレリア」のシングルは65年11月新譜ですので、エレキ・ブームとしては遅い部類の発売でした。アルバム収録曲としてはとっくに発売されていましたので、これをシングル・カットしたグラモフォンの戦略が当たったことになります。 66年10月号ではカマストラ・レーベルが登場し、第1弾としてラヴィン・スプーンフルの「デイドリーム」が紹介されています。正直に言うと、初めて聴いた頃はフワフワしてとりとめないサウンドと感じていました。「サマー・イン・ザ・シティ」はうわっと思いましたが…… しかし数は多くなかったものの、熱心に聴いているファンはいました。 #アナログレコード #レコード資料
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3枚目のポリドール盤ビートルズ
「マイ・ボニー」と「いい娘じゃないか」で、ポリドール盤のビートルズ・シングルは終わりだと思っていました。 そろそろ興味の中心がクラシックに移っていた頃に偶然見つけました。これは新品ではなく中古購入です。両曲ともポリドールのコンパクト盤に入っていることは知っていましたが、シングル盤が出ていたことは知りませんでした。 LP(ザ・ビートルズ・ファースト・アルバム SLPM-1189)は、60年代に店頭で見ていました。「自転車かバスで行ける範囲のレコード屋」にも置いてありました。が、LPはたまにしか買えるものではなく、いくら大本命のビートルズと言えども、そこまで手が回りませんでした。 #アナログレコード #ビートルズ
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2枚目のポリドール盤ビートルズ
1960年代は、買う物を決めてからレコード屋に行っていました。(単なるひやかしは別にして) が、このレコードは偶然店頭で見つけて「これは買っておいた方がいい」と感じ、衝動買いした初めての1枚だと思います。 ともかくそれまで見たことのないレコードだったからです。 店員さんと「¥330となってますが、¥370なんですけどいいですか?」といったやりとりがあったことを覚えています。 この前の「マイボニー(DP-1351)」はそれなりに売れたようで、ミュージック・マンスリー誌1964年6月号の洋楽シングル・チャートの第20位で初チャート・インし、翌7月号では第12位まで上昇しています。(最高位は第8位) こういった動きもあってこの「いい娘じゃないか(DP-1369)」も発売されたのかもしれませんが、残念ながらチャート・インはしていません。 #アナログレコード #ビートルズ
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はじめてのポリドール盤ビートルズ
ビートルズにハンブルグでの下積み時代があったことや、トニー・シェリダンのバック・バンドとしてレコーディングを行っていたことは、当時のレコード解説や音楽雑誌などで既に知っていました。が、あくまでも「バックバンド」なので購入のプライオリティは低く、この「マイ・ボニー(DP-1351)」を買ったのは1966年(?)になってからでした。 私が買ったのは「画像1」のジャケットでしたが、中古盤屋に行くようになって「画像2」を見つけた時に「あれっ?」と思いました。「Polydor」のロゴが違っていたからです。ジャケットだけでなく、盤のレーベルも違っているので、画像を載せておきます。古い方は「マイ・ボニー・ツイスト(DP-1254)」の香りが漂ってますね。ただ、この頃はそんなレコードのことは全く知りませんでした。 ただ、解説の「ドイツ後のイントロ」というのは不思議に思っていました。何回聞いてもNHKラジオの「基礎英語」で習った「My Bonnie lies over the ocean」という英語の歌詞にしか聞こえなかったからです。 これもずっと後に知ったことですが、オリジナル「マイ・ボニー・ツイスト(DP-1254)」がイントロだけドイツ語だったので、その名残だったのでしょうね。 で、このロゴの変更タイミングですが、グラモフォンの月報1964年6月号に「今月より変わります」と案内が出ています。この「マイ・ボニー(DP-1351)」もその6月号に載っているのですが、月遅れ掲載で「5月新譜として4月20日発売」と明記されています。つまり旧ロゴの「マイ・ボニー」は、旧ロゴ時代の最終グループだったことになります。 ミュージック・マンスリーの洋楽シングル盤チャート(1964年10月号)の画像を追加しました。 この時の第8位というのが最高位だったようです。 #アナログレコード #レコード・ジャケット #ビートルズ
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月報 日本グラモフォン 1960〜1963年
1960年1月号には、前年来日したソプラノのリタ・シュトライヒ来日記念アルバムが掲載されています。今の私達の心情としては「写真をもっと大きく載せてくれれば良かったのに」などと思ってしまいます。僅かながらテレビ出演の映像も残されています。 1961年6月号には西田佐知子さんの初LP(25cm盤)が紹介されています。 1961年8月号にはムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキーが載っていますが、西欧メジャー・レーベルのステレオ録音で聞くこのオケは、想像以上に合奏能力が高く、又馬力もあることを感じさせました。 デビュー前のビートルズがバックを務めた「マイ・ボニー・ツイスト」は1962年5月号に掲載されています。ツイスト・ブームの波に乗って発売したのでしょうが、ヴィッキー・スペンサーとは違って臨発ではなく、普通に5月新譜となっています。当時のグラモフォンの定期新譜発売日は20日ですので、九分九厘1962年4月20日発売です。 1962年のホープとして園まりさんがデビューしましたが、デビュー曲は「鍛冶屋のルンバ」でした。この後も洋楽カバー系が続きますので、この方も歌謡曲・演歌とは違った路線で育てようとしていたのでしょうね。 1962年9月号で「フルトヴェングラーの遺産」が紹介されていますが、この中に戦後復帰した時の「運命(1947年録音)」などライヴ音源が含まれていました。その後、巨匠のライヴ音源は続々と発掘されて行きます。 1963年3月号では、所謂「メ直盤」(メーカー直輸入盤)が掲載されています。第1弾はリヒテルとカラヤンの組合せによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ですが、これが国内でのメ直盤の第1号になります。メーカー・コメントによると「早く皆様のお手元にお届け致したい」ということが動機になっているようです。発売すればベスト・セラーになることは間違いないレコードですから、実際そうだったのだろうと思います。グラモフォンはこの後も直輸入盤に積極的で、数多くのレコードが発売されています。それらの中には、「採算面から国内盤製作は困難」なレコードのリスク・ヘッジという意味合いもあったように思います。 いずれにせよ、この「メ直盤」はメーカーによって対応が異なっていて、グラモフォンのようなメーカーもあれば、コロムビアのように全くやらないところもありました。 #アナログレコード #レコード資料
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