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全日空商事 【1/200】【YS21129】 南西航空 YS−11A "はまゆう" JA8778
南西航空 YS−11A "はまゆう" レジJA8778 沖縄の翼、南西航空の新鋭機としてYS-11Aが導入されたのは昭和43年のことでした。 昭和42年7月から先島航路には40人乗りのCV240型が就航していましたが増え続ける旅客需要に追いつかず60人乗りのYS-11Aが2機導入されることとなりました。 YS-11A型機の導入にあたっては日本輸出入銀行の融資を仰ぎ、南西航空の国籍をめぐる解釈の整理が必要となるなどいくつもの問題がありましたが自社保有機による自主運航の実現は大きな意義をもつものとなりました。 国産旅客機YS-11A型導入計画は島内住民の関心も高くペットネームの募集が琉球新報社と共同で行われ2,025点もの昭和43年から昭和48年までは紺赤のストライプ、尾翼には日の丸のデザインをあしらった旧日航塗装で活躍しました。 応募がありました。選定されたのは沖縄の植物名で「ゆうな」、「あだん」、「ばしょう」の3点が入選と決まり以後導入された南西航空のYS-11A型機にもペットネームが命名され親しまれました。 YS-11A JA8778は増え続ける旅客需要に応えるべく昭和46年に導入された4号機です。 「はまゆう」と命名され昭和47年2月17日には沖縄経済使節団一行を乗せた南西航空初の本土チャーター便として沖縄から熊本にその足跡を残しました。 YS-11Aが就航した時の沖縄は本土復帰前で琉球政府の統治下にあり、残念ながら国産旅客機YS-11Aの主翼に日の丸を描くことは許されませんでした。 南西航空のYS-11Aに晴れて日の丸が描かれるようになったのは初就航から4年余り後、沖縄が本土復帰を果たした後のことです。 昭和47年12月29日発行のCOA(CHANGE ORDER AUTHORIZATION)にはこう記されています。 「沖縄が日本に復帰した為SWAL機にも日の丸及び郵政省マークを塗装する。」 (モデルは南西航空初の本土チャーター便が運航された昭和47年2月当時を再現しています。)
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全日空商事 【1/200】【YS211103】 YS−11A JTA塗装 JA8778
JTA 日本トランスオーシャン航空 JTA塗装 YS−11A レジ JA8778 平成5年、日本トランスオーシャン航空の発足とともにYS-11Aにもホワイトを基調にした新しいデザインが導入された。 印象的な赤い尾翼とノーズまでボディカラーで統一されたJTAカラーはYS-11Aに施された最も斬新なデザインのひとつと言われている。 南西航空の時代から31年間にわたり活躍してきたYS-11AもB737を後継機とする路線のジェット化により活躍の場をせばめ、平成11年7月15日与那国一石垣線を最後に惜しまれつつ退役した。
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