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全日空商事 【1/500】〔NH50048〕 ANA B787-8 "Dreamliner" JA801 A
ANA B787-8 "Dreamliner" レジJA801A BOEING787型ドリームライナーはボーイング社が総力を上げて開発中の次世代民間旅客機である。 平成16年(2004年)4月26日、ANAが 50機確定発注したことを受けてボーイング社がローンチを決定した。 開発モデルはBOEING787-3型、-8型、一9型の3機種があり座席数は200~330席、5,500~16,300kmに及ぶ航続距離により乗客がノンストップで目的の都市へ直行(ポイントトゥポイント)することが出来る中型双発機である。 中型機でありながら大型ジェット並みの航続性能を備えた飛行速度は現在の最速民間旅客機に匹敵するマッハ0.85に達する一方、燃料効率は先進のテクノロジーを用い既存の同クラス航空機と比べ20%向上、貨物搭載スペースも60%増加する。 旅客に対しても、快適な湿度に保たれた機内、幅広の座席・通路、大きな窓などの斬新な機内環境で更なる旅の快適さが提供される。 これらの高性能を実現する為にBOEING787型の開発プロジェクトでは機体の軽量化による省エネルギー運航が最重要課題とされボーイング社は数ヶ月に及ぶ集中的な研究分析の結果、強度を高めエポキシ樹脂と組み合わせたグラファイドを主要複合材料として選定、主翼には軽量化と耐久性に優れたチタンと炭素を安定化させたグラファイドを組み合わせたTiGr複合材料を採用した。 主翼、胴体を含む主要構造の大部分に先進複合材料が採用されるのはジェット旅客機としては初めてである。BOEING787型はオール・コンポジット・エアプレーンとも呼ばれ1機あたりの二次構造材を含めた炭素繊維複合材料は約30トンの使用が見込まれている。 ボーイング社はBOEING787のオールコンポジットの主要構造部分に炭素繊維複合材料であるトレカプリプレグ(トレカは東レ株)商標)を採用した。 トレカプリプレグはBOEING777型機では既に尾部やフロアビームなどの構造部分に使用されているがBOEING787型機ではさらに主翼や胴体などほぼ全ての構造部材が炭素繊維複合材料に代替されることになる。 エンジンはゼネラル・エレクトリック社製GENX、あるいはロールスロイス社製トレント1000のエンジンを使用し2種類のエンジンが同じ標準規格で採用される。 ANAのBOEING787型機導入理由は次のとおり。 1. B767-300型機の後継機種として国内線仕様では300席クラスであること。 2. 同一機種による国内線・国際線運航が可能であり、現行B767-300型機を凌ぐ信頼性・経済性・快適性が確保できること。 3. 羽田空港再拡張に伴う国内線・国際線事業の拡張およびB767-300型機の更新時期への対応が可能なこと。 ANAは平成16年(2004年)10月13日に開催した取締役会にてBOEING787型のエンジンをロールスロイス社のトレント(Trent)1000に決定した。 ANAが導入決定したBOEING787型は-8型及び-3型の2種類で-8型は基本型で3クラス構成時に座席数210~250席、14,800~15,700kmの最大航続距離を誇り、短距離型である一3型は2クラス構成で座席数290~330席、最大航続距離は5,550~6,500km。(いずれもボーイング社発表数値) 同機は2005年1月28日に型式番号が787と決定するまでBOEING7E7の名称で呼ばれていたがEは効率(Efficiency)を追求した次世代中型旅客機を表している。
飛行機模型 全日空商事 B787Railwayfan
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ANA 全日空 北海道スキーツアー ワッペンバッチ
1970年代のANA北海道スキーツアーのワッペンバッチ。 乗客用?
バッチ ANA ANA 全日空Railwayfan
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全日空商事 【1/500】【NHS52004】ANA B737-200 モヒカン&トリトン (JA8401・JA8453)
ANA B737-200 モヒカン レジJA8401 B737-200 トリトン レジJA8453 〜BOLING 737-200 (モヒカン)〜 ANAが昭和43年(1968年)2月導入決定した地方路線用短距離ジェット機BOEING737-200型である。 当時、地方路線には40人乗りのF27型フレンドシップ及び67人乗りバイカウント828型ターボプロップ機が活躍していたが急激に旅客需要が拡大しておりその対応と地方路線の強化を図る必要があった。 さらに将来的展望として第一次空港整備5ヵ年計画など地方基地の整備強化方針が明確化され宮崎、鹿児島、広島などのジェット就航が可能となりつつあり昭和45年の万国博覧会開催による旅客の急増予測、新産業都市の指定(昭和39年から41年)など大きな地方都市間の流動が見込まれていた。 選定にはDC-9、BAC111なども候補にあがったが短距離用ジェットとして経済性が特に優れていた点、搭載能力とバランス性に優れ高度化したエレクトロニクスで安全性への配慮が高いこと、空港の条件がよければ1,500m前後の滑走路長ですむこと、駐機時間の比較的短い地方基地での点検が容易であること、B727と部品の互換性があったことでBOEING737の優位性が認められた。 昭和43年(1968年)4月15日、ボーイング社と4機の購入契約が調印されその価格は1機あたり部品代込み13億9,700万円、総額55億 9,000万円であった。BOEING737の優位性を決定づけたのはJT8D-9エンジン2基を両翼の下に吊り下げたことによりリアエンジン機と比べ体尾部構造の複雑化が解消され重量軽減が図られ輸送能力が増え生産性が高まった点にあったがその結果、目の高さの位置でエンジン点検が出来ることが地方空港における整備性の向上に大きく寄与することとなった。 全長30.48mの短い機体に115人乗りの高い輸送力を持つことでミニミニジャンボの愛称がついたが単位あたり輸送コストはB727の87%におさえられている。 運航乗員は2名。JA8401はBOEING737-200型導入1号機で新塗装のモヒカンルックの装いで昭和44年5月28日に羽田空港に到着。昭和44年(1969年)6月20日東京一大阪、大阪一福岡線の初就航に続き7月1日大阪一宮崎線にも就航し本格的なローカル線のジェット化が始まるとともに大量高速輸送時代が到来した。 〜BOEING 737-200 (トリトン)〜 現在、2名のパイロットで操縦する航空機は世界中で2 Men Conceptという考えで運航されている。 2 Men Conceptは2人乗務における職務分担の考え方である。 コックピットでの職務分担は機長と副操縦士とは別に操縦するパイロットPF (Pilot Flying)とモニターするパイロットPNF (Pilot Not Flying)である。B737(ビースリー)はANAのパイロットが2人で乗務するようになった初めてのジェット機であった。 2 Men Conceptの考え方はB737の時代にはまだなかった。手を伸ばせばあらかたの計器に届いてしまう狭いコックピットの中では2人で乗務していてもお互いに操作が輻輳してしまう場面もあった。 そこで自分の責任の職務エリアをはっきり決めるArea of Responsibilityを確立させようという動きが出てきたのは1980年代に入ってからだったと元BOEING737指導操縦士の一人は語る。 B737が活躍した昭和44年(1969年)から平成4年(1992年)の23年間はコックピット内のジェット機運航・安全運航に対する考え方が大きく進化していった時期でもあった。 B737はB727(ビーツー)が2名のパイロットとフライトエンジニアの3人で乗務したのに比べFEの役割を2人でこなさなければならない分負荷はかかった。 しかもB737は小さな機体の安定を維持するのが難しくパイロットの持っている技量のうまい・へたがすぐ判ってしまう機体でもあった。その分パイロットたちはB737のコックピットで鍛えられていった。 コンピューターを搭載した2人乗りのBOEING767が導入されても3人乗務に慣れたパイロットより2人乗りのB737パイロットはスムースに移行ができたという。 B737は改良型アドバンスの導入によりグルービングを施した1,500m級滑走路を持つ地方空港への就航が可能になり活躍の場が大きく広がった。 特に昭和51年(1976年)12月1日、山形空港グルービング滑走路完成と同時就航により1,500m空港でのジェット化を初めて実現した功績は大きものがあった。 中海に面した1,500m滑走路に降りていく米子空港(当時)では着陸時のブレーキの効きのよさを実感したと回想する。 一方でB737に乗務したパイロットはエンルート上の高い雲を越えたいときに35,000ftまでしか上がれない最大運用限界高度に苦労させられた思い出もある。 大型機のように41,000ftまで上がれれば必ず安定した雲上に出ることが出来るのに・・・と。 もっともAPUもなくエアコンの効きが悪く暑く寒いコックピットで12,000~13,000ftを飛んでいた厳しいYS-11から移ってきたパイロットにはB737のコックピット環境は別世界だった。 B737には来日した海外のVIP特別機として昭和55年(1980年)4月17日スウェーデンのグスタフ国王夫妻(東京一大阪)、昭和56年(1981年)2月25日ローマ法王(東京一広島一長崎)の運航実績がある。 昭和58年(1983年)以降モヒカンルックの機体は順次トリトンカラーの新塗装に塗り替えられた。 B737のラストフライトは平成4年(1992年)8月31日、山形一東京線NH806便(山形発15:30、羽田着16:30)。羽田空港で行われたラストフライトセレモニーにはB737の退役を惜しんで駆けつけた多くの関係者の姿があった。 B737による総飛行時間は73万2000時間、総飛行距離は4億720万km(地球約1万周に相当)、総旅客数5,070万人であった。(いずれもH.4.7.31現在) ラストフライトを努めたJA8453はBOEING製造番号21767 昭和54年(1979年)6月25日製造、ANAに導入されたスーパー(SUP17)と呼ばれたBOEING737-200Adv.の最終グループの1機である。 勇ましいエンジン音とともに離陸していくBOEING737-200型の姿は日本の空から去って過去のものとなったが今日、最新鋭機BOEING737-800型の導入が始まっている。
飛行機模型 全日空商事 B737Railwayfan
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マリンジャンボJr. ミニ下敷き
マリンジャンボJr.のミニ下敷き。 裏面には徳島〜東京線直行便の宣伝がある。
下敷き ANA B767Railwayfan
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ホーガン (ジャルックス) 【1/500】JAA 日本アジア航空 B747-300 "Yokoso!JAPAN" JA8185
JAA 日本アジア "Yokoso!JAPAN" B747-300 JA8185 2003年に「2010年に訪日外国人を1,000万人」と観光立国を宣言し、国土交通大臣を中心とするビジット・ジャパン・キャンペーンが「YOKOSO! JAPAN」のスローガンとともに開始され、地方の人口減少や経済力低下などにより低迷が続く日本国内の消費を喚起し、新たな消費を生み出す成長戦略の一環として行われた。 キャンペーンの一つとして2005年に日本航空からのリース機だった日本アジア航空のB747-300(JA8185)にて「YOKOSO! JAPAN」のロゴが入れられたと共に日本をモチーフにしたイラストが機体後部に描かれた。 国際線だけではなく国内線にもこの機体が入って運用していた事があった。 その後JA8185は2008年の日本アジア航空解体後に日本航空へ返却され2009年まで活躍した後、カリッタエアに部品取り用として売却され2016年に解体されている。 さて、このモデルであるが以前ヘルパにて同じく日本アジア航空のYokoso!JAPANをモデル化しており、その時は200型(JA8130)だったものの今回は300型でのモデル化となった。 このJAAシリーズのみのためにYokosoを300型でやったという痒いところに手が届くなんともニクい演出である。
飛行機模型 ホーガン(販売はJALUX) B747Railwayfan
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ホーガン (ジャルックス) 【1/500】日本アジア航空 DC-8-53 JA8007
日本アジア航空 DC-8-53 レジJA8007 日本アジア航空が所有していたDC-8-53は元々日本航空が7番目のDC8ととして1962年に受領されたもの。 日本航空時代ではターボファンエンジンを搭載した長距離用の50型で、愛称は「YOSHINO」だった。 1975年に日本アジア航空が設立されるとともに同社に移籍し1981年まで活躍している。 1982年にはサウジアラビア航空に売却され1年ほど活躍。 その後に様々な航空会社を渡り歩き、最後はナショナルエアラインズ(現在は存在しない)にて解体。
飛行機模型 ホーガン(販売はJALUX) DC8Railwayfan
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JAL スキーツアー北海道 89 ワッペンバッチ
JAL スキーツアー北海道 89 ワッペンバッチ 日航ジェットプラン 販促用。
バッチ JAL JAL 日本航空Railwayfan
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ホーガンウィングス JALUX 【1/200】JAL 日本航空 B767-300 旧塗装
B767-300 旧塗装 レジJA8236 JA8236はB767-300の製造1号機で、1986年にJALに導入。その後2009年に引退するまで国内線で活躍した。 モデルは導入時の旧塗装である。 木製台座付き。
飛行機模型 ホーガン(販売はJALUX) B767Railwayfan
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京都まさき つばさキーホルダー 政府専用機 B747 No.20-1102
政府専用機 B747 No.20-1102
キーホルダー 京都まさき B747Railwayfan
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HOT WHEELS 【BOULEVARD】NISSAN SKYLINE RS (KDR30)
NISSAN SKYLINE RS (KDR30)
ミニカー ホットウィール NISSANRailwayfan
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全日空商事 【1/200】【YS21143】航空自衛隊航空総隊司令部飛行隊 電子戦支援隊 YS-11EA No.12ー1163
航空自衛隊航空総隊司令部飛行隊 電子戦支援隊 YS-11EA ナンバー(レジ)No.12ー1163 航空自衛隊におけるYS-11型は昭和40年(1965年)3月受領のP型52-1151から昭和46年(1971年)7月受領のC型12-1163まで計13機が導入された。 昭和46年(1973年)2月受領の飛行点検機FC型12-1160を除いていずれも輸送用途としての増機であったがその後C-1型輸送機の配備等を背景に各種改修を経て用途変更され本来の輸送機として残る機体は少なくなった。 航空自衛隊のYS-11は輸送(P型、C型)、飛行点検(FC型)に加えて航法訓練(NT型)、電子支援(EA型)、電子測定(EB型)の用途に用いられている。 YS-11EAは平成3年(1991年)12月、空海の幕間協議により従来のロールスロイス製DartMK-542エンジン(2,775SHP)を海上自衛隊対潜哨戒機P-2Jの装備していたT-64-10Jエンジンに換装することで誕生した派生型機である。 T-64エンジンは米国GE社が開発したターボプロップエンジンで3,493ESHPの推力を発する。 YS-11EA型は現在2機確認されており12-1163は昭和46年(1971年)7月C型として受領、昭和52年(1977年)1月ECM訓練を目的とするYS-11E型機に改修され平成3年(1991年)12月にエンジン換装を受けてEA型となった。 エンジン換装に伴いプロペラも3枚となっている。ECM装置J/ALQー7を装備し入間基地の航空総隊司令部飛行隊電子戦支援隊に所属、ECM訓練にあたっているとされるが性能、ミッション等公開されていないなぞの多い機体のひとつ。 EA型機の垂直尾翼には航空総隊司令部飛行隊のマークが描かれている。
飛行機模型 全日空商事 YS -11Railwayfan
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ホーガンウィングス JALUX 【1/200】JAL 日本航空 B777-200 "シリウス"
1996年2月にJALが初めて導入したB777には通称「STAR JET(スタージェット)」の愛称が入れられ各機体には星座や恒星にちなんだ愛称もつけられた。 初号機のJA8981の愛称はシリウス。 このほかにもJALの777-200はベガ(JA8982)、アルタイル(JA8983)、ベテルギウス(JA8984)、プロキオン(JA8985)の愛称で親しまれた。 JA8981はアメリカに送られ部品取り用になっていたが、現在解体されている。 木製台座付き。
飛行機模型 ホーガン(販売はJALUX) B777Railwayfan
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トミカプレミアムunlimited 機動戦士ガンダム モデル 量産型ザク
車両デザインは『機動戦士ガンダム』のモビルスーツデザインを手掛けた大河原邦男氏による描き起こし。 「量産型ザク」の象徴的なグリーンのボディにモノアイ(単独カメラ)と動力パイプを配し、車体全体でモビルスーツ感が出るようにデザイン。 タカラトミー×バンダイによる大手おもちゃメーカーがコラボして発売されました。
ザク トミカプレミアムunlimited タカラトミーRailwayfan
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トミカプレミアム 【No.08】エンツォフェラーリ(トミカプレミアム発売記念仕様)
エンツォフェラーリ(トミカプレミアム発売記念仕様)
トミカプレミアム タカラトミー フェラーリRailwayfan
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チョロQ 【Jリーグ 08】 三菱浦和フットボールクラブ
三菱浦和フットボールクラブ 車種は三菱パジェロ。 1992年4月から1996年1月まで存在したチーム。 備考・塗装剥げあり。
チョロQ タカラ 三菱Railwayfan