バングラ・デシ / ディープ・ブルー

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AR-2882
日本発売日1971年9月25日

写真5枚目はジャケットとは別に封入されているジョージのポートレート。

ビートルズの解散直後、ジョージ・ハリスン(当時28歳)のもとに友人でありシタールの師でもあったインドの音楽家ラヴィ・シャンカール(ノラ・ジョーンズの父親)が訪ねて来た。

「瞳に悲しみを溢れさせた友達がやって来て、助けが欲しいと僕に訴えたんだ。僕は彼の悲しみを実感することは出来なかったけど、何かしなければと思った。」

チャリティーコンサートについてはアルバム「バングラデシュ・コンサート」にて記述しますが、このチャリティーコンサートの為に急遽作られた曲。

シングルバージョンはスタジオレコーディング。

後に「ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン」に収録されますが、B面の「ディープ・ブルー」はアルバム未収録。

ビートルズはファンに二重にお金を使わせるのは悪いとシングル曲をアルバムに入れない方式をイギリスでは取ってましたが、ジョージもシングルB面曲はアルバム未収録が多く、コレクター泣かせとなります。

「ディープ・ブルー」がアルバムに初収録されるのは、アルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』の2006年の再発CDにボーナス・トラックとして収録されたのが初。

71年当時はバングラデシュではなく東パキスタンと呼ばれていた国。
バングラデシュという新しい国名に馴染みがまだ無く「バングラ・デシ」とタイトルがなってます。

東パキスタンをバングラデシュと知らしめた、歴史的な楽曲です。

#ジョージハリスン
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#ビートルズ

https://youtu.be/JCoA0DQeZVY

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