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チャレンジャー2戦車 “王立スコッツ近衛竜騎兵連隊(スコッツグレイ)…KFOR”(??? 1/144)
うちよりだいぶ西の方をブラブラしていたら何故か手に入った逸品…、、、 1/144スケールのミニ戦車の完成品で、「王立スコッツ近衛竜騎兵(カービン銃騎兵&グレイズ)連隊」(原名:The Royal Scots Dragoon Guards (Carabiniers and Greys))、いわゆる“スコッツ・グレイ騎兵連隊”の“チャレンジャー2”戦車です。 こんなに小さな模型なのに、スコットランドの部隊らしく砲塔の両側面にスコットランドの青いセント・アンドリュース旗が誇らしげに描かれております。素晴らしい🏴 車体のサイドスカートにある「KFOR」という表記は、1999年に国連決議に基づきNATOがコソボ紛争に派遣した「コソボ治安維持部隊=Kosovo Force」の標記です。 スコッツ・グレイ騎兵連隊の起源は、なんと1678年までさかのぼります。 17世紀に編成された、現在も残るイギリス陸軍でも最も古い騎兵部隊🐴の一つで、ジャコバイトの乱、7年戦争、ナポレオン戦役と数々の戦歴を重ねます。 ナポレオンとの最後の対決であるワーテルローの戦いでは、フランス軍第45歩兵連隊の軍旗🇫🇷を奪うなど活躍しイギリス軍の勝利に貢献しますが、死傷者続出で、当初400騎以上いた戦力は戦いの後では当初の半数になっていたそうです。 その後も、クリミア戦争、インドのセポイの乱、第2次アフガン戦争、スーダン戦争(ラクダ🐪部隊として参戦…)、ボーア戦争、そして第1次世界大戦に参戦、、、なんと、第2次世界大戦開始の時にもまだ騎馬の騎兵部隊🐴として存続していたのです。 しかし、WW2が始まると流石に馬から戦車に乗り換えます。戦車部隊に改編された同連隊は、北アフリカ戦線でドイツのロンメル軍団と戦い(M3グラント戦車を装備)、その後は欧州戦線を転戦します。(M4シャーマン戦車を装備) 戦後、チーフテンを運用していた冷戦期を経て、、、そして、1971年に「第3カービン銃騎兵(近衛プリンス・オブ・ウェールズ竜騎兵)連隊)」(3rd Carabiniers (Prince of Wales's Dragoon Guards))と統合し、現在の名称になっています。 1990年の湾岸戦争にはチャレンジャー1戦車を装備して参戦、KFORに派遣される直前の1998年に、当時最新のチャレンジャー2戦車をイギリス軍の中でも最も早く配備され、主力戦車を持つ打撃部隊としてイラク戦争にも参戦、イラクでは、イラク軍のT72等の旧ソ連製戦車を片っ端から撃破し、100年前に世界で初めて戦車を産みだした英国の戦車技術を改めて世界中にアピールすることになったのです。 そして…、イラク戦争後の陸軍再編の中で再び改編されることが決定されます。2013年11月、主力戦車を降りた騎兵たちの新たな装備は「ジャッカル軽装甲車」、現在では装輪の装甲車を駆る軽騎兵として任務についています。
1/144戦車 プライスレス 関西某所 2022年5月T. S
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PODHORJANY ( ROCO / HO )
チェコ(現ウクライナ)の『ポドルジャニ(Podhorjany)醸造所』のビール貨車です。 側面にチェコ語等でいろいろ書いてあり、最初、どれが醸造所名なのか迷いまして海外サイトなどいろいろ調べましたが、上にある『Pivovar-Brauerei-Sörgyár』…、最初のピヴォバーはチェコ語、二つ目のBrauereiはドイツ語、最後のSörgyárはハンガリー語、それぞれ「醸造所」という意味です。(…で、合っているはずw) 下段の『Podhorjany - Mukačevo』とあるうち左のポドルジャニが醸造所名、その右の「ムカチェヴォ」は調べたところ地名です。『ムカチェヴォのポドルジャニ醸造所』と書いてあるのでしょう。 醸造所が存在した戦前はムカチェヴォの町はチェコの一部でしたが、現在は、なんとウクライナ領内になっています。 そして、この醸造所は現存していないようです。 ムカチェヴォは、西はスロバキア、南西はハンガリー、南はルーマニアと接するウクライナ最西端のザカルパティア州の都市のひとつで、墺洪2重帝国の支配下から後にハンガリー領に、WW1後にスロバキア領に、そしてWW2期にはまたハンガリー領となり、戦後にソ連の支配地域となり、そのまま現在はウクライナ領と…、各国の覇権の入り乱れた国境地域の都市として波乱の歴史を持っている地域です。 また、ムカチェヴォは戦前はユダヤ人が多い町であったため、大戦中はナチス支配下のホロコーストでユダヤ系住民の80%が殺害されたとされています。 上下のロゴの間に小さく書かれている「Schönborn-Buchheim」(シェーンボルン=ブッフハイム)ですが、これは18世紀、神聖ローマ帝国末期、帝国の副首相を務めた貴族の名前で、当時はチェコとスロバキアの地域は神聖ローマ帝国の領土内(後に墺洪2重帝国領に)だったのが何か関係あるのか?…また、実はこの名前の貴族はほかにも何人かいるようで、、、すみません、こちらの詳細の由来は定かではありません…m(__)m モデルはオーストリアのロコ社のHOゲージ模型ですが、モデルはチェコ・スロバキア時代の「チェコスロバキア国有鉄道」(ČSD=Československé státní dráhy)の貨車、側面のロゴの左側に「ČSD」の表記があります。 ČSD時代は1918年から1992年までと長いため、ČSDの表示があるからと言って時代の特定は難しいですが、ムカチェヴォがチェコ時代だとすれば、1918年からWW2終了直後くらいまでの時代の車両ということでしょうか。 ビール貨車でもブドワゼやピルスナー・ウルケルなど、チェコのブランドはいくつか出ておりますが、ドイツやスイスのビール・ブランドに比べれば数は少ないうえ、この車両のようにČSD時代のモデルは数が少ないと思います。 緑の車体がとてもきれいな好感の持てるデザインです。
HO ROCO 1500円 ネットオークションT. S