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1980 (DNQ 41ST) PMA RAM RACING WILLIAMS FW07 K.COGAN
復活のチームRAM WILLIAMS FW07 ケビン・コーガン決勝進出ならず 1980年 1976・1977年カスタマーで参戦の RAM RACINGが復活しウイリアムズの旧車 WILLIAMS FW07を購入し参戦 ケビン・コーガンはアメリカ出身 R13カナダGPのみのエントリー 予選はPPのネルソン・ピケ(ブラバム)から 約5.4秒落ちの最下位(28位)で予選落ち カナダの6カラー鮮やかなレインボージーンズ 香港のセオドール・レーシング〖徳利賽車隊〗 スポンサーロゴが印象的なマシン コーガンは翌1981年開幕戦地元アメリカGPを ティレルでエントリーするも こちらは惜しくも0.071足りずに予選落ち F1では決勝進出できなかった アメリカCARTシリーズでは 1986年に1勝 INDY500で2位 年間順位6位を記録しているドライバ―
230605 K.COGAN 2.496 51FW12C
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2020 (23RD) PMA HAAS F1 TEAM VF-20 P.FITTIPALDI
エマーソン・フィティバルディの孫 ピエトロ・フィティバルディ デビュー ピエトロ・フィティバルディ 祖父 エマーソン・フィティバルディ 大叔父 ウイルソン・フィティバルディ 従伯父 クリスチャン・フィティバルディ 叔父 マッシミリアーノ・パピス ビッグネームファミリー5人目F1デビュー チャンピオンの孫の参戦はF1界で初 2020年ハースのテスト兼リザーブドライバ― R・グロージャンのケガで終盤2戦のみ出場 R16サーヒルGP 予選20位→決勝17位 R17アブダビGP 予選19位→決勝19位 決勝は完走車の中ではいずれも最下位 大きなアピールをする事はできなかった モデルは最終戦のアブダビGP仕様 ハースのグランプリ出場100戦目記念 この時のチームメイトはケビン・マグヌッセン こちらはヤンを父に持つ2世ドライバ― ピエトロは2018年に1戦のみで日本の スーパーフォーミュラにも参戦 #F1-2020年
221031 P.FITTIPALDI 280 51FW12C
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1976 (34TH) KYOSHO KOJIMA KE007 M.HASEMI
日本人初 日本製マシンで決勝出走 長谷見昌弘 KOJIMA KE007 目標は入賞ではなく 海外勢を迎え撃って勝つこと KOJIMA KE007は日本初開催のF1レースに スポット参戦するため開発した国産マシン オーソドックスにまとめながら 高速コースに特化したトップスピード重視 富士SW走行を目的とした富士スペシャル エンジンはフォード・コスワース・DFV ヒューランド製5速ギアボックスの 1970年代の一般的組み合わせで 当時の価格で周辺機器あわせ約850万円 タイヤは初の参戦となる日本ダンロップ 金曜日の午前予選1回目 予選4位のタイム1分13秒88で周囲を驚かせる 金曜日の午後予選2回目 さらなるタイムUPを狙い他車の スリップストリームに入り1分12秒台確実と 思われたが最終コーナーで 左フロントサスの強度不足でクラッシュ スペアカーの無かったコジマは 48時間でほぼ新車を作り上げて 予選10位から決勝に挑んだが 決勝はトップから7週遅れの11位完走 長い間KOJIMA KE007が出したとされる 1分18秒23はファステストLと記録されたが 後にJ・ラフィー(リジェ) 1分19秒97に訂正された モデルはKYOSHOの KE(コジマエンジニアリング)の ロゴ入り台座等の特別パッケージ 決勝レインタイヤ仕様バージョン 日本のモータースポーツの人々が世界に挑み 夢を乗せた1台と言えるかも知れません #F1-1976年 #KOJIMAKE007 #1976年 #F1世界選手権イン・ジャパン #F1
M.HASEMI 1976 51 1/43FW12C
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