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1978 12TH SPARK ARROWS FA1 R.PATRESE
リカルド・パトレーゼ 自身初の2位表彰台 ARROWS FA1 1978年設立のチームARROWS 前年度所属のロータスから グンナー・ニールソンが移籍するも メディカルチェックで病が見つかり リカルド・パトレーゼがシート獲得 チームメイトはロルフ・シュトルメ R4・R5は予備予選から出場 どちらもトップ通過 決勝では6位に連続入賞 アロウズチーム初入賞 アロウズ通算入賞回数は70回 R8スウェーデンGPでは 予選5位から決勝は2位表彰台 アロウズとパトレーゼの初表彰台獲得 アロウズの通算表彰台は8回 パトレーゼの通算表彰台は37回 R14イタリアGPでは当初 ロニー・ピーターソン(ロータス)の 事故死の原因とされて次戦出場停止したが 後の検証でパトレーゼ起因でないと判明 チーム設立初年度で表彰台含む4度の入賞 年間順位は12位でパトレーゼは 1981年まで4年間アロウズに所属
230803 R.PATRESE 1978 35FW12C
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1983 14TH PMA TOLEMAN TG 183B D.WARWICK (DUTCH GP TOLEMAN 1ST POINT)
トールマン/ワーウィック F1初ポイント獲得 TOLEMAN TG 183B 1983年チーム トールマンと ディレク・ワーウィックは参戦3年目 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ この年全車フラットボトム規定に変わり ロリー・バーン作の前年マシンを レギュレーションに合わせたTG 183B投入 予選最高5位含むシングルグリット6回も 決勝にはつながらず11戦終了時 完走2回 リタイア9回 課題であった信頼性不足に悩まされた しかし終盤は一気に改善 12戦オランダGPは予選7位 決勝は同一周回での4位入賞 チームトールマンとD・ワーウィックの F1初入賞でポイント獲得 トールマンの通算入賞は11回 ワーウィックの通算入賞は30回 このGPから4位→6位→5位→4位の 4戦連続入賞で年間14位 モデルはそのオランダGP仕様 通序盤と比べるとフロントウイングに カー№が右側しかないのと ドライバ―フィギュアのクオリティがUP ワーウィックはA・セナのトールマン加入が 決まり自身はルノーへ移籍した https://muuseo.com/FW12C/items/239?theme_id=30446
230603 D.WARWICK 1983 504FW12C
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1982 (32TH) CP MODEL TOLEMAN TG181C D.WARWICK
ディレック・ワーウィック 初のFL ロリー・バーン作 TOLEMAN TG181C ディレック・ワーウィック イギリス出身 前年度トールマンで初参戦も 12戦中決勝進出1回 決勝リタイア 1982年もトールマンで参戦 チームメイトはテオ・ファビ ロリー・バーン デビュー改良版のTG181C ハート直列4気筒ターボエンジン タイヤはミシュラン→ピレリに変更 車体はノーズ上にフロントウィングを 載せた独特な形状をしている 予選ではR4サンマリノ 最高位8位など 中段順位を獲得するも信頼性が乏しく 決勝は完走2回 最高位10位 それでも1発の速さは持ち合わせており R9オランダGPではファステストラップ 自身とチームにとっても初のFL獲得 ワーウィックとトールマンにとっては F1初入賞前にFL記録する珍しいパターン R10イギリスGPでは一時2位を走行 しかしこれはスポンサーの意向もあり 燃料を軽く積んでレースに望み 少しでもTV等で取り上げてもらう為の苦肉策 全76周のGPだが41周で燃料切れリタイア シーズン後半にはニューマシン TG183が投入され翌年終盤4戦で ワーウィックとチームの初ポイントを獲得 #F1-1982年
230307 D.WARWICK 1回 35FW12C
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1976 (26TH) SPARK MARCH 761 A.MERZARIO
アルトゥーロ・メルヅァリオ OVOROカラー MARCH 761 イタリア出身A・メルヅァリオ 1972年フェラーリよりデビュー 1976年はプライベーターとして MARCH 761を購入してR3より参戦 ヘルメットにはフェラーリの跳馬 MARCH 761では7戦出走し予選落ち2回 予選最高 R9イギリス9位 決勝最高 R8フランス9位 印象深いスポンサーのOVOROは イタリアのリキュールメーカー R10よりメルヅァリオは ウイリアムズに移籍の為 OVOROは数戦のみの限定カラー ウイリアムズでは7戦出走も全てリタイア ◆R16日本(富士SW)予選19位→決勝リタイア◆ ウイリアムズ所属時のR10ドイツGPでは 炎上するN・ラウダ(フェラーリ)の救出を助けた 4人のドライバ―のひとりでもある レースに対する情熱は凄まじいものがあり 翌1977年からは自分のチーム メルヅァリオを立ち上げ3年間F1参戦 #1976 #F-1976年 #F1
A.MERZARIO 1976 35 1/43FW12C
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1979 (32ND) IXO ALFA ROMEO 177 B.GIACOMELLI
アルファロメオ28年ぶりのF1参戦 アルファロメオはF1創設期の 1950年ジュゼッペ・ファリーナ 1951年ファン・マニュエル・ファンジオ 2年連続のワールドチャンピオン以来 28年ぶりにコンストラクターとして復帰 1979年はブラバムにエンジン供給が されているため区別する為に アルファ・アルファと呼ばれていた ブルーノ・ジャコメリ イタリア出身 1978年ヨーロッパF2チャンピオン 1977年と1978年にマクラーレンより スポット参戦もしている アルファロメオ177の車体は R6ベルギーがグランプリ初戦 予選14位→決勝は接触でリタイヤ R8フランス予選17位→決勝17位 177の名が示すように本来 1977年に設計された車体だが参戦が遅れ 結局1979年にジャコメリがこの2戦と TMのV・ブランビラが1戦の計3戦のみ出走 エンジンが水平対向→60度V12に変更された アルファロメオ179がR13イタリアより登場 それまでの暫定的な車体として役割を終えた #F1-1979年
B.GIACOMELLI F1マシンコレクション 35 59FW12C
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1975 (51ST) REVE COLLECTION MAKI F101C H.FUSHIDA
1975年 日本人が初めてエントリーした車体 MAKIは1960年代のHONDAに次ぐ 日本の2番目のコンストラクター 自動車会社の援助がない日本チームが 海外のF1にエントリーしたのは 現在までMAKIが唯一のチーム CITIZENの援助(当時で約2000万程度)を受け 昨年の白→ブルーにカラーは変更され 鮒子田寛とT.トリマーで計5戦にエントリー 鮒子田はオランダとイギリスに参戦 オランダGP 予選PPから13秒遅れも 25位で通過したがエンジンが焼き付き スペアのエンジンがなかったのでDNS イギリスGP(モデル仕様)は PPから7秒遅れで予選落ち トリマーも予選突破ならず 画像7枚目右から覗く白いシャツは ロニー・ピータソン(ロータス) 画像8枚目エンジニアに支給の タイトなCITIZENロゴのシャツが とてもオシャレに感じます 当時(2012年)マキに対する知識も無く 単純にCITIZENのブルーに惹かれて購入 歴史的な1台であるのは後日知りました
H.FUSHIDA 1975 35 1/43FW12C
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1992 (DNQ 36TH) SPARK ANDOREA MODA S921 P.McCARTHY
#1992
P.McCARTHY 35 1/43 ANDOREA MODAFW12C
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1991 (32ND) SPARK MODENA LAMBORGHINI 291 E.VAN DE POELE
エリック・バン・デ・ポール ベルギー出身 F1デビュー 入賞目前ガス欠 MODENA 291 1987年DTM チャンピオン 1990年国際F3000 3勝 ランキング2位 1991年はF1に参戦 LAMBORGHINのモデナ 予備予選組のE・バン・デ・ポールは R3サンマリノGPで予備予選を4位で通過 予選21位で初の決勝進出 サバイバル戦を生き残り5位走行 しかしラスト1周でまさかのガス欠 ラスト1周で涙をのんだ(9位完走扱い) 奇しくもこの9位がバン・デ・ポールの F1での生涯ベストリザルト 開幕戦のTMのN・ラリーニの7位により モデナは後半戦予備予選免除になったが バン・デ・ポールの決勝進出は1回のみで 予備予選落ち7回 予選落ち8回 マウロ・フォルギエリ作のモデナ291は 三角形のサイドポッドにラジエーターを 斜めに搭載し綺麗なダークブルーのカラー しかし形状は時代遅れでチームは1年限りで撤退した
E.VAN DE POELE 35 1/43 MODENAFW12C
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1989 (DNPQ 44TH) SPARK ZAKSPEED 891 A.SUZUKI
無念の全戦予備予選落ち 鈴木亜久里 ZAKSPEED 891 1989年ザグスピードは自製のエンジンから 日本のヤマハとジョイントし参戦 ドライバーは前年度ラルースで スポットデビューした鈴木亜久里と 残留したベルトン・シュナイダー 参加台数の増加に伴い予選の前に 予備予選が実施 金曜日のフリー走行前の 1時間で4台通過の狭き門を13台で競った 初参戦となったヤマハの初期トラブルや マシンの基本デザインも悪く 亜久里は16戦全戦予備予選落ち その内容も予備予選8位(R15鈴鹿)が最高で 9位-1回 10位-4回 11位-2回 12位-6回と (9位のR13ポルトガルは2台の失格有) 散々な内容でチームも延べ30回の予備予選落ち ザグスピードはヤマハとの活動継続を望み 翌1990年も開幕前のテストに参加したが メインスポンサーのWESTタバコを失い 参戦を断念 5年間のF1活動を終了した モデルのR8イギリスGPはタバコ広告禁止の為 Westタバコが→Eastのロゴになっている かつて東京・池袋にあったショップ Racing GERAの別注モデル
A.SUZUKI 35 1/43 ZAKSPEEDFW12C
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1983 14TH PMA TOLEMAN TG 183 D.WARWICK
#1983
D.WARWICK 2.500 35 1/43FW12C