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2023 18TH BBURAGO ALFA ROMEO C43 Z.GUANYU
2年連続ファステストラップ獲得 ジョウ・グアンユー ALFA ROMEO C43 2023年アルファロメオは タイトルスポンサーとしてStakeを獲得 Stakeはオーストラリアと カリブ海のキュラソー島(オランダ)の オンラインカジノ企業 これまでのホワイト/アルファレッドから ブラック/アルファレッドにカラーを変更 ジョウはアルファロメオ2年目 チームメイトは前年同様V・ボッタス 開幕戦バーレーンGPでファステストラップを 記録も決勝は16位に終わり 前年2022年の日本GPと同様(決勝16位) 2年連続ファステストラップポイントは逃した シーズンハイライトはR11ハンガリーGPの キャリアベストの予選5位(決勝16位) 決勝は9位入賞が3回で年間6ポイント ランキング・ポイントとも前年同様18位 モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR仕様 ジョウ・グアンユーの持ち込みと思われる 中国企業のスポンサーが数社見受けられる 翌2024年は一時危ぶまれたがチーム残留 念願の自国開催(R5中国GP)に挑む事となった
240516 Z.GUANYU 2023 1回FW12C
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2012 (20TH) SPARK MARUSSIA MR02 T.GLOCK
the story will be at a later date.
240305 T.GLOCK 2012 24FW12C
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1973 11TH SPARK SURTEES TS14 FORD C.PACE
カルロス・パーチェ初の表彰台& ファステストラップ SURTEES TS14 前年ウイリアムズ(マシンはマーチ)で F1デビューを果たしたブラジル出身 カルロス・パーチェ 1973年サーティスに移籍 チームメイトはマイク・ヘイルウッド R4まではへイルウッドとともに すべてリタイアに終わり中盤戦も苦戦 R11ドイツGPでようやく4位入賞は 自身初のファステスト・ラップ パーチェのキャリア通算FLは5回 続くR12オーストリアGPでは 決勝3位自身初表彰台獲得 パーチェのキャリア表彰台は6回 連続でファステスト・ラップ記録 1978年まで参戦する チーム サーティスとしては 最後の表彰台(通算2回) 最後のファステスト・ラップ(通算3回) パーチェはこの年 フェラーリから 世界メーカー選手権(スポーツカー選手権) にも参戦している モデルはスパーク R12オーストリアGP仕様 予選8位→決勝3位 チームサーティスの象徴とも言える スポーツカーノーズの白い矢印と パーチェのヘルメットの黄色い矢印が マッチしている1台
240123 C.PACE 1973 2回FW12C
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2022 18TH BBURAGO ALFA ROMEO C42 Z.GUANYU
中国人初のF1ドライバ― ジョウ・グアンユ ALFA ROMEO C42 周冠宇(ジョウ・グアンユ) 中国上海出身 2021年 ヨーロッパF2 3位(4勝) 同年のアジアF3 チャンピオン(4勝) F1ではアルピーヌ(ルノー)の開発ドライバ― 2022年アルファロメロよりF1デビュー チームメイトはヴァルテリ・ボッタス カーナンバー24番は自身がファンである NBA コービー・ブライアントが 付けていた事によるチョイス 開幕戦のバーレーンGP 予選15位から上位脱落もあり10位入賞 デビュー戦での入賞は現在までに 約75名ドライバーで日本人は角田裕毅のみ R9カナダGP シーズンベストの決勝8位 R10イギリスGP 予選唯一のQ3進出の9位 R18鈴鹿ではファステストラップも記録 初年度は3度の入賞6P 年間18位 ボッタスは49P 年間10位 翌2023年もアルファロメオに残留 モデルはBBURAGO 2022年モデルはアルファロメオも BBURAGOからリリースされ 現状ミニチャンプスの現行モデルは 定価約2万円弱と高騰しており 約1/5価格のBBURAGOは コストパフォーマンスが高い
231118 Z.GUANYU 2022 1回FW12C
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1985 (22ND) SPARK OSELLA FA1G H.ROTHENGATTER
ヒューブ・ロッテンガッター キャリアベスト7位 OSELLA FA1G ヒューブ・ロッテンガッター オランダ出身 ヨーロッパF2では1980年7位(1勝) 1980年・81年全日本F2にスポット参戦 ロッテンガッターはオランダの 全国紙に全面広告を掲載 決意と自分自身への信念を アピールしてオランダの家電メーカー フィリップスのスポンサーを獲得する 1984年スピリットでデビュー 1985年オッゼラで2シーズン目 いずれもシーズン途中から資金を 持ち込みシートを獲得する 1985年オッゼラの最終戦 R16オーストラリアで予選25位→決勝7位 ロッテンガッターのキャリアベスト 翌1986年はザグスピード これまた資金持ち込み途中参戦 ロッテンガッターはキャリア 決勝26戦を全て20番台からスタート という珍しいドライバ― ドライバ―引退後はフィリップスの スポンサー関連で1991年に新規参戦 ジョーダンチームの携わり 後に同郷のヨス・フェルスタッペンの マネージャーも務めた モデルはスパーク オランダのGPworld特注 ギフトBOX入り R11オランダGP仕様 予選26位 決勝は56/70周で規定周回不足 個人Marlboro契約ドライバ―で ヘルメット正面に同社のロゴあり
230922 H.ROTHENGATTER 1985 300FW12C
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1951 【WORLD CHAMPION】 PMA ALFA ROMEO ALFETTA 159 J.M.FANGIO 〖🏆3〗
🔲🔲🔲1951🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 ALFA ROMEO ALFETTA 159 🟥🟥J.M.FANGIO🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】4回 【優勝】3回【FL】5回 ファンジオ1度目のワールドチャンピオン アルファロメオ(現時点)最後のチャンピオン 開幕戦スイスGP仕様 予選PP→決勝WIN #1951年
230801 J.M.FANGIO 1951 5回FW12C
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2010 (25TH) SPARK VIRGIN VR-01 T.GLOCK
新規参戦チーム 2010年 ヴァージン VR-01 ティモ・グロッグ 2010年 F1は新規3チームが参戦 ロータス(マレーシア) HRT(スペイン) ヴァージン(イギリス) 元々マノー・F1チームと名乗っていたが 2009年のチャンピオンチーム ブラウンGPのスポンサーであった 多国籍企業のヴァージンが タイトルスポンサーとなり名称が変更 風洞実験を行わず数値流体力学(CFD) によるシミュレーションのみでデザイン これには1994~1995年に参戦した シムテック代表ニック・ワースの会社 ワース・リサーチがサポートしていた グロッグは2009年まで所属のトヨタが 急遽撤退により新規ヴァージンでの参戦 チームメイトはルーカス・ディ・グラッシ グロッグは前半8戦中6戦でリタイア 決勝最高もR16日本GPの14位 ディ・グラッシも決勝最高位14位であったが 2番目の決勝成績差で敗れて年間25位 (ディ・グラッシ15位 グロッグ16位) 新規3チームを含むフル参戦ドライバ―で 最下位ではあったもののエースとして 翌2011年もヴァージンに残留 モデルはスパーク R2オーストラリアGP仕様 予選21位→決勝はリタイア 新規3チームともスパークで発売 モデルカーケースのスリーブも ヴァージン仕様となっている
230519 T.GLOCK 2010 24FW12C
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1976 (21ST) SPARK HESKETH 308D H.ERTL
ハラルド・アーテル オーストリア出身 N・ラウダ炎上事故 救出ドライバ―4人の一人 アーテルは前年度スポット参戦 1976年はヘスケスのレギュラードライバ― アーテルがフル参戦したのはこの年のみ 戦闘力の劣るHESKETH 308Dで苦戦 予選最高はR13イタリアGPの13位 決勝最高はR9 イギリスGPの 7位 決勝7位はアーテルの生涯ベストリザルト モデルはR12オランダGP仕様 予選24位→決勝リタイア 翌年よりペンスキーを買収して参戦する ドイツ自動車部品メーカーのATSがスポンサー ◆R16日本(富士SW)予選21位→決勝8位◆-F1 R10ドイツGPでは 炎上するN・ラウダ(フェラーリ)の救出を 自らのレースは捨ててマシンから降り ブレット・ランガー ガイ・エドワーズ アルトゥーロ・メルツァリオと共に 救助活動を優先させドライバ―でもある 翌年以降はヘスケス エンサイン ATSでスポット参戦したが F1でポイント獲得はならなかった #1976年 #F1-1976年 #ヘスケス #F1
H.ERTL 1976 24 1/43FW12C
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1995 (23RD) ONYX MINARDI FORD M195 L.BADOER
ルカ・バドエル 1年ぶりF1復帰 MINARDI FORD M195 1994年ミナルディのテストドライバー 1995年M・アルボレートの引退に伴い ミナルディのレギュラーシート獲得 前半のTMはP・マルティニ 予選・決勝とも互角の戦いで R6カナダGPの予選18位→決勝8位が最高 後半のTMはP・ラミー R10ハンガリーGPは予選12位 これはバドエルの予選生涯最高位 決勝も8位完走(ラミー9位完走) しかし後半戦はラミーに 予選・決勝ともに敗れる事が多く バドエルはミナルディのシートを失い 翌1996年はフォルティに移籍します ミナルディの量産モデルは1990年以来 ONYXより4年ぶりの発売 1991年~1994年までは (1991年のマルティニ車(IXO)除く) 未だに量産モデルは発売されておらず 空白の4年間になってしまっています SPARKさん是非とも量産化を願います! #1995
L.BADOER 24 1/43 MINARDIFW12C
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1/50 TINY MINI COOPER RACING #24 HESKETH RACING TEAM
1970年代 F1 HESKETH RACING TEAM コラボ #MINI
HESKETH RACING TEAM 24 1/50 TINYFW12C
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1975 4TH IXO HESKETH 308B J.HUNT 〖🏆1〗
ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント) 以前はそう呼ばれたJ・ハントも レース好きの貴族 アレクサンダー・ヘスケス卿と出会い変わる 1975年はヘスケスの3年目 R8オランダGP ザンドフォールト (2021年に16年ぶりに復活) 予選3位よりJ.ハントの初優勝 これはヘスケスのチーム唯一の勝利 年間順位も4位と小規模チームとは 思えない活躍もヘスケスは資金難に陥る 次年度ハントはマクラーレンに移籍 一気にトップドライバーへと 駆け上がります ハント初優勝のオランダGPには 日本人初のドライバ― 鮒子田寛がMAKIにて参戦しています #F1-1975年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/564 2021年のモナコGPでは K.ライコネン(ロータス)が尊敬する ハントのヘルメットで出走しました https://muuseo.com/FW12C/items/557
J.HUNT F1マシンコレクション 1975 24FW12C
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1990 (28TH) ONYX MINARDI M190 P.BARILLA
イタリアパスタ会社の御曹司 パオロ・バリラ MINARDI M190 パオロ・バリラ イタリア出身 世界的に有名なパスタブランド バリラ社の御曹司 1985年ルマン24時間チャンピオン 1989年日本GPにスポット参戦 1990年ミナルディのレギュラーシート獲得 チームメイトはP・マルティニ 開幕戦R1アメリカGPは 生涯自己最高の予選14位 決勝は体調不良により54/72周でリタイア R3サンマリノGPは予選27位 チームメイトのマルティニが 予選10位のタイムを出していたが クラッシュして足を骨折 決勝は欠場したためバリラが繰り上がり 予選26位の最後尾から決勝11位 これがバリラの生涯ベストリザルト R14までに6度の予選落ちで契約解除 R15日本GP鈴鹿~は翌1991年から搭載決定した フェラーリエンジンのテストドライバー ジャンニ・モルビデリにシートを譲った バリラのF1はこの年限りで終了 日本での活動も多く無限エンジンや ブリヂストンタイヤのテストドライバーも務めた
P.BARILLA 24 1/43 MINARDIFW12C
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1989 28TH SPARK MINARDI M189 L.P.SALA
ミナルディ 奇跡の予備予選回避 ルイス・ペレス・サラ MINARDI M189 ルイス・ペレス・サラ スペイン出身 1987年 国際F3000 ランキング2位 この時のチャンピオンはS・モデナ 1988年よりミナルディでF1参戦 1989年は参戦2年目 チームメイトはピエロ・ルイジ・マルティニ 前半R7戦目までにサラは2度の予選落ち 決勝もマルテニを含めすべてリタイア 当時上位13チームに与えられる 予備予選免除の危機にあった 前半最終R8イギリスGP 予選15位よりサラは混戦を生き残り 6位入賞はマルテニ5位のダブル入賞 この3ポイント獲得でコンストラクター オニクス2ポイント上回り 前半最終戦で 奇跡の予備予選組を回避した サラのF1での入賞はこの1度限りで 1989年でF1での活動は終了 1988年までは近年でF1にエントリーした 最後の女性ドライバ―である ジョバンナ・アマティと 婚約状態であったがその後解消 2012年にはスペインのF1チーム HRTのチーム代表になった 🏁ルイス・ペレス・サラ (スペイン) 【決勝出走数】26回(入賞1回) 【予選最高位】 9位 1989年 MINARDI R13ポルトガル 【決勝最高位】 6位 1989年 MINARDI R8イギリス
L.P.SALA 24 1/43 CAMELFW12C
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2002 15TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF102 M.SALO
PIT STOP DIORAMA ミカ サロ #2002 #F1
M.SALO 24 1/43 TOYOTAFW12C
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1987 (26TH) SPARK MINARDI M187 A.NANNINI
アレッサンドロ・ナニー二の2年目 ミナルディに残留 TMはA・カンポス ミナルディのニューマシンM187 潜望鏡型のターボダクトなど最新の トレンドを導入し空力面では洗練され 予選では13位~15位が11回と奮闘 しかし3年目のモトーリ・モデルニの エンジンは重量過多・信頼性の不足もあり 決勝は完走が2回 いずれも11位 チームでも完走わずか3回 ナニー二はミナルディでの2年間で 完走はわずか3回であったが 次年度はベネトンに移籍 ミナルディは参戦3年間で無得点の モトーリ・モデルニ エンジンを この年で終了 次年度はフォードに変更
A.NANNINI 24 1/43 MarlboroFW12C