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2000 7TH PMA BAR HONDA 02 J.VILLENEUVE
HONDAエンジン搭載 ラッキーストライク ジャック・ヴィルヌーブ BAR HONDA 02 ノーポイントで終了した前年度から 2000年BARはHONDAワークスエンジン搭載 マシン性能も飛躍的に向上 ジャック・ヴィルヌーブは 開幕戦オーストラリアで4位 チームメイトのリカルド・ゾンタとともに HONDA復帰戦でダブル入賞 その後何度か惜しいレースが あったものの表彰台には届かず HONDA地元のR16鈴鹿では6位入賞 年間で4位4回 5位2回 6位1回の7度の入賞 17ポイントでランキング7位 コンストラクターはベネトンと同ポイント 最高順位差で5位と昨年最下位から復活には 8年ぶり復帰のHONDAエンジンが大きく貢献 モデルはミニチャンプス 前年度の奇抜なカラーから一転 白ベースのカラーリングで ラッキーストライクがメインブランド 前年度 右半分あった555のロゴは ロールバーに小さく貼られている
240405 J.VILLENEUVE 2000 22FW12C
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1972 18TH SPARK (FRANK WILLIAMS) MARCH 711 C.PACE
カルロス・パーチェ F1デビュー フランク・ウイリアムズ MARCH 711 ホセ・カルロス・パーチェ ブラジル出身 同郷のエマーソン・フィティバルディの ライバルと目されたドライバー 現在まで続くウイリアムズの前身 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズで マーチの旧型 MARCH 711で参戦 R2南アフリカGPよりデビュー 2戦目のR3スペインGPで早くも6位入賞 パーチェのキャリア入賞は16回 シーズン2度の入賞でランキングは18位 チームメイトのアンリ・ペスカロロは ニューマシンのMARCH 721で参戦したが こちらはノーポイントに終わった パーチェは翌1973年はサーティスに移籍 モデルはスパーク パーチェのF1デビュー戦となった R2南アフリカGP仕様 予選24位→決勝17位 イタリアの玩具メーカー ポリトイ (Politoys) 現在のポリスティル (Polistil) がスポンサー ティートレイと呼ばれた独特のウイングの 同社ロゴ〖POLITOYS〗がとても目立つ1台 #F1
240325 C.PACE 1972 22FW12C
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2011 (27TH) SPARK HRT F111 D.RICCIARDO
ダニエル・リカルド デビュー レッドブルシート買取り HRT F111 ダニエル・リカルド オーストラリア出身 2009年イギリスF3チャンピオン 6勝/20戦 2010年Fルノー3.5 シリーズ2位 5勝/17戦 2011年 レッドブル傘下トロ・ロッソの サードドライバー金曜日フリー走行参加 R9イギリスGPよりHRTにてF1デビュー これはレッドブルがHRTのシート買取った形 チームメイトはヴィタントニオ・リウッツィ 予選ではリウッツィと互角の勝負 戦闘力の乏しHRTでは如何ともならず 決勝は完走を優先し最高18位が2回 翌2012年はトロ・ロッソのレギュラー獲得 モデルはスパーク R12ベルギーGP 予選23位→決勝リタイア ドイツ人デザイナー ダニエル・サイモンが 担当したF111はチェッカーフラックに 赤をアクセントに入れた独特のデザイン スリーブケースもHRTチェッカー仕様 リアウイング翼端版の〖COOL SPOT〗は スポンサーのロゴでは無く スポンサー募集のキャチフレーズであった 2011年シーズンに参加したドライバーで 2024年エントリーしているのは4人のみ リカルド/アロンソ/ハミルトン/ペレス
240229 D.RICCIARDO 2011 22FW12C
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1977 17TH SPARK ENSING N177 C.REGAZZONI
チームエンサイン 初のフル参戦 C・レガッツォーニ ENSING N177 トータル6年間過ごしたフェラーリを 離れたクレイ・レガッツォーニは 1977年エンサインに移籍 エンサインは1台エントリー 中盤よりセオドールがエンサインの 車体を購入してP・タンベイがエントリー エンサインN177は前年のN176を マイナーチェンジしたのみながら 開幕戦で予選12位→決勝6位入賞 中盤自身初の予選落ちをするも 終盤R14イタリア R15アメリカで 連続で5位入賞で年間5P ランキング17位 タンベイも同じく5Pでエンサインの コンストラクター10Pはベストリザルト エンサインは前年不参加の 最終日本GP(富士SW)にもエントリー レガッツォーニの予選はスポット参加した 星野一義(KOJIMA)の一つ前の10位 決勝は43週エンジンが壊れリタイア モデルはスパーク 開幕戦アルゼンチンGP予選12→決勝6位 マシンにはレガッツォーニの パーソナルスポンサーである スイスの時計ブランドTISSOTがスポンサー N177のマシンは1979年途中まで使用
240201 C.REGAZZONI 1977 22FW12C
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2000 14TH PMA BAR HONDA 02 R.ZONTA
20世紀最大のオーバーテイク傍観者 リカルド・ゾンタ BAR HONDA 02 2000年リカルド・ゾンタはBAR残留 チームメイトは変わらずJ.ビルヌーブ F1第3期活動を開始したHONDAが BARにワークスエンジンを供給 開幕戦オーストラリアGPで 早くもHONDA効果が表れ ビルヌーブ4位 ゾンタ6位の ダブル入賞を飾りゾンタはF1初ポイント その後R14イタリア R15アメリカでも 6位入賞で年間3ポイント ランキング14位 ゾンタのハイライトはR13ベルギーGP M・シューマッハ(フェラーリ)と M・ハッキネン(マクラーレン)の 20世紀最大のオーバーテイクともいわれる 伝説のシーンで両者に挟まれる形で 周回遅れにされたのがゾンタであった モデルはミニチャンプス GP表記が無いRACE CAR仕様 タバコスポンサー禁止のGPでは LUCKY STRIKEが LOOK ALIKEと表記されていた R13ベルギーGP ゾンタのオンボードカメラ https://www.youtube.com/watch?v=pdAUoEnr8Ts&pp=ygUQMjAwMOW5tOOAgOOCueODkQ%3D%3D
240124 R.ZONTA 2000 22FW12C
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2021 14TH SPARK SCUDERIA ALPHA TAURI AT02 Y.TSUNODA
★2023年最終戦 アブダビGP★ 角田裕毅 キャリアベスト予選6位 日本人2人目のリーダーラップ5周記録 (2004年佐藤琢磨以来 5周は日本人最長) 2016年から開始されたファンが選ぶ そのレースでの印象に残ったドライバ― ドライバ― オブ ザ デイ(DOD)も獲得 モデルは角田裕毅のデビューイヤー 2021年の最終戦アブダビGP仕様 予選8位からチームメイトの P・ガスリーを上回る4位でフィニッシュ デビューイヤーをいい形で締めくくった 2021年の年間順位は14位 32ポイント 2023年も年間順位は14位 17ポイント リーダーラップ FL DODを記録して 翌2024年も同チームから参戦
231129 Y.TSUNODA 2021 22FW12C
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1999 (21ST) PMA BAR 01 SUPERTEC J.VILLENEUVE
ジャック・ビルヌーブ チーム初年度 11戦連続リタイア BAR 01 SUPERTEC 鳴り物入りで登場したBAR シーズン前のプレス発表では ビルヌーブ車➡ラッキーストライク ゾンタ車➡555 ブランドの別々のカラーで 登場したがレギュレーション違反となり却下 結局 左➡ラッキーストライク 右➡555を 真ん中のファスナーでつなぐ斬新なデザイン ジャックは開幕戦~R11ハンガリーまで 11戦連続のリタイア これは現在においても開幕からの 連続リタイアのワースト記録 年度またぎの連続リタイアを含めても 歴代ワースと3位のリタイア記録 (ワースト2位 12戦 A・チェザリス) (ワースト1位 14戦 I・カペリ) 2年前のワールドチャンピオンが まさかのノーポイント 決勝最高はR13イタリアGPの8位 チームのシーズン最高7位は ゾンタの代役のM・サロが記録という BAR1年目は悲劇のシーズンであった モデルはミニチャンプス BAT(ブリティシュ アメリカン タバコ) 社の2大主要ブランド 【LUCKY STRIKE】【555】を それぞれ左右でデカール加工 この年限りのデザイン
231029 J.VILLENEUVE 1999 22FW12C
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2008【WORLD CHAMPION】PMA McLAREN MERCEDES MP4-23 L.HAMILTON〖🏆5〗
🔲🔲🔲1980🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN MERCEDES MP4-23 ⬜⬜ L.HAMILTON⬜⬜ 🔲🔲🔲全18戦🔲🔲🔲 【出走】18回【PP】7回 【優勝】 5回【FL】1回 #2008年
230830 L.HAMILTON 2008 1回FW12C
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1980 (32ND) YAXON ALFA ROMEO 179 P.DEPAILLER
パトリック・ドゥパイエ テスト中に散る ALFA ROMEO 179 前年の1979年シーズン途中に ハンググライダーの事故で両足を骨折 リジェを離れ1980年はアルファロメオに移籍 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ 序盤2戦の予選で23位・21位と苦戦 その後ドゥパイエの提案もあり 軽量化を含む大幅な改良を実施 R3南アフリカ 予選7位 R4アメリカW 予選3位と大きく進歩を見せたが 決勝は信頼不足もあり全てリタイア 後半戦に向けたドイツでのテスト中 コースアウトでクラッシュ 残念ながら帰らぬ人となった この年同郷フランスのアラン・プロストが F1デビューを果しドゥパイエは パドックなどで面倒をみていた そのアラン・プロストの結婚式当日に ドゥパイエ は帰らぬ人となる 悲しみの事故でもあった モデルはF1モデルで唯一の所持のYAXON F1通算2勝のドゥパイエ 富士スピードウェイで行われた 1976年・1977年の日本グランプリでは いずれも表彰台に上がっている 🏁パトリック・ドゥパイエ(フランス) 【決勝出走回】 95回 入賞36回-表彰台19回 【予選最高位】 PP 1974年 ティレル R7スウェーデン 【決勝最高位】 優勝(2回) 1978年 ティレル R5モナコ 1979年 リジェ R5スペイン 【ファステスト】 4回
230426 P.DEPAILLER 22 1/43FW12C
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1998 (18TH) PMA MINARDI M195 S.NAKANO
日本人初の6戦連続完走 中野信治 MINARDI M195 1998年中野信治は前年プロスト離脱 ミナルディとの交渉合意に至らず 帰国前日にイタリア・ミラノで偶然 オーナーのガブリエーレ・ルミと遭遇 そこで中野の代理人が提示した条件が 事実と異なっていた事が判明 改めて その場で話し合いを持ち契約にこぎ着けた 中野自身は遭遇した場所にちなんで モンテナポレオーネ通りの奇跡と呼んでいる 中野はエイベックスやMUSASHIなどの スポンサーを持ち込んだがチームは財政難 苦しい状況の中でシングルフィニッシュ4回 これまでで日本人ドライバ―初となる 6戦連続完走など粘り強い走りを見せたが ポイント獲得ならず決勝最高位は7位 翌1999年はレギュラーシート獲得できずに ジョーダンのテストドライバー 途中デイモン・ヒル引退で参戦の噂もあったが 実現されず1998年でF1からは退く形になった 🏁中野 信治 (日本) 【決勝出走数】33回(入賞2回) 【予選最高位】 12位 1997年 PROST R8 フランス 【決勝最高位】 6位(2回) 1997年 PROST R7 カナダ 1997年 PROST R11ハンガリー
230405 S.NAKANO 22 1/43FW12C
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2012 (25TH) SPARK HRT F112 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230328 P.DE.LA.ROSA 22 1/43FW12C
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2010 17TH PMA SAUBER C29 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 22 1/43FW12C
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1986 18TH SPARK OSELLA FA1F C.DANNER
初代国際F3000チャンピオン クリスチャン・ダナー OSELLA FA1F 1985年初代国際F3000チャンピオン 同年ザグスピードでデビューした クリスチャン・ダナー(ドイツ) 1986年はオッゼラより参戦 OSELLA FA1Fは1984年に作製された 実に2年落ちのマシン エンジンはアルファロメオターボV8 チームメイトはP・ギンザーニ ダナーはこのマシンで6戦出場 1回の予選落ち 他はすべてリタイア R6カナダGPではアロウズのM・スレールの 欠場により同チームからもエントリー 1レースで2チームから登録されたが オッゼラの登録の方が早く優先された ダナーはR7より正式にアロウズに移籍 R12オーストリアGPで6位入賞している ドイツのRACE LAND社の別注シリーズ OSELLA FA1F初の量販モデル化 #F1-1986年
230325 C.DANNER 400 22FW12C
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1979 (34TH) SPARK ENSING N179 M.SURER
マルク・スレール スイス出身 F1デビュー ENSING N179 スイス人ドライバ―としては C・レガッツォーニ J・シフェールに次ぐ 3番目のF1出場82回のM・スレール 1978年全日本F2にスポット参戦 マーチ・782 BMWでR4鈴鹿で優勝 1979年ヨーロッパF2で2勝 E・チーバー B・ヘイトンを抑えチャンピオン 1979年F2終了後にP・ガイヤールに代わり エンサインからF1初参戦 R13イタリアGP R14カナダと連続予選落ち 最終戦R15アメリアGPではエンサインの シーズンベスト予選21位で初の決勝進出 決勝はエンジントラブルでリタイア モデルはR14カナダGP仕様 地元RAINBOW JEANSがスポットスポンサー この年ENSINGのマシンは赤ベースであったが 黒ベースに塗り替えられて カラフルな虹が施されている スレールは翌1980年はATSでシート獲得 1981年には再びENSINGに戻ります #℉1-1979年
230213 M.SURER 22 1/43FW12C
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1978 20TH SPARK ENSING N177 D.DALY
デレック・デイリー デビュー 最終戦6位入賞 ENSING N177 D・デイリー アイルランド出身 同国出身ドライバ―は現在までに4人のみ 1977年イギリスF3 チャンピオン 1978年R4よりヘスケスより参戦も 決勝進出ならず チームも途中撤退 R9フランスGPよりエンサインに移籍 R10イギリスGPで初の決勝進出 最終戦R16カナダGPで予選15位 決勝は地元G・ビルヌーブの初優勝の中 6位初入賞 デイリーの生涯入賞は8回 エンサインはこの年9名のドライバ―を 起用も入賞はデイリーのみであった 黒いボディにスイスの時計ブランド TISSOTの黄色いロゴが目立つ 個人的に好きなカラーリング #F1-1978年
221228 D.DALY 1978 22FW12C