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2023 5TH BBURAGO FERRARI SF-23 C.LECLERC
最終戦でチームメイト ランキング逆転 シャルル・ルクレール FERRARI SF-23 2023年ルクレールはフェラーリ5年目 チームメイトはカルロス・サインツ フェラーリのチーム代表にはルクレールの ルーキー時代2018年のザウバーの代表でった フレデリック・バスールが就任した 前年度ランキング2位から一転苦戦のシーズン FERRARI SF-23は一発の速さがあったが レースペースに問題があり結果につながらず 予選ではPP5回はチャンピオン M・フェルスタッペン(12回)に次ぐ成績 しかし決勝では未勝利に終わった 最終戦ランキング7位で迎えたアブダビGP 予選2位→シーズン3回目の決勝2位 C・サインツ/L・ノリス(マクラーレン)を抜き F・アロンソ(アストンマーティン)に206Pで 並んだものの3位の回数で破れ ランキング5位でシーズンを終えた モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR 仕様 マシンの名称は前年のF1-75から 年号を使用したSF-23となった リアウイングには前年同様 Ferrariの伝統ロゴが採用されている #2023年
240414 C.LECLERC 2023 16FW12C
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1999 7TH HOT WHEELS STEWART FORD SF3 R.BARRICHELLO
スチュワート3年目 集大成 チーム最高成績 R・バリチェロ チームは前年度末にジョーダンから テクニカルディレクターの ゲーリー・アンダーソン獲得 フォード軽量V10エンジンとマシンがマッチ チーム3年目のバリチェロは R3サンマリノで3位表彰台 R7フランスGP予選でチーム初 自身は2度目となるPPを獲得 決勝もシーズン2度目の3位表彰台 翌シーズンからチームをフォードが買収 ジャガーとして生まれ変わる事が 発表された直後のR14ヨーロッパGPでは チームメイトのジョニー・ハーバートが優勝 バリチェロも3位の1・3フィニッシュとなった チームは2人で36ポイントを獲得し コンストラクター4位に躍進 完走率では20/32回で全体の2位タイ ワールドチャンピオン ジャッキー・スチュワート設立の チームは最終年に最高の成績を残した モデルはHOT WHEELS 購入したのは大阪梅田にある モデルガレージ・ロムが かつて大阪なんば(日本橋)に 出店していたセコハン中心の2号店 当時(2010年頃)月1回くらい通っていました
231018 R.BARRICHELLO 1999 16FW12C
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1989 (30TH) SPARK LEYTON HOUSE MARCH 881 I.CAPELLI
名車 LEYTON HOUSE MARCH 881 ラストレース イヴァン・カペリ 1989年マーチは新車CG891投入まで 開幕~R2まで前年のマーチ881を使用 開幕戦ブラジルGPカペリは予選7位 決勝は22/61周目にトラブルでリタイア チームメイトのマウリシオ・グージェルミンが 地元で自身唯一の3位表彰台を獲得 R2サンマリノGP予選16位 決勝は1周目に接触でリタイアしている エイドリアン・ニューウェイ 出世作ともいえるMARCH 881 前年1988年に予選最高3位 決勝では2位・3位を1回 そして何より日本GP鈴鹿での 16周目の一瞬のリーダーラップ 記憶と記録を残した名車であった モデルはSPARK 大阪のモデルガレージロム別注 ラストレースのR2サンマリノGP仕様 1989年のカラーリングで BPのグリーンがポイントとなっている 限定数300でほとんどの店で品切れ とあるお店で運よく1台だけあって購入 残念ながらインダクションポッド横の BPのデカールが斜めに曲がっていました… 修正したいのですが技量も無く… このまま雰囲気を感じるだけでも良いです https://muuseo.com/FW12C/items/168?theme_id=31437
230906 I.CAPELLI 1989 300FW12C
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1970 19TH QUANTZO LOTUS 72 J.MILES
ジョン・マイルズ F1唯一の入賞 LOTUS 72 ジョン・マイルズ イギリス出身 父はヒッチコックの映画 〖知りすぎていた男〗などに出演した 俳優 バーナード・マイケル 彼には子供が8人いたが男子はジョンのみ ロータスのコーリン・チャップマンに 見いだされ1969年にF1デビュー この時はロータスの4輪駆動車 ロータス63の開発を任されたが 5レース出場も完走は1回のみで ロータスの4輪駆動の開発も中止された 1970年はロータスのレギュラー チーム・メイトはヨッヘン・リント マイルズは開幕戦で旧型のロータス49Cで 予選14位→決勝5位入賞 F1では唯一の入賞となった この年マイルズは 49C→72→72B→72Cと4種のマシンに乗り モデルはR8 ドイツの72C仕様 R10イタリアGPではチームメイトの リントが予選中の事故で亡くなり 自身も決勝では走行せず欠場した 翌1971はBRMの開発ドライバーで 非選手権には出場も本戦は出場はなかった 🏁ジョン・マイルズ (イギリス) 【決勝出走数】12回(入賞1回) 【予選最高位】 7位 1970年 LOTUS R7 イギリス 【決勝最高位】 5位 1970年 LOTUS R1 南アフリカ
230719 J.MILES 16 1/43FW12C
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1978 18TH SPARK SHADOW DN8 H.J.STUCK
シャドウ移籍のハンス・シュトック チーム主力離脱で苦戦 SHADOW DN8 1978年H・シュトックはN・ラウダ加入に 伴いブラバムを離脱→シャドウに移籍 チームメイトはC・レガッツォーニ チームの主力が抜け新規チームアロウズと 盗作問題騒動の中はシャドウは苦戦 シュトックは予選は20位前後が多く R10イギリスの決勝5位が唯一の入賞 シュトックの生涯F1入賞回数は12回 3位-2 4位-3 5位-5 6位-2 で5位が一番多く 1976年にコジマ(マーチ762)でスポット参戦した 全日本F2000 R5鈴鹿も5位であった スポンサーのvilligerは1888年創業の スイスの有名葉巻メーカー 通常タバコブランドは規制の影響で デカールが別添付で自己で貼り付けするが 何故かvilligerは添付されて販売されている H・シュトックは1年でシャドウを離れ F1最後の翌1979年はATSに移籍する
230627 H.J.STUCK 1978 16FW12C
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1980 6TH QUARTZO RENAULT RE20 R.ARNOUX
ルネ・アルヌー 初優勝からの連勝 ルノー・ターボの2・3勝目RENAULT RE20 1980年アルヌーはルノー2年目 チームメイトは昨年同様の ジャン・ピエール・ジャブイユ 開幕戦リタイアだったものの R2ブラジルGPで初優勝 続くR3南アフリカと連勝 アルヌーの通算勝利数は7勝 前半7戦で2勝含む入賞4回で チャンピオン狙える位置で折り返す 後半戦は予選で3戦連続PPがあったものの 入賞はR12オランダGPの2位のみ 年間順位は6位に終わる チームは4年目にして2人で3勝 コンストラクターも4位に躍進 アルヌーはジャブイユから チームエースの座を奪いルノーは アルヌー中心で回るようになり 翌1981年ジャブイユはリジェ・マトラに移籍 ルノーはオールフレンチ体制を維持し チームメイトにアラン・プロストを迎える
230606 R.ARNOUX 1980 4回FW12C
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1998 14TH PMA ARROWS A19 P.DINIZ
ペドロ・デニス アロウズ2年目 自己最高決勝5位&年間14位 P・デニスはアロウズ2年目 豊富なスポンサー持参で残留 チームメイトはミカ・サロ ヤマハエンジンと決別し 自社のTWRが自製するエンジンで参戦 このエンジンの影響もあり 開幕から5戦連続のリタイア エンジンパワーの影響の少ない R6モナコでは6位入賞 ミカ・サロ(4位)とのダブル入賞 R13ベルギーGPも荒れたレースを 生き残り自己最高タイの決勝5位 チームメイトと同ポイントの3P 順位差で負けてサロ13位・デニス14位 年間14位もデニスのベストタイ記録 当初はペイドライバ―の印象が強かったが チームメイトにも見劣りしない 成績となり中堅チームからの オファーが多く届き 翌1999年はザウバーに移籍する #F1-1998年
230412 P.DINIZ 16 1/43FW12C
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2022 2ND BBURAGO FERRARI F1-75 C.LECLERC 〖🏆3〗
2022年開幕戦覇者 シャルル・ルクレール FERRARI F1-75 オフシーズンの好調を持続し 開幕戦バーレーンGPでPP獲得 M・フェルスタッペン(RED BULL)との対決制し 自身3勝目は自身初のハットトリック達成 (F1ハットトリック PP➡FL➡優勝) R3オーストラリアGPは 何度もSC VSCが導入される展開も圧勝 F1史上26人目のグランドスラムを達成 (PP➡FL➡全ラップリーダー➡優勝) 予選では9度のPPを獲得 終盤自身自己最高の5戦連続表彰台獲得も チャンピオン争いはM・フェルスタッペンに 独走を許したが最終的には年間2位 フェラーリ ドライバーの年間2位は 2018年S・ベッテル以来4年ぶり #2022年
230305 C.LECLERC 2022 3回FW12C
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1997 10TH ONYX SAUBER C16 PETRONAS J.HERBERT
ザウバー2年目 ジョニー・ハーバート エース待遇 SAUBER C16 PETRONAS フレンチェンがウイリアムズに移籍 ハーバートはザウバーエース待遇 序盤5戦の予選では7位(3回) 8位(1回) R3アルゼンチンGPで4位入賞 R11ハンガリーGPでは3位表彰台獲得 年間では6度に入賞 15ポイントで10位 エンジンがフォードからペトロナス名称の フェラーリエンジンの耐久性が極めて高く ハーバートの入賞を後押しした 翌1998年も実績が認められてザウバー残留 #F1-1997年
221206 J.HERBERT 16 1/43FW12C
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1970 21ST QUARTZO MARCH 701 J.SERVOZ-GAVIN
ジョニー・セルボ=ギャバン フランス F1最後の入賞 MARCH 701 1966年フランスF3チャンピオン 1967年F1 マトラよりデビュー 1968年ティレル(マトラMS10) 2位表彰台 1969年ティレル(マトラMS84) 6位入賞 四輪駆動のF1カー唯一のポイント 1970年はティレル MARCH 701で参戦 チームメイトはジャッキー・シュチュワート R2 スペインGPで予選14位→決勝5位入賞 しかしこの後シーズンオフの オフロードカーのイベントで 負傷した目の症状が悪化 R3モナコで予選落ちしてそのままF1引退した #F1-1970年 🏁ジョニー・セルボ=ギャバン (フランス) 【決勝出走回数】11回 (入賞3回) 【予選最高位】 2位 1968年 ティレル R3 モナコ 【決勝最高位】 2位 1968年 ティレル R9 イタリア
221203 J.SERVOZ-GAVIN 16 1/43FW12C
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1968 7TH QUARTZO (ROB WALKER/JACK DURLACHER) LOTUS 49 J.SIFFERT
スイス出身 ジョー・シフェール初優勝 プライベーター最後の勝利 LOTUS 49 1962年から自身で立ち上げたチームで参戦した シフェールは1964年よりプライベーターの雄 ROB WALKERより参戦する ROB WALKERチーム設立者 ロブ・ウォーカーはウイスキーで有名な ジョニー・ウォーカーの創設者の末裔 1968年はチャンピオンチームとなる ロータスのマシン LOTUS 49で参戦 R7イギリスGPで予選4位から クリス・エイモン(フェラーリ)の猛追をしのぎ 自身初優勝をファステストラップで飾る これはスイス出身ドライバ―の初勝利 スイス出身のグランプリウイナーは C・レガッツォーニ(5勝)とシフェール(2勝)のみ またF1におけるプライベーターの 最後の勝利ともなった プライベーターでの勝利ドライバーは シフェール含めて4人のみ 1969年までプライベーター 1970年はマーチ 1971年はBRMで参戦 BRMで自身最後の通算2勝目を上げている #F1-1968年 #F1
221020 J.SIFFERT 3回 16FW12C
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1996 (18TH) ONYX ARROWS FOOTWORK HART FA17 R.ROSSET
リカルド・ロセット ブラジル出身 1996年 F1デビュー アロウズ 1996年F1デビュードライバ―は3人 G・フィジケラ T・マルケス R・ロセット ロセットのみがフル参戦 1995年国際F3000 2位の実績と スポンサーマネーを持ち込みシート獲得 TMはヨス・フェルスタッペン 開幕戦は接触しながら9位完走 シーズン予選ではフェルスタッペンに全敗 R12ハンガリーの予選18位→決勝8位が最高位 ONYXからは2台のGP仕様車が発売 画像1 R2ブラジルGP仕様 前年度のカラーリング継承 赤・青・銀・白のパッチワーク模様 画像2 R4ヨーロッパGP仕様 赤と青の2カラーに変更され オーストリアのスポーツドリンクの 専門メーカーPOWER HORSEのロゴが 大きく見やすく改善された ロセットはこの年限りでアロウズ離脱 翌1997年はマスターカード・ローラに移籍も 開幕戦のみでチームは撤退した #F1-1996年 #F1
R.ROSSET 16 1/43 ARROWSFW12C
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2018 13TH IXO SAUBER C37 C.LECLERC
シャルル・ルクレール 24年ぶりのモナコ出身ドライバ― 2018年ルクレールはザウバーからデビュー エンジンはフェラーリ アルファロメオがスポンサー TMはマーカス・エリクソン モナコ出身のF1ドライバ―は ルクレールで通算4人目 1994年のオリビエ・ベレッタ(ラルース) 以来24年ぶりの出来事 R4アゼルバイジャンGPで予選13位から 決勝6位初入賞は2018年のベストリザルト 21戦中10戦の入賞 39ポイント 年間13位 エリクソン 9ポイント 17位を大きく上回った この年ドライバーの頭部の保護目的の 装置のHaloが取り付けられ R13ベルギーGPでは多重クラッシュ時 Haloのおかげでルクレールは無傷で済んだ 2019年K・ライコネンと入れ替わる形で フェラーリに移籍 以降現在まで所属 ルクレールの24年前のモナコ出身 ドライバ― オリビエ・ベレッタ↓ https://muuseo.com/FW12C/items/611 #2018年
C.LECLERC F1マシンコレクション 16 124FW12C
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1976 12TH SPARK SHADOW DN8 T.PRYCE
イギリス出身 トム・プライス 最後の入賞 SHADOW DN8 1974年にトーケン(マイナーチーム)で デビュー後シャドウに移籍 J・P・ジャリエと共にチームを支え キャリアのほぼすべてをシャドウで過ごした 1976年は前年度の好調を維持して 旧マシンのDN5で開幕戦を予選12位→決勝3位 自身生涯2度目の表彰台を獲得 その後は完走率は高かったものの 入賞はR9イギリスの予選20位→決勝4位 シャドウはメインスポンサーの アメリカ石油会社UOPを失い資金に苦しみ ニューマシンDN8の投入はR12オランダ DN8初戦のオランダでプライスは いきなりの予選3位→決勝4位を獲得 これが自身最後の通算9回目の入賞となる ◆R16日本(富士SW)予選14位→決勝リタイア◆ 翌1977年プライズは同じDN8のマシンで 時速300km近いスピードで走行中に 事故車の消化に向かうマーシャルが コースを横切った際に持っていた消火器が 頭部に当たり衝撃的な事故死を遂げる ロータスに加入の噂もあった イギリス期待の若手の早すぎる死であった トム・プライス (イギリス) 決勝出走回数 42回 予選最高位 PP 1975年 シャドウ R2イギリス 決勝最高位 3位(2回) 1975年 シャドウ R12オーストリア 1976年 シャドウ R1ブラジル リーダーラップ2周 #F1-1976年 #1976 #シャドウ
T.PRYCE 1976 16 1/43FW12C
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1995 (34TH) ONYX PACIFIC FORD PR02 J.D.DELETRAZ
ジャン・デニ・デルトラーズ スイス出身 パシフィックよりスポット参戦 1994年最終戦にラルースでデビュー 1995年パシフィックより2戦のみ出走 R13ポルトガルGP予選24位(最下位) PPのタイムより12秒遅れ 決勝は腕の筋肉痙攣でリタイア モデルはそのポルトガルGP仕様 スイスの高級腕時計メーカー FRANCK MULLERがスポットスポンサー R14ヨーロッパGP予選24位(最下位) PPのタイムより9秒遅れ 決勝はトップより7週遅れの完走15位 この1戦あたりの持参金は およそ1500万円 2戦で3000万円 これ以降は支払いが滞り B・ガショーが再びドライブした 息子のルイ・デルトラーズは 2019年開発 2020年テスト&リザーブ でハースF1に所属している 1995年の1チームの最多出場 ドライバ―数はパシフィックの4人で デルトラーズが4人目のエントリーであった
J.D.DELETRAZ 16 1/43 PACIFICFW12C