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1982 (33RD) SPARK LOTUS 91 G.LEES
日本助っ人ドライバーパイオニア ジェフ・リース F1ラストLOTUS 91 ジェフ・リースは1980年数チームでF1に エントリーしたものの8戦中決勝は2回のみ 1981年はヨーロッパF2にステップダウンも 3勝をあげてシリーズチャンピオン 1982年はR8カナダGPにエンサインより スポット参戦予選25位→決勝リタイア 同年R11フランスGP 欠場したナイジェル・マンセルの代役で ロータスより出場 予選24位→決勝12位完走 これがF1でのラストレースとなった その後日本に渡り 1983年全日本F2 チーム イクサワで 8戦中4勝をあげてシリーズチャンピオン 1978~1986年開催した同シリーズで 唯一の外国人のチャンピオン 日本のモータースポーツにおける 外国人助っ人のパイオニア的存在で 1987年はF1 HONDAエンジンの テストドライバーも務めた モデルはスパーク R11フランスGP仕様 予選24位→決勝12位 タバコブランドJPSデカール加工 リースの1戦限りのロータス91 🏁ジェフ・リース (イギリス) 【決勝出走数】 5回(入賞0回 予選落7回) 【予選最高位】 16位 1979年 TYRRELL R10ドイツ 【決勝最高位】 7位 1979年 TYRRELL R10ドイツ https://muuseo.com/FW12C/items/697
240210 G.LEES 1982 12FW12C
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1982 (28TH) SPARK MARCH 821 J.MASS (ROTHMANS)
ヨッヘン・マス 最後のマシン ロスマンズカラー MARCH 821 1982年マーチ・エンジニアリングは R3アメリカWEST GPより タバコのロスマンズがスポンサーが付き それに伴いカラーリングも大幅変更 R4サンマリノGPでマスはこのマシンで ジル・ビルヌーブと接触の事故となり この事故でジルは帰らぬ人となった R11フランスGP決勝で今度はマスが マウロ・バルディとの接触事故となり 自身F1からの引退を表明した F1引退後マスはスポーツカー選手権を 主戦場としてレーサーは継続して ルマン24時間では1989年の 総合チャンピオンとなっている 🏁ヨッヘン・マス (ドイツ) 【決勝出走数】105回(入賞28回-表彰台8回) 【予選最高位】 4位(3回) 1976年 McLAREN R2南アフリカ 1976年 McLAREN R4スペイン 1977年 McLAREN R2ブラジル 【決勝最高位】 優勝 1975年 McLAREN R4スペイン https://muuseo.com/FW12C/items/1477?theme_id=31619
231106 J.MASS 1982 17FW12C
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1982 5TH SPARK McLAREN MP4/1B N.LAUDA〖🏆2〗
2年ぶり復帰のニキ・ラウダ 混戦の1982年2勝 McLAREN MP4/1B 1979年末に突如引退したラウダ 1982年マクラーレンで電撃復帰 チームメイトはジョン・ワトソン 当初復帰に関してはマクラーレン側も ブランクや怪我の後遺症を考えて 開幕戦から4戦目までのスポット契約 開幕戦南アフリカGPで4位入賞すると R3アメリカWESTで予選2位より優勝 ファステストラップも記録 この年の3番目のウイナー(全11名) その後R10イギリスGPで2勝目をあげ チームもワトソンと合わせ合計4勝 ラウダの復帰と共にマクラーレンも 復活を印象づけるシーズンとなった モデルはスパーク 台座はMP4-1BとなっているがMP4/1Bの間違い ラウダの復帰初勝利となった R3アメリカWEST GP使用 予選2位→決勝WIN Marlboroデカール加工をしてあります 1980年以降のマクラーレンで ミニチャンプス唯一発売していないのが 1982年のマクラーレンMP4/1B
231104 N.LAUDA 1982 1回FW12C
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1982 (27TH) CP MODEL ARROWS A4 B.HENTON
ブライアン・ヘントン 3戦限りのアロウズ ARROWS A4 1982年前年度は新規チームトールマンで 12戦中11戦の予選落ちのヘントンであったが アロウズのレギュラーシートを獲得 チームメイトはマウロ・バルディ アロウズはニューマシンのA4を開幕から投入 イタリアのセラミックタイルメーカー RANGOがスポンサーとなり 前年のゴールド系のカラーから オレンジを基調にタイルを施す カラーリングで人目を惹きつけた ヘントンは開幕・R2と連続予選落ち R3アメリカWEST予選20位→決勝リタイア R4~はスリム・ボルグッドが抜けた ティレルに移籍して最終戦まで参戦 ヘントン離脱後のアロウズは マルク・スレールが加入 バルディ共にチームを立て直し各2回 チームで4度の入賞をしている モデルはCP MODEL 入賞したバルディ/スレールでなく 3戦限りのマニアックなヘントン車をリリース
230812 B.HENTON 1982 29FW12C